東寺

「東寺」

 

 新幹線の車窓から、東寺こと教王護国寺(きょうおうごこくじ)の五重塔を眼にすると、ああ京都に来たな、とよく思ったものだ。また管理人は以前東寺近くのマンションに住んでいたので、玄関の扉を開けた風景にいつも五重塔を見ては、京都にいることを実感していた。
 まさに、東寺の五重塔は京都を代表する一つのシンボルである。

 東寺の創建は平安遷都時に遡る。平安京造営に併せて朱雀大路を挟むように東西に建てられた官寺の一つだった。相対的に東側に建つので東寺、もしくは左京にあるので左大寺とも呼ばれた。後に弘仁14年(823)嵯峨天皇より弘法大師こと空海に下賜され、それ以降教王護国寺と名を改めて真言密教の道場とされた。王城鎮護の寺として信仰を集めるが、空海の死後に荒廃してしまう。文覚の働きにより鎌倉幕府の援助を受けて再興するが、室町期の兵乱に巻き込まれ衰退を極めた。
 衰退からの再建をまず援助したのは豊臣秀吉だった。次いで豊臣秀頼によって金堂が完成する。後に援助の手は徳川家に移り、徳川家光によって五重塔などが再建され、現在に至る寺観を取り戻していき、平成6年(1994)には世界文化遺産に登録された。

 東寺の境内に入ると、周囲の騒音が遮断される。境内の南側を国道一号線が走っている為交通量は非常に多いのだが、それでも境内は静けさを保っている。なのでちょっとぼんやりしたい時などにはふらりと東寺を訪れ、大樹の木陰で休んでみたりなどしていた。風のある夏場などはクーラーの利いた部屋にいるなどよりも大層気持ちよかった。
 境内を見渡すと、白い玉砂利の中に黒い大きな建造物が立ち並んでいる。境内の中央を一直線に北から食堂、講堂、金堂、そして南東に五重塔。それらの風景にはなにか硬質なものを感じさせ、長い歴史の中を王城鎮護の寺として務めた不動の重みを感じる。まさに京都を京都たらしめる重石のような存在感だろうか。
 講堂には彫像によって立体曼荼羅が表現されており、一つ一つの彫像に見応えがある。それにしても四天王は畏敬の念を覚えると言うよりも、単純に姿がいい。まるで歌舞伎の見得をきっているようで、ばっちりきまっている。そんなところも見所だろうか。
 金堂には薬師三尊が安置されており、講堂の『動』に対して『静』という印象だろうか。静かなる心持で対するとよいだろう。
 金堂を抜けると五重塔への道に出る。遠くから見ても確かに大きいのだけれども、近代建築のコンクリートビルを見慣れている眼にはどこか脆弱さを感じてしまうのだが、近付いて見上げてみるとその脆弱さは影を潜め、重圧感をもって迫ってくるのを感ぜずにはいられないのだ。もちろん、その色合いからくるイメージもあるだろうが、純粋に「あなどっていました」と敬服したくなる。だてに長年京都のシンボルをやってきているだけのことはある。ぜひとも五重塔を遠くから眺めるのもいいが、近くで見上げ、その大きさを感じて貰いたい。

 境内にはこの他、空海の住房だったと伝わる御影堂などがあるが、個人的なもう一つのちょっとした見所は、御影堂の東南にある毘沙門堂だろうか。ここに安置されている兜跋毘沙門天像は元々羅生門に安置されていたものと伝わっている。まさに平安京の南の門番だった訳だが、現在はなぜか北向きに安置され、門番としての役目は完全に免除されているようだ。それでも、その来歴は魅力的だ。
 なお、毎月21日は空海の命日にあたり、境内には多くの露天が並ぶ弘法市が行われる。日用品から骨董品まで多種多様な露天が並ぶので、もし機会があれば訪れてみるのもよいかもしれない。

 関連作品:京都にての物語「ライバル

(2008/09/11)

東寺ホームページ⇒http://www.toji.or.jp/

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