金閣寺

「金閣寺」

 

 管理人が初めて金閣寺を訪れたのは中学時代の修学旅行であったように思う。確か管理人の学校ではグループ行動の日と団体行動の日が決められていて、金閣寺には団体行動の日に訪れたように記憶している。その頃の管理人の意識の中で、京都といえば金閣寺という構図はすでに出来上がっており、故に訪れた際には相当の期待を持っていたように思う。そしてその姿を初めて目にした時・・・今に当時の記憶がほとんど残っていないので、当時の管理人にとっては金閣の姿は期待外れだったのではないだろうか。当時はいかんせん単純なので、見て圧倒されるようなものでもなければ感動などしなかったように思う。金閣は輝いていても所詮一つの建物だ。自然の雄大さなどに比べたら、美々しくともちっぽけな箱に過ぎない。
 その後金閣寺には高校の修学旅行でも訪れたように思うが、入場券代わりのお札をただ珍しがって部屋に貼っていたのだけは覚えているが、やはり輝いてるねぇ~ぐらいの印象で、これといった思い出はない。
 金閣寺に対する意識が変わったのは、歴史や京都に興味を持ち出したのに加え、三島由紀夫さんの「金閣寺」を読んだのがなんといっても大きいだろう。水上勉さんの「金閣炎上」などに比べると少々偏った観念小説であるという指摘はあるが、そこはあくまでも小説であって、金閣に対する一つの見方として大変面白かった。それから金閣を望むに『美』というフィルターを通して眺めるに至り、管理人はそこに太陽を見出した。

 金閣寺は、正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)という。元は室町三代将軍足利義満の別荘北山殿として造営され、義満の死後に禅寺となった。現在は相国寺の山外塔頭という位置付けになっている。
 そんな鹿苑寺の見所は、なんといっても金閣だ。金閣の正式名は舎利殿(しゃりでん)という。初層は寝殿造の法水院(ほうすいいん)。二層は武家造の潮音洞(ちょうおんどう)。三層目は禅宗仏殿造の究竟頂(くつきょうちょう)と、三様を融合した造りとなっている。創建時の金閣は上記に紹介した文学作品のモデルともなった昭和25年の放火事件により焼失し、現在の金閣は昭和30年に再建されたものだ。
 その他の見所としては境内に金森宗和好みの茶室と伝わる夕佳亭があるが、興味のない人間にしてみたら、ただの小屋程度にしか見えないだろう。やはり、ここには金閣に代わるものはない。

 さて、金閣は太陽だ!などとぶちまけてみたが、それはあくまでも管理人の勝手な見立てにすぎない。
 しかし、創建当時にこの金閣を眺めた人たちにとってみれば、太陽という見立ても大袈裟なものではなかったかもしれない。まず金の輝きそのものが、今のように情報が豊富ではない時代、観る者の度肝を抜いただろう。次に創建者が当時実質的な最高権力者であった足利義満であったという点。その輝きには、さぞや経済力や権力の威光が強力に含まれていたことだろう。その輝きは並ぶべきものなく→並ぶべきもののない輝き→太陽、としてもおかしな発想ではないだろう。
 が、今やその創建者の威光はなく、金閣の輝きは金そのままの輝きでしかない。太陽というのは大袈裟だ。
 なので、これから金閣寺を訪れ金閣と対するならば、ひたすら金の輝きの美しさに見惚れるのが丁度良いかもしれない。実際、周りの景色に溶け込んだ金閣の姿は非日常的な美しさを持っていて、一見に値する。前方の鏡湖池に移る姿も良い。また、もし建築様式に興味があるならば近付いて詳細に眺めるとよい。三様の融合した様式は、新たな発見を生むかもしれない。それで、金閣に対する態度としては間違いはないだろう。

 ただ――想像力を逞しくしてそこに太陽を見ることができたならば、それはそれで面白いのではないだろうか?
 あなたは、金閣にから何を感じるだろうか?

 京都観光の代名詞ともいえる金閣寺は健在だ。今や海外からの観光客の姿も多い。
 その黄金の輝きのように、今後も京都という都市のイメージの中心にあり続けるだろう。

 関連作品:京都にての物語「不滅の金閣

(2009/01/08)

金閣寺ホームページ⇒http://www.shokoku-ji.or.jp/kinkakuji/

京都にてのあれこれへ トップページへ