六角堂

「六角堂」

 

 頂法寺、通称六角堂には時代に沿って3つの顔があると思う。
 まず第一に、聖徳太子による創建伝説だ。
 第二に、中世における町堂としての顔。
 そして最後に、華道池坊宗家と共にある現在の顔だ。

 管理人は四条烏丸から烏丸通を北上し六角道を右に曲がって六角堂を訪れたが、正直これといった感慨もなかった。近代ビルに囲まれた境内はこじんまりとし、六角堂を中心に周囲に不動堂や地蔵群、太子堂(太子堂がある池に白鳥がいたのはびっくりしたが)があるぐらいで、あと観光客の目に留まりそうなのは有名なへそ石と、愛くるしい姿の一言地蔵ぐらいなものだろうか。もちろん信仰があればこの場は西国三十三所巡礼の札所であり、親鸞上人が参籠された地でもあり、太子信仰もあるだろう。けれど、あくまでも観光客の視線で現在の六角堂を見ると、どうも面白味に欠ける。華道に興味がなければ池坊もなんのことやら。
 そこで六角堂を楽しむ想像力を逞しくする為には、ある程度の歴史を知る必要があるだろう。
 現在も境内にあるへそ石は京都の中心として親しまれている。これは、へそ石の位置が京都との中心と見立てることができるからでもあるが、それ以上に中世この六角堂が主に下京の町堂として町衆の集う場所であったことが関係してくるだろう。戦乱や一揆に悩まされた町衆は、この六角堂に集まって対策を練ったり、危急を報せる合図として六角堂の鐘を利用した。六角堂は町衆にとって位置的な中心である以上に精神的な中心だったのである。数年前までは、祇園祭の山鉾の巡行順を決めるくじ取りもこの六角堂で行われ、町堂としての役割を果たしていた。故に、六角堂やへそ石は京都の町衆にとってはただのお堂、ただの石ではなく、日常にも根付く大きな存在であったのである。これで少しは六角堂の見方が変わるだろうか。
 そして六角堂の一番の面白味は、なんといっても創建の謎だろう。六角堂は聖徳太子による創建と伝わる。縁起によれば四天王寺建立の為の木材を探しに訪れていた太子の持仏である如意輪観音像がこの地に留まりたいと告げ、そのお告げに従い霊木を以て六角堂を建て如意輪観音像を安置したのが始まりという。なので創建されたのは平安京以前ということになるのだが、発掘調査では平安京以前の建立を証明するような出土品に乏しく、学術的には平安京遷都以降に建てられたと考えられている。しかし、ここで一つの疑問が残る。それがへそ石の存在だ。そもそもへそ石は六角堂の礎石だったとも伝わるのだが、実は幕末までは六角道のど真ん中にぽつんと残されていたそうなのだ。通行上の問題で現在のように境内に移されたのは明治に入ってからという。六角堂にはこんな伝説も伝わっている。それは平安京造営の際、道を開こうとした位置に六角堂が位置して造営側は困ってしまったが、六角堂が自ら北方に移動して無事に道を開けたという。もちろん時代変化により平安京の六角小路が現在の六角通とまったく同じ位置に存在するという確証はないが、それでも道路の位置に変化がなかったと想定するならば、平安京造営後に道路の真ん中にそんな礎石を埋め込むのはおかしな話だろう。
 更に謎がもう一つ。それが六角堂建立の意図である。縁起では上記したように聖徳太子の建立となっている。が、そもそも聖徳太子が山背を訪れたという正式な記録(日本書紀)にはない。また、科学の発達した現在から見れば仏像が自分の意思を伝えてくることは考えられないだろう。もちろん、聞こえたと思い込むことは充分に可能であるが。それはさておき、矢野貫一さんはその著書「京都歴史案内」の中で太子の御霊を鎮める廟としている。聖徳太子=怨霊という話は梅原猛さんが書いた「隠された十字架」が有名だが、そうなると太子の霊を慰める為にこの地に六角堂を建立したのは誰なのか。矢野貫一さんは秦氏を挙げている。元々大内裏は秦河勝の邸宅だったという伝承がある。秦河勝といえば、聖徳太子の側近だ。また、現在もこの六角堂を管理している池坊の祖は聖徳太子の命に従い遣隋使として大陸に渡った、あの小野妹子である。小野妹子は晩年池坊専務と名乗り、この地にて仏に花を供える(供華(くげ))日々を送ったという。聖徳太子の側近である秦河勝と小野妹子が面識があってもおかしくないだろう。つまりこの六角堂は、聖徳太子と親しき者によって建てられた聖徳太子追悼の堂ではないだろうか。
 と、すべては憶測に憶測を重ねただけの空論である。けれど、こう考えてみると六角堂が一味違った見方で眺めることができるのではないだろうか。

 ただ呆然と訪れただけならば、六角堂はビルの谷間のちょっとした憩いの場である。
 けれど想像力を逞しくすれば、そこには太古の追悼の願いや、町衆の熱意など、人々の想いが色濃く漂うとても濃密な空間となるだろう。
 そしたら・・・へそ石を拝んでみたくなるかもしれない?

 関連作品:京都にての物語「へそ石と中年男」・京都にての歴史物語「供華

(2009/02/05)

六角堂ホームページ⇒http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/

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