八坂庚申堂

「八坂庚申堂」

 

 八坂の塔を坂の下から眺める光景は、京都らしい光景の一つとして雑誌・パンフレットやテレビの報道やドラマの映像としても有名だ。
 その八坂の塔に向かって坂道を登っていくと、塔の袂近く右手に八坂庚申堂はある。立派な朱の門構えで、瓦屋根の頂上には三猿の姿を見ることができる。
 境内に入ると、まず迎えてくれるのが写真にある釈迦尊の弟子、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)坐像なのだが、その周囲を囲むように垂れ下がっている色とりどりの光景こそが、八坂庚申堂の特徴の一つと言えるだろう。
 この色彩豊かな飾りのようなものを「くくり猿」という。人型(猿型)が手足を縛られ吊るされている形状のもので、なんでも「人間の中にある『欲望』が動かないように」くくりつけているものだとか。要は願掛けをする際に、目的を達するまでは己の嗜好の物を一時期我慢するといったことが行われるが、それと同じような効果を願いくくりつけている姿をしている訳だ。
 もし何か強く願い、それに向かって一心に進むことを願うのであれば一度、余計な欲望を戒める為にも願いを込めてみるのもいいかもしれない。

 八坂庚申堂の起源は平安期に遡るとある。建立したのは平安中期の天台宗の僧浄蔵といわれる。この浄蔵は霊験あらたかなる多くの逸話を残している僧で、一つに関東で平将門が乱を起こした際に調伏の修法を行い霊験があったとか、一つに父親の三善清行が逝去した際、その葬列が一条戻り橋に至った折に駆けつけた浄蔵が祈念すると三善清行が生き返ったとか、一つに傾いた八坂の塔を法力によって立て直したとか。とにかくなかなかの有名人で、そんな浄蔵が本尊に据えた青面金剛は、八坂庚申堂の縁起によると秦河勝によって秦氏の守り本尊として祀られていたのだとか。
 正式には大黒山金剛寺庚申堂といい、大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂と並び日本三庚申の一つとされた。

 そもそも「庚申(こうしん)」とはなんだろうか。
 具体的には庚申信仰といった方がいいだろうか。ルーツは中国の道教ともいわれ、干支の庚申(かのえさる)の日の夜に庚申社や庚申堂に集まり、祭事を行った後に飲み食いをしながら一晩を寝ずに過ごすという習俗の事だ。要は徹夜のどんちゃん騒ぎ?
 どんちゃん騒ぎはさておき、ではなぜ徹夜をしなければならないかというと、人間の体には上尸(じょうし)、中尸(ちゅうし)、下尸(げし)の三尸の虫が棲んでいるといわれ、この三尸の虫は実は天上界の司命神(天帝)に仕える存在であり、庚申の夜に眠りについた人間の体を抜け出ては己が棲む人間の悪行を司命神に報告し、その報告によって司命神は悪行を重ねた分に応じて人間の寿命を短くすると信じられていたのだ。この三尸の虫が人間の体を抜け出るのは、宿主の人間が寝ている時といわれている。 つまり「俺、悪行しちゃったけど、司命神に報告されないようにする為には、庚申の日に寝なければいいんだ!そうすれば俺って長生きできる!!」って発想だ。考えようによったら「それって三尸の虫が悪いのと違うんじゃない?」と苦笑いしたくなるような信仰内容だ。まぁ、人間生きていく為には動物の命を頂戴することもあり、それを悪行というのであればどんなに社会的に清廉潔白に生きようとしても三尸の虫を恐れてしまうのは道理だろうか。
 ところで、庚申堂には「三猿」や「くくり猿」と猿がいっぱいいる。これはどういうことかというと、庚申信仰のルーツは中国の道教に遡ると上記したが、日本に入ってくると陰陽道やら仏教やら神道やらと色々習合を繰り返したようで、猿は神道系庚申信仰の守護神猿田彦に由来すると思われる。ちなみ八坂庚申堂の本尊である青面金剛は仏教系庚申信仰の守護神であり、三尸の虫を喰らうと伝わる。
 では、どうして猿田彦が神道系庚申信仰の守護神となったかというと、単純に庚申の「申」を「さる」と読むことから猿田彦と習合したともいう。また「猿」は「去る」に通じ、更に外からの侵入者を防ぐ塞の神(さえのかみ)も猿田彦と同一視されていることからも、猿田彦には「塞ぐ」というキーワードが当て嵌まり、つまりは三尸の虫が体から出て行くのを「塞ぐ」という意味合いもあるのだろう。三猿などはまさに目、口、耳を塞ぐ姿で表わされている。そもそも猿田彦は日本神話の中でニニギノミコトが天降りしようとした時に道案内をした神とされる。「道案内」と「塞ぐ」は相反するキーワードのように思うが「道案内」できるということはその地を知悉しているということであり、つまりは外敵を「防ぐ」=行く手を「塞ぐ」にも卓越した存在ということにもなる訳だ。
 八坂庚申堂はこのような庚申信仰の拠点であり、現在でも庚申の日の夜から翌朝にかけて「庚申待ち」を行っているとのことだ。

 八坂庚申堂の存在を考える時、悪行の根源を人の欲とするならば――
「まずはくくり猿で己の欲望を戒めてみよ。もしそれでも欲望に負け悪行に及ぶのであれば、その時は三尸の虫を塞いで見せよう」
 なんてアフターフォローの手厚いことだろう!じゃあ、最初から三尸の虫を塞ぐ方向でお願いします!って感じだろうか。
 ん?・・・待てよ。時系列で考えれば、あくまでも庚申信仰が先であり、くくり猿は後付か。ということは――
「三尸の虫を塞ぐ手段はここにある。けれども、まずは己で欲望を戒めてみよ」
 こちらの方が本尊である青面金剛の憤怒の表情に適した、厳しさと慈愛を兼ね備えた解釈だろうか。
 昔のままの庚申信仰には留まらない、一歩発展し、前向きな教えを八坂庚申堂は提示してくれているのかもしれない。

 それでは最後に、悪行に及んでしまったけれども、庚申の日の夜にはどうしても眠りたい皆様へ耳寄りな情報。
 「袋草紙」に唱えるだけで庚申の夜に眠っても大丈夫な呪文が記録されているそうだ。それが「しやむしは、いねやさりねや、わがとこを、ねたれどねぬぞ、ねねどねたるぞ」だそうだ。心配な方は一つお試しあれ。
 また、仙人修行も三尸の虫除去には有効だとか。。。

 関連作品:京都にての物語「三尸の虫

(2010/02/14)

八坂庚申堂ホームページ⇒http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/

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