平安神宮

「平安神宮」

 

 平安神宮の造りを一つ考えてみよう。
 シンメトリーに配された青龍楼と白虎楼。応天門近くに配された青龍像と白虎像。神苑内に広がる青龍池と白虎池。この必要なまでに対峙する龍と虎はなにを表わすのだろう。
 四神相応という。この平安神宮が平安京を意図して造営されたというならば、青龍と白虎がいるのだから玄武と朱雀もいるのかもしれない。探してみよう!朱雀は・・・神宮道に聳える朱の大鳥居、また応天門も朱雀に見立てることができるだろう。では玄武は・・・と探すが、あれ、玄武がいねぇ。例えば本殿、もしくは本殿に祀られる桓武、孝明両天皇を玄武と見立てると・・・なにを護りたいのかわからない。まさか平安神宮の中心にお宝が眠るのか?んな訳ないだろう。ということは、やはり本殿を守護する為の玄武が神宮外に・・・と思って地図を見てみるが、それに当たりそうなものがない。なんだ、この不完全燃焼な感じは。それともなにか、北山から流れてくるという風水的エネルギーを受け止める器の形状を狙ったのか?イメージとしては成り立つような気がするが・・・やっぱり違うだろう。
 なんだ、この適当な感じは!?
 と、なんとか幻想京都を演出したかったが、どうやら平安神宮にはその要素はなかったようだ。

 平安神宮は明治28年(1895)第4回内国勧業博覧会に併せ平安遷都1100年を記念し、遷都を敢行した桓武天皇を主祭神として大内裏の朝堂院を模して造営された。昭和15年(1940)には平安京最後の天皇である孝明天皇も合祀され、現在に至っている。
 では平安神宮はどのような意図を以て創建されたのだろうか。実は平安神宮が創建される数年前に似たような神社が奈良に創建されている。それが神武天皇を祀った橿原神宮だ。当時の明治政府は国家神道を推進しており、その時代に内務省の許可を得て生まれた橿原神宮や平安神宮はその一貫として創建されたとみておかしくないだろう。ただし、表向き創建はあくまでも国民の要望であり内務省は許可を与えただけということになっているのは、大人の事情。
 それともう一つ、管理人は政府の意図を勝手に想像してみた。それは平安神宮は政府から京都市民に与えられた飴玉だったのではないだろうか。明治維新後、明治政府は天皇を東京にお移り頂こうと考えたが、京都市民の大反対を受ける。そこで政府は一時的な行幸であると説明し、天皇は東京に移られた。当然正式な遷都ではないのだから京都市民は天皇の帰京を待ち侘びた。けれど、政府に天皇を京都に帰すつもりは最早なく、その代わりとして平安神宮の創建となったのではないだろうか。「ほーら、お望みの陛下ですよぉ~。しかも平安京を造営された桓武天皇。嬉しいでしょ?」みたいな。

 ところで、当の京都市民は平安神宮をどう受け入れたのだろう。京都市では平安神宮創建当時がら市民による平安講を組織し、京都三大祭の一つに挙げられている時代祭を執り行うなど全市民に親しまれている平安神宮というイメージがあるが。
 京都出身の入江敦彦さんの著書「京都人だけが知っている」の中の【桜】の項で以下の様に書かれている。
「よそさんの花見所感が強い人工的京都の雛形「平安神宮」に比べ御所は、いかにも地元民の花見所らしいのんびりとした良さがある。小説の背景にこちら御所ではなく平安神宮を選んだあたり、谷崎(細雪)も康成(古都)も所詮よそさんやなあと京都人は考えたりする」
 もちろん一京都人の記述なので全京都市民を代表する言葉と判断はできないが、これを読むと「人工的京都の雛形」という認識はあるんだなぁと感じる。今回平安神宮についてあれこれ考えてみたのだが、神社というよりも、どうも「観光都市京都の象徴」というイメージから脱却できなかった。
 そう考えると、京都市民は平安神宮を政府から与えられた飴玉と知りつつも、それを受け入れた。ただしそれは明治天皇の身代りとしてではなく、新たな京都の生きる道の象徴として受け入れたのではないだろうか。明治維新により衰退が激しかった京都の生きる道、それは観光都市としての道。

 政治的思惑で創建され、観光都市の象徴として受け入れられた平安神宮。そりゃ幻想の入り込む余地はないわな。
 けれど、谷崎潤一郎や川端康成が称えたように神苑の桜は美しく、それこそ幻想的だ。ええ、よそさんだからいいんです。
 それに管理人はまだ見たことがないが、6月初旬に行われる「京都薪能」もさぞや幻想的だろう。
 京都の歴史が生む幻想や、古寺社が醸す幻想とは異なり、それは共に意図して創造された幻想だが、これもまた京都の魅力でもある幻想の一つに間違いない。

 最後に。一応。
 上記したように時代祭は平安神宮の祭礼で、管理人も一度拝見したが・・・幻滅?
 どうも、ああダラダラやられてしまうと夢を見ることもできない。列の行進が停滞すると明らかに出演者がだらけてくる。まぁ、プロでもなく出演料を貰っている訳ではないからだらけるのもわかるが、だらけている人を見ていてもなんも面白くない。行進が停滞しないように工夫できれば、また違ってくると思うのだが、あの停滞は交通事情なのだろうか。
 いちよそさんの、一回だけ見た感想。。。

 関連作品:京都にての物語「どれも運命

(2010/05/09)

平安神宮ホームページ⇒http://www.heianjingu.or.jp/

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