鹿王院

「鹿王院」

 

 山門を潜ると、そこには吸い込まれそうな一本道が延びていた。なぜ吸い込まれそうといえば、左右に迫る木々の枝葉が、木漏れ日さえ僅かに道を包み込むようにトンネルの様相を呈していたからだ。訪れたのは初夏でもあり、暑さに心地良き清涼呼び込む緑のトンネル。
 また、鹿王院は紅葉の名所であるという。なるほど、トンネルを成す木々が紅葉した様は、また趣を変えて、さぞかし華やかな美しさに包まれることだろう。

 鹿苑寺と鹿王院。ちょっと意識をしなければ『鹿』繋がりで混同してしまいそうな二つの寺院。前者は金閣で有名な足利義満の山荘であった北山殿を禅寺にしたもの。そしてこの鹿王院はというと、実はこちらも足利義満へと繋がる。
 康暦元年(1379)年のある夜に見た「大病を避ける為には寺院の建立を」との夢告に従い、足利義満は翌年に宝幢寺を建立した。開山は春屋妙葩が務め、後には京都十刹第五位に列せられる名刹となった。そして嘉慶元年(1387)に開山堂を建立することになったのだが、その際に野鹿が多く集まったことから開山堂は「鹿王院」と名付けられたと伝わる。
 後に京の町を焼き尽くした応仁の乱は、宝幢寺をも焼き尽くし廃絶させてしまったが、幸いにも鹿王院だけは残され、寛文年間(1661年~1673年)に徳川四天王として名高い酒井忠次の子である酒井忠知によって再興され、更にその子である虎岑玄竹が中興開山となった。

 さて、現在の鹿王院の見どころは、上記した山門から中門まで続く参道。そして、客殿から望める本庭。この本庭は悠然と広がり、遠く嵐山の山容を借景にし、のびのびとした眺めが心を安らげ、紅葉の時期にはまた見ものであろう。
 本庭の中央に位置するのが舎利殿(駄都殿)で、ここには鎌倉将軍源実朝が宋お国から招来したという仏牙舎利が多宝塔に安置され祀られている。また本堂には、運慶作の釈迦及十大弟子が祀られ、後壇の右に開山普明国師(春屋妙葩)、左に足利義満の像が祀られている。

 以上、見どころを挙げてみたが、紅葉こそは華ではあるが、正直それ以外の時期となると、これといったインパクトはない。実は訪れた時も他に拝観者の姿はなく、ぽつりと客殿前に座る時を過ごしてきた。
 ぽつりと座りつつ、一つ思ったのは、禅寺にしては鹿王院には謎がないのである。大概の禅寺の庭では白砂や石を用いて意匠を凝らし謎を作り出し、訪れたものは、その意匠をどう見立てるのか、どういう意味があるのかと、まるで禅問答を楽しむように推理を楽しむ。謎は人の好奇心を強く惹きつけるものだ。その傾向として最も有名なのが龍安寺の石庭となるのだろうが、そういう意味において鹿王院の本庭は実に悠然としており、とてもそこに謎が潜んでいようなどという一種の緊迫感を窺うことができない。故に、非日常を望む旅行者にとっては、訪れる魅力の物足りなさを感じてしまうのかもしれない。
 しかしだ、見方を変えれば、これはこれで最高!やった、独り占め!個人的にはこの静けさ、広がる景色、いらん事を考えずに過ごす、たゆたう一時が、却って大のお気に入りになってしまった。そもそも、禅寺を訪れるならこうでなくては、という個人的願望を満たしてくれる。

 華やかな景色を望むならば、人が多かろうが、やはり紅葉時が訪れるベスト。
 それよりも、のびやかなる一時を過ごしたければ、紅葉時を外すのがベスト。
 さて、あなたが鹿王院を訪れるベストの時はいつになりましょうか?

 なお、鹿王院では女性専用の宿坊、禅道場を開設されているようなので、興味がある方は一度訪ねてみるのもいいかもしれない。

 関連作品:京都にての物語「夢告

(2012/11/24)

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