蛸薬師堂

「蛸薬師堂」

 

 蛸。
 生物分類上、動物界―軟体動物門―頭足綱―鞘形亜綱―八腕形上目―タコ目の総称

 薬師如来。
 薬師瑠璃光如来とも呼ばれ、東方浄瑠璃世界の教主。また大医王仏とも呼ばれ、医薬を兼備し衆生の病苦を救うとされている。

 蛸と薬師如来――
 まったく関連性のなさそうな両者がいかに結びつき『蛸薬師(たこやくし)』となったのか。
 説は大筋2つある。
 1つは、かつて薬師如来像が池の中の島に安置されていたことから『水上薬師』とも『沢(たく)薬師』とも呼ばれたことから、それ が転訛し『蛸薬師』となったもの。
 2つめは、善光と言う僧の母が病で苦しみの中「蛸が食べたい」と望んだ為、善光は母の願いを叶えようと蛸を買うが、その帰途、僧侶が生蛸を購入したことを不審に思った人々に咎められ、蛸の入った箱を無理やりに開けさせられたが、善光が薬師如来に救いを願ったところ、蛸は八軸の経巻に変わり、霊光を放って善光を咎めた人々を包み、善光は難を逃れた。やがて八軸の経巻は再び蛸に戻ると、近くの池に入って瑠璃光を放ち、その光は善光の母の病を癒したという。
 単純に推測すると、まず1つ目の名称の先行、転訛があり、それに因んだ2つ目の伝説が生まれたと考えられるのではないだろうか。
 ともかくも『蛸薬師』は誕生した。
 蛸薬師は余程京都の人々に愛されていたのだろう。市内には『蛸薬師町』という町名や『蛸薬師通』という通りの名としても使用さ れている。

 蛸薬師堂。正式名称を浄瑠璃山林秀院永福寺という。
 創建は養和元年(1181年)とのこと。一人の富者が髪を落とし林秀と号して室町に住んでいた。林秀は比叡山の根本中堂の薬師如来を深く信仰し長年に渡って月参りをしていたが、老いと共に月参りが難しくなってきた為、薬師如来の仏前で住まいの近くに安置する薬師如来の変わり身を願った。すると夢枕に薬師如来が現れ伝教大師(最澄)が彫ったという石造りの薬師如来のありかを伝え、それを得た林秀は六間四面のお堂を建立したのが始まりという。場所は二条室町に残る『蛸薬師町』の西側にあったようだ。
 現在の場所に移動したのは豊臣秀吉の治世の頃で、都の東の端の城壁代わりとして寺町が造られる際に二条室町から移されたそうだ。
 またその頃、永福寺は円福寺に統合されたともいう。その円福寺は近年になり愛知県額田郡(岡崎市)に移され、入れ替わる様に妙心寺が移ってきたという。
 現在、蛸薬師堂(永福寺)の裏手に妙心寺が位置し、蛸薬師堂境内の右手からそのまま妙心寺へと出られる為、一見すべてが永福寺かと勘違いしてしまいそうになるが、一応異なる寺院となっているようだ。

 初めて蛸薬師堂を訪れた時の感想。
 なお、妙心寺も含めた感想。
 ――混沌(カオス)だ。
 いろんなモノが溢れている。まず、狭い境内に赤の幟が多数並びはためいている。
 蛸薬師堂前、及び堂内には、これでもかというぐらいの蛸、たこ、タコ 蛸――
 蛸薬師堂の右手から妙心寺へ抜ける通路があるのだが、そこには寺院の方が書いたであろう紙に書かれた文字かそこかしこに貼りつけられ、掲げられたホワイトボードには参拝者の祈願の言葉が並び、その通路を捉えるように監視カメラが設置されている。
 その先に行けば妙心寺の阿弥陀堂があるのだが、堂前には様々な置物が置かれ、中には『グチ聞き地蔵』なる小さな地蔵尊もあって、右手を右耳に当て聞く仕草をしつつ、左手は前に突き出している。そしてそこには小銭が・・・見返りを求めているのか?地蔵尊が?
 堂前の庭には所狭しと草木が生え、小さな池があり、休憩スペースのように机と椅子が置いてある。
 阿弥陀堂に向かって左手には『京極七福神』の小さな社殿があり、右手奥には奥から『京極観世音菩薩』『京極大黒天』『京極三社稲荷』と小さな社殿が並ぶのだが、大黒天像が祀られているその傍らにはゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクターであるねずみ男の置物が置かれていた。他に動物のねずみの置物もあり、なるほど、ねずみは大黒天の使いといわれる。だからねずみ男が置かれているんだ、と理屈では納得したのだが・・・なんか違うような気がする、としっくりこない感覚を覚えた。
 なんだろう。落ち着かない。ざわざわとしている。騒々しい。決して音の騒がしさではない。様々な存在が騒がしい。
 そして浮かんだ言葉が――混沌(カオス)。
 ついでに頭に流れた音楽は、ゆずの「ユートピア」。「打ち鳴らせ♪打ち鳴らせ♪」(たまたま訪れた頃に聴いていた)
 ある意味、この騒々しさもパワーか。心休まるばかりが信仰ではない。祈願する者に力を焚き付けるのも信仰であろう。
 善し悪しではない。これはこれでいいのだ。
 ただ、個人的にはやっぱりザワザワする。さすが京都有数の繁華街にある寺院、とも言えるか。

 蛸薬師堂の一番手前に木製の蛸が置かれている。木札に『なで薬師』とあり、横の説明書きには「御賓頭蘆蛸(おびんずるだこ)左手でふれるだけで全ての病が癒されると云われている」と書かれていた。
 蛸に願いを?
 蛸なのに?
 それでも、蛸は実に艶やかだ。多くの人が触れたその艶にこそ、人々の深い信仰が伺える。
 蛸と薬師如来が結びつくのは一見不可解だが、人々が覚える親しみやすさという意味では、高尚な薬師如来でいるよりも、より人々に身近な存在である蛸を媒介とすることで、蛸薬師は現代にも続く信仰を受けるに至ったのではないだろうか。
 親しみと雑多なるパワー、それこそが蛸薬師の持ち味か。
 さぁ、病に打ち克とう!

 関連作品:京都にての物語「具戒清浄

(2015/05/31)

蛸薬師堂(永福寺)ホームページ⇒http://www7a.biglobe.ne.jp/~takoyakusido/

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