出町妙音堂

~年齢=(欲)=試練?~

<登場人物>
・野秋泉(のあきいずみ)・熊耳健美(くまがみたけみ)

 

 河原町今出川でバスを降りると、相変わらずの雨が早いテンポで傘を叩いた。多くの車が路面の水を切り裂く音を立てて行過ぎる。
 今出川通を渡って北に歩き、すぐの道を右折する。そうすれば右手に白石の神明鳥居が見えてくる。額束には『妙音天』とあり、左右に掲げられた提灯には菊の御紋と併せて『妙音弁辨天』とあった。
「タケさん、ありました」
 先を歩いていた野秋泉は熊耳健美を待たずに鳥居を潜った。
 境内には雨粒を弾く石畳敷かれ、その左右には低く簡素な竹垣が巡り、内側には樹木が植えられている。入ってすぐの正面には建物があり、石畳は右に折れ二手に分かれている。右手に折れた正面には本堂があり、左手の石畳をゆけば、奥に小さな豊川稲荷社がある。本堂の左手にある建物が寺務所で、それらが狭い境内に密集して立っていた。
 梅雨入りした京都。ものの見事に雨。ここ数日気温は上がらず、この日も肌寒い風が吹いていた。二人は長袖にパンツ姿。足元のスニーカーはこの雨でじっとりと濡れていた。
 二人は会社の同僚で健美が三歳年上。冷静沈着で仕事ができ上司の覚えも目出度い健美に比べ、泉は元気も人一倍、そそっかしさも人一倍。職場ではよく健美に叱られている。けれども泉は健美によく懐き、健美も泉を可愛がっている。こうして二人で遊びに出ることも多い。
 今回は泉の提案で京都の七福神巡りにやってきた。
「タケさん、最近幸せですか?」
「なに、いきなり」
「いやね、なんかいいことないなぁと思って」
「そうなの?」
「そうなんですよ。だから福を呼びに七福神巡りに旅立ちませんか?これも立派な今流行のパワースポット巡りですよ」
 という流れで話が進み、
「どうせなら京都にしましょう」
 となった。けれど七福神巡りの元祖ともいわれる京都には調べると数種の七福神巡りがあるようで、
「どれが一番いいんですかねぇ?」
 とまるで生死がかかった決断でも迫られているように泉は健美に縋った。最新の世の中の動きには明るい健美もこれにはお手上げで結論を出し兼ねていると、
「こうなったら、全部回りましょう!」
 と週末の休みを利用し数日に分けて各所を巡る計画を泉は張り切って立てた。
 今日がその初日。大黒天を祀る松ヶ崎大黒天こと妙円寺をまず訪れ、次に弁財天を祀るこの出町妙音堂を訪れた。出町妙音堂は京洛七福神や京都七福神と呼ばれる七福神巡りで弁財天を割り当てられていた。
 この出町妙音堂の始まりは西園寺家の北山弟にあり、池のほとりに立てられた妙音堂こそ出町妙音堂に繋がる。西園寺家は鎌倉幕府を後ろ盾に権力を握ったが代々琵琶の宗家としても有名で、音楽を始めとする芸能上達を司る弁財天を祀った妙音堂では琵琶秘曲の伝授が行われていたという。しかし、鎌倉幕府の崩壊により西園寺家も権力を失い、荒れるままになってしまった北山弟はやがて足利義満の手に渡り既存の建物は全て取り壊され、今に残る金閣寺こと鹿苑寺が建てられた。その後、流転を続けた妙音堂は明治三十四年に至り現在地に再建された。
 二人は傘を傍らに置いて本堂の前に立った。傘を叩く雨音よりも、硬質な屋根を叩く雨音が頭上に響く。
 妙音堂は鳥居を備えるが厳密にはお寺であり、現在は相国寺の飛び地という扱いになっている。その為、本堂の前に掛かるのは鈴ではなく鉦で、賽銭箱に落とした硬貨の弾む連続音を確認し、二人は交互に綱を揺らして甲高い鉦の音を聴いた。
 合掌し願いを籠める。
 風が樹木を騒がせた。
 遠くで車のクラクションが鳴っている。
 先に目を開けたのは健美で、傍らの泉は目尻に皺を波打たせるほど強く目蓋を閉じて熱心に唇を動かし続けていた。その姿が可笑しくも微笑ましく、健美は泉が合掌の手を解くのを正面の本堂を眺めつつ待った。
「ところで!」
 と、泉は合掌を解くや辺りを見回した。
「六角堂はどこですかね?」
 傘を拾い本堂の脇を歩き出した。
「タケさん、ありましたよ、六角堂!」
 まるでそこに幸運を見出したような喜びようで泉は健美を手招きしつつ本堂の裏手に姿を消した。招かれるまま健美が本堂を回りこんで見ると、そこには黒く滲んだ木柵に囲われた白壁の、二重の瓦屋根を頂く六角形の小さな建物があった。
 京都に向かう電車の中で、泉は妙音堂について調べた情報を健美に伝えた。
「出町妙音堂には六角堂があって、その周りを歳の数だけ回って一心に祈願すれば成就間違いなしらしいですよ!」
 早速泉は回り始めようと左右を見比べていたが、
「どっち回りで回ればいいんですかね?」
 困った様子で健美を振り返った。
「そこは調べてこなかったの?」
「そこまでは書いてなかったんですもん」
 頼られてもこれに答える術はなかったが、一般的には時計回りが常道だろうという理屈を以て二人は左回りで歩き始めた。
 傘を叩く雨音のリズムはそのままに、周囲の樹木を打つ雨音はさやさやと囁いた。ぬかるむ足元を選びながら、二人はまず一周を終えた。
「これってしんどくないですか?」
「なら、止める?」
「・・・やります」
 願いを抱きながら黙々と歩く二人。順調に周回を重ねていくが、時が経てば集中力は途切れ、思考はあらぬ方向に飛び、雨音が耳を打ち続ける感覚にいつしかの思い出が不意に甦る。
「そういえば中学の頃、親と喧嘩してこんな雨の中を一日中歩いていたことがあったなぁ」
 先を行く泉は足元を見詰めながら振り返りもせずに呟いた。
「一日中ずっと歩いてたの?」
「そうなんですよ。欲しいものがあったのに買ってくれないっていうから拗ねて」
 泉は自嘲に肩を揺らせた。
「だけど歩き続けている内に、じゃあどうしたら買って貰えるんだろうって考えて、家の手伝いするからいいでしょ!って帰ったら半ギレで交換条件を叩きつけてやりましたよ。で、約束通りに家の手伝いをして、ようやく買って貰いましたけどね」
「頑張ったんだ」
「ええ、我ながら」
 泉は振り返り自慢を装った笑顔を見せた。
「けど、こんな雨の中なにやってるんでしょうね、私達って」
 今度は苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、止める?」
 健美は微笑み、優しく尋ねるように首を傾げた。
「止めませんよ。止めませんけど・・・しんどくないですか?」
「確かにね。でも、泉の話じゃないけど、なにかを得ようとすれば、それなりの代償が必要ってことじゃないの。そう考えればこれは妥当な試練ってことね」
「ええ!お賽銭をしてちゃんとお祈りしたのにですか?」
「泉の親御さんと同じで、神様もそう甘くはないってことよ」
「ええ~!ええ~!」
 その後も泉は埒もない文句をたらたら口走りながら歩いていたが、それでも足取りは調子を取り戻しこの試練を割り切ったように自分の齢と同じ周回を終えた。
「タケさん、あと三周ファイト~!」
「はい、はい」
 さすがに健美もだいぶ疲れてきていたが、それでも泉の必要以上な声援に背中を押されて自分の齢に追い付いた。
 二人は六角堂の正面に改めて立ち、揃って手を合わせた。
 突然雨が強くなった。風に煽られ波のような旋律を響かせる雨音は、まるで琵琶の奏でのように二人を包んだ。

 雨が弱まるのを待って二人は妙音堂を後にした。
「でも、なんで年齢と同じ数だけ回らなくちゃいけないんですかね。苦労は若い内にしろっていうじゃないですか」
「もしかしたらそれだけ欲深くなるってことじゃない?泉はどうなの、沢山お願いしていたみたいだけど?」
「それは、まぁ・・・確かに」
 図星だった泉は照れ笑いを浮べ、健美も良く笑った。
「そういえば、泉が欲しがっていたものってなんなの?」
「ギターですよ。そのころ始めた友達がいて、私もやりたいなぁと思ったんですけどね」
「泉がギターねぇ。意外」
「残念ながら手が小さくて押さえられないコードが多かったからさっさと諦めましたけどね。でも、またやってみようかなぁ、実家に置いたままだし」
「そうしたら。妙音堂で思い出すなんて、なにかの縁かもよ」
「そういえば琵琶とギターって似てますよね、同じ弦楽器ですし。これってもしかしてご神託ってやつですか?な~んか今度は、とっても上手くいきそうな予感です!」

(2010/06/13)

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