鹿王院

~夢告~

<登場人物>
・俺

 

 この寺は、夢から生まれた。
 山門を潜ると、石畳が一直線に続いている。左右を覆う木々は緑のトンネルを形成し、まるで別世界へと誘われるかのようだ。
 寺の名は鹿王院。京都有数の観光地である嵐山から少しだけ西側に外れた位置にある。その由縁は、室町幕府三代将軍義満が見たという夢で、なんでもその年に義満は大病にかかってしまうが、宝幢菩薩を祀る寺を建立すれば大病から逃れ長寿が保たれるというものだった。夢告に従った義満は寺を建立した。当初興聖寺と名付けられ寺は、後に宝幢寺と改称し隆盛を極めた。しかし、応仁の乱で寺は衰退し、開山堂として建立されていた鹿王院だけが残り、今に法統を伝えていた。

「俺は医者になる!」
 ある日、兄貴は突然宣言すると、猛勉強の末に本当に医大に入ってみせた。今では勤務医として京都にある病院に勤めている。
 そんな兄貴に京都に遊びにこないか、と誘われた。どうやら大学を出たはいいが、就職もせずにフリーターとなってしまった俺に業を煮やした両親が兄貴に相談したようだ。俺の心中を量ろうという魂胆は見え透いていたが、京都は好きなので話に乗った。
 京都に着いたその日の夜。入った居酒屋で一杯目のビールの飲み干す前に、兄貴は単刀直入に尋ねてきた。
「で、どうする気なんだ?」
 自分の夢を堂々と宣言できるような人だ。明快な答えを要求する。
 正直、今の所上手くはいっていないが、俺にだって目指すところはある。けれど、俺は兄貴とは違う。宣言する必要はなく、自分自身で結果さえ残せばいいと思っている。他人に自分の想いを吹聴するのは、なんだか軽薄な気がしていた。
「まぁ、どうにかするよ」
 俺は曖昧に誤魔化した。兄貴は数度、話の角度を変えて追及してきたが、やんわりとその矛先を躱していると、機にあらずと悟ったか、構えていた矛を収めて後は思い出話に花を咲かせた。

 翌日、兄貴は病院に出勤し、夜に合流する予定で俺は一人京都観光に出た。
 晩夏の京都。未だに衰えない日差しの下を辿り着いたのが鹿王院。その名は以前より知っていたが、詳細までは知らず、訪れる予定を立てた段階でガイドブック程度の知識を頭に詰めて、今回初めて足を踏み入れた。紅葉の頃には多くの人で賑わうようだが、幸いに晩夏の平日ということもあり、他に観光客の姿は見えず、山門より内、我が身が踏み入った空間が醸す情緒を思う存分に楽しみながら中門へと向かった。
 中門を潜ると前庭があり、その先の庫裏へと石畳は続いている。
 庫裏の入り口で拝観料を支払い、靴を脱いで薄暗い庫裏の廊下を渡り客殿前へと出る。
 薄闇の中を抜けて再び日差しを感じ眺めた先には、二階建ての舎利殿を中心に据えた本庭と、舎利殿の右手にある本堂との間に遠く望む嵐山の山並みが、感覚的にバランスの良い、とてもしっくりとくる見事な配置で展開され、これは、と持参したカメラを構えずにはいられなかった。斜に構えた舎利殿の角度、その下半分を程よく隠す、日差しを浴びた鮮やかな緑を盛り上げる木々の姿も構図的に好ましい。本庭は、禅寺の庭で良く見られる白砂は客殿前に僅かに敷かれているだけで、大半は剥き出しの平らな地面に赤茶けた苔が敷かれ、その所々に石組や樹木を配置し、南方向に奥行きを持っていた。
 一人である事を幸いに、背負った荷物を下し、廊下に足を投げ出して呆然とその景色を眺めた。空を見上げれば浮かぶ白き雲もまばらで、遠き秋空にはまだ早い、濃密なる青を湛えていた。
 心地良き、ひととき。
 ようやく腰を上げて廊下を先に進み、用意されたスリッパを履いて瓦敷の歩廊を本堂へと向かう。本堂内部の正面には、運慶作の釈迦及十大弟子が安置されており、後壇に回り込むと、開基である足利義満の坐像が安置されていた。
 本堂を出て更に歩廊を進み、今度は舎利殿へと向かう。扉を開けると、すぐ正面に涅槃図が掲げられていた。涅槃図とは釈迦の入滅の様子を描いた絵のことで、舎利殿に入ってすぐのところに掲げられているのは、暗に舎利殿のいわれを説くためだろう。というのも、この舎利殿とは、釈迦の遺体を荼毘に付した際の遺骨、その中でも釈迦の歯である『仏牙舎利』を安置している建物だからだ。『仏牙舎利』は内陣中央の須弥壇上の大厨子内に、多宝塔に収められる形で安置されている。精緻で豪華な大厨子の四方には四天王が配され『仏牙舎利』を護持していた。
 掲げられた説明書きによれば、この『仏牙舎利』を宋国より招来したのは、鎌倉幕府三代将軍源実朝だということだ。
 源実朝――ああ、実朝といえば、宋への渡航を夢見ていた人物と記憶する。
 実朝が宋への渡航を夢見た切っ掛けは、舎利殿の説明書きにも記されているが、実朝が中国律宗の開祖南山道宣律師の再来であるという夢を見たからだという。実朝は夢を実現するべく、渡航船の建造を命じた。しかし、将軍の乗せるに相応しその巨船は、海には浮かぶことはなく実朝の渡航計画は頓挫し、後に実朝は暗殺されてしまった。一説に、渡航計画に反対する、時の執権北条義時の計りにより、船は当初から浮かぶ設計にはなっていなかったともいう。
 実朝の夢は破れた。海に浮かぶことなく打ち捨てられた巨船を、実朝はどんな想いで眺めただろうか。そんな実朝の心情に想いを巡らせると、実朝が願って宋から招来されたという『仏牙舎利』は、実朝の夢の欠片であるかのように思えた。
 『仏牙舎利』に対する敬虔さというよりも、実朝の夢に想いをはせながら、大厨子に向かい手を合わせて舎利殿を出た。
 辿ってきた歩廊を戻り、スリッパを脱いで客殿前の廊下に戻る。そこから、もう一度眺めた景色は、見た目には変わらなかったが――

 舎利殿を見る。そこには実朝が招来した『仏牙舎利』が安置されていて――
 実朝は宋への渡航を夢見、巨船を建造させ――
 ああ、この舎利殿は、実朝が建造させた巨船の見立てではないだろうか?
 禅寺の庭には見立てがつきものだ。有名なところでは龍安寺の石庭などがあり、無作為に配置されているように見える石や樹木にも、意味を持たせているという奴だ。龍安寺の石庭でいえば、中国の故事である「虎の子渡し」を見立てたものだとする説が有名だ。正直、このどこか開放的な本庭を眺めた時、そんな禅寺の庭らしさ、無駄を極力省いた収斂的な造形とは感じられず、そんな見立てが存在するようには思えずに、ただ見たままの開放感を楽しんでいたのだが。
 舎利殿は、実朝の夢の再現ではないだろうか?何の為に?実朝の魂の慰めの為に?けれど、船は浮かばない。それでは絶望の繰り返しになってしまうのではないだろうか――
 とするならば、舎利殿の周囲を囲むように広がる庭は――海か!この景観は、海に浮かぶ巨船を見立てているのか!そう見立てれば、舎利殿の周りの木々は船に打ち寄せる波頭に見えてくるようだ。ついに実朝は船上の人となって海に漕ぎ出したのか!これは、実朝の夢を実現しているのか!
 いや、それだけではない。船にはすでに『仏牙舎利』が乗せられている。『仏牙舎利』は元々宋にあったものだ。ということは、この舎利殿が見立てる巨船は、すでに宋へと辿り着いたということにはならないだろうか!
 舎利殿が建立されたのは江戸期のことだという。建立者の正確な意図は計り知れないが、もし建立者が実朝の夢を知り、鎮魂の為に夢の成就を表現したとしたならば――

――ああ、実朝の夢は、ここに叶えられたんだ――実朝の夢を知る者によって。

 昨日の晩、居酒屋で兄貴は懐かしむように言った。
「お前にも助けられたなぁ。――お前がお年玉や、こずかいを、俺が参考書を買う費用に回してくれていたんだってな。お母さんから聞いたよ」
「――なんだ、知ってたんだ」
 だって、それは、あんなに堂々と夢を告げられて――
 自分が応援できることは、なんだろうって考えて――

 一人の人間が抱いた夢は――他人の夢を巻き込むことで、より成就に向けて大きく成長するものなのだろうか?
 もし、そうであるとするならば――

 どうか聞いて欲しい。俺の夢は――

 きっと、夢を語ることが軽薄なのではないのだろう。
 本当に軽薄なのは、俺の夢に対する覚悟だったのかもしれない。

 俺の目には、とても晴れ晴れとした表情を浮かべ遠き行き先を見詰める実朝の姿が、舎利殿――船上に見えるようだった。

 この寺には、今も夢が生きている。

(2012/11/24)

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