藤森神社

~女の矜持~

<登場人物>
・平野妙子(ひらのたえこ) ・加山恭介(かやまきょうすけ) ・浜内波瑠(はまうちはる)

 

 南門の石造鳥居を潜ると、砂地の参道が長く続き、両側に植えられた並木が、茂らせる枝葉により形成したトンネルの先に、社殿は遠く望まれた。
「5月5日の藤森祭の際に、ここを馬場として駈馬神事が行われるそうです」
「だから競馬の神様?」
「それと、ここは菖蒲の節句の発祥の地といわれ、菖蒲は尚武、そして勝負に繋がることから、勝運を呼ぶという信仰があって、それに駈馬神事が重なって、競馬関係者の信仰が生まれたということです」
「ふーん――好きなんだね恭介は」
「なにがですか?」
「こういう調べ事」
「嫌いじゃないですよ。それに調べとけって言ったのは平野さんじゃないですか」
「だって、どうせなら勝ちたいじゃな~い」
 平野妙子は加山恭介と変わらない長身の膝を屈め、首を傾げて恭介の顔を下から覗き込むようにおどけて見せてから、ウェーブがかった栗色の髪を靡かせてしなやかに反転し、砂地をゆっくりと踏みしめて社殿の方向へ歩き出した。
 桜の季節が過ぎ、時に風が肌寒く感じつつも、日差しには程よい温もりが宿る頃。
 心持顔を上げて弾むように先を行く妙子の背を眺めつつ、調子を合わせて恭介と浜内波瑠が後に付く。
「主任は楽しそうですねぇ。私は明日からの事を考えると・・・胃が痛くなりそうですよ」
「なに言ってるの、波瑠。だからこそ、今日を楽しまないと」
「でも、今回はなかなかやっかいですよ」
「恭介まで、びびってんの?」
「びびってはいないですけど、面倒そうじゃないですか。どうもクライアントは平野さんのこと気に入らないみたいだし」
「私が女だから?」
「クライアント、古い業界ですからねぇ」
「今時、女のエンジニアぐらい、いくらでもいるって話よねぇ、波瑠」
「まだまだ男性優位は事実ですけどね」
 三人は同じシステム会社に勤める同僚で、妙子は恭介と波瑠が所属するチームの主任を務めていた。アラフォーの妙子は経験豊かなエンジニアで技術もしっかりとしていたが、それでも今回システム構築の依頼をしてきたクライアントが地方の老舗の建設業者で、かつ代表が高齢とあって、主任である妙子が女性であることに抵抗ある態度を露わにしていた。その上、要望するシステム要件、納期、費用ともに、なかなか厳しい条件を突き付けられていて、恭介や波瑠を始め、開発チームのメンバーには不安な空気が漂っていた。
「要は結果でしょ。勝てばいいのよ」
 開発の本格着手前、最後の休日。妙子は恭介に頼んで京都競馬場へと連れて行って貰うことにした。それと、チーム内で唯一の女性部下、波瑠も誘った。
 元々趣味ではないのだが、競馬好きの恭介からは度々話に聞いていたので競馬に興味がない訳ではなく、開発着手を前に息抜きと合わせて、ちょっと運試しに、と思い至った。運試しを思い立つ時点で妙子自身の開発への不安が見え隠れするが、勝てば勝ち癖、負ければ不運を使ったと思い定めて「よしっ」と気合を込めて京都へやってきた。
 早速、京都競馬場――のその前に、訪れたのが藤森神社。これも恭介から教えられて、せっかく行くからには勝ちたいと、恭介に下調べを頼んで必勝祈願とばかりに訪れたのだ。
 正面の拝殿が徐々に迫る辺りの左手に、絵馬舎が建っていた。通常絵馬舎といえば奉納された、モノクロな馬の絵が描かれた大きな絵馬が納められているのだが、藤森神社の絵馬舎ではさすがに競馬と関係が深いだけあって、実在の競走馬をモデルにジョッキーが跨った姿をカラーで描いたものが掲げられていた。詳しい恭介などは、かつての名馬の名を見付けては、一々声を上げて喜んでいた。
「競馬はデータですからねぇ。今まで神頼みなんか考えなかったから来なかったですけど、これはこれで面白いですね」
 絵馬を一通り眺めた三人は、絵馬舎を出ると拝殿を過ぎ、本殿前に立った。本殿手前左手に石柱が建っており、その表面に『学問の祖神舎人親王御神前』と書かれていた。
「競馬の神様?」
 と波瑠が訊く。
「『学問の祖神』って書いてあるやん」
 的外れな質問に、恭介の言葉が素に戻る。
「詳しいことは省きますけど、なんでもこの藤森神社っていうのは三つの神社が合体してできたそうで。その一つに日本書紀の編纂をした舎人親王が祀られているそうです」
「じゃあ、私達は誰にお願いすればいいの?」
「勝負事なんで、やっぱり武神ですかね。中でも藤森神社といえば神功皇后でしょう」
「聞いたことあるような、ないような」
「応神天皇の母親で、自身は自ら軍を率いて三韓征伐を果たしたという、それこそ古事記や日本書紀に描かれている女性です。縁起によれば、この藤森神社の創始にも関わりがあって、その名残が、確かこの本殿の右側にあるそうで」
「ふ~ん。恭介がそう言うなら、そうしよう」
 三人は本殿前に並んで立ち、賽銭を奉納してそれぞれ鰐口を鳴らして礼を施した。もちろん願うは必勝!
 参拝は済んだが、折角だからと本殿を右側に向かい、恭介が話していた「創始の名残」を訪れる。
「なんでも、三韓征伐の後に兵具を埋めて塚を築き、その上に軍旗を掲げて祀ったのが藤森神社の始まりなんだそうで。そしてこれが・・・御旗塚?」
 説明していた恭介が首を傾げる御旗塚は、現在では石壇の上に注連縄を張った木の切り株があり、その切り株を保護する為だろう雨除けの屋根が備えられた、一見すると縁起からイメージする姿とは掛け離れていた。更に駒札には『〈いちのきさん〉として親しまれており、ここにお参りすると腰痛がなおると云われ幕末の近藤勇もなおしたと伝えられている』と記されてあり――
「どうしたのかな?時代の流れかな?」
 首を傾げる妙子につられて波瑠も首を傾げ、結局三人で首を傾げる光景となった。
 が、気を取り直すように妙子が声のトーンを切り替えて、話を強引に縁起へと戻した。
「なるほど!まぁ、ここで神功皇后だっけ?は軍旗を掲げた訳ね」
「立てたって話で、本人が掲げたかどうかは知りませんけどね」
「いいじゃない。軍を従えた皇后が軍旗を手に勇ましく、って方が絵になるじゃない」
「なんか縁起からはずれているような気がしますけど・・・。けど、そのイメージって、なんとなくドラクロワの『民衆を導く自由の女神』みたいですね」
「ああ、あのフランス革命を描いた有名な絵ね。いいね。あれも、格好良いよね」
「でも、どうせなら馬に乗っていた方がいいんじゃないですか?競馬の神社だし。ジャンヌダルクなんかどうです?ミラ・ジョボヴィッチ!」
「ああ、リュック・ベッソンのね。観たの?あれ、過激よ。だいぶ前の映画だけど、波瑠はいくつだった?」
「観たのは最近です。衝撃でした」
「衝撃だったよねぇ。――でもさ、男達を率いる女性っていうイメージでいくと、ある意味、今の私もそうなんだよね」
「まぁ、野郎中心のチームを率いる主任ですからね、平野さんは」
 妙子は少時、空に視線を向けて考えるような仕草を見せると、
「・・・そうだ。折角だから、私もここで旗を掲げて、みんなを奮い立たせよう!」
 言うや、妙子は鞄を漁ってスマホとハンカチを取り出すと、スマホを恭介に手渡し、自身は二人の前に御旗塚を背にして左足を前に腰を据えて立ち、目を見開くように気合の籠った表情を作って、左手を腰に当てつつ右手に持ったハンカチを高々と掲げた。
「恭介、撮って!」
「なにやってるんですか」
「なにって、女の矜持を示すのよ。続け野郎共!」
 芝居がかった妙子の真剣な表情に、恭介は苦笑いを浮かべつつも撮影した。
 恭介からスマホを受け取り、写り具合を確認すると、妙子は開発メンバー全員に撮影した写真を添付しメールした。もちろんコメントは「続け野郎共!」
 恭介と波瑠も受信し、波瑠は「主任、かっこいいです!」と喜ぶが、恭介は苦笑いを浮かべ続けていた。
「どう、恭介。私に付いてきたくなったでしょう」
「まぁ、そうなんですけど。でも・・・掲げたハンカチが白地って不味くないですか?」
「なんで?」
 妙子は自分の思い付きにご機嫌で、スマホの画面を触りながら上の空に聞き返す。
「だって白旗って言ったら――降参の合図じゃないですか」
 うんうん、と適当に頷いていた妙子だったか、その手元が突然止まり、引き攣った笑顔を浮かべてスマホの画面から視線を恭介へと向けた。そして――
「・・・っああ!」
 恭介へ「早く言えよ!」という苛立ちとも、自身の軽率さへの後悔ともつかない、なんとも複雑な嘆息を大きく吐いて、妙子はがっくりと項垂れた。

 その日の競馬。
 妙子は絶対に白枠の馬は買わなかった。

(2013/01/27)

藤森神社ホームページ⇒http://www.fujinomorijinjya.or.jp/

京都にての物語紀行「藤森神社

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