「賀正」
<登場人物>
・沖田総司(おきたそうじ)
・土方歳三(ひじかたとしぞう)
時代:江戸期
「これでいいだろう」
総司は満足げに呟くと、改めて筆に墨を吸わせ、
『沖田総司房良(花押)。正月三日』
と、本文の横に書き加えた。ちょうどその時だ。
「総司、いるかい?」
障子を開けて土方歳三が部屋に入ってきた。
「あッ、土方さん」
総司はゆっくりと筆を下ろすと、文机に向かっていた体を歳三の方へ向けた。
2人の間には火鉢がある。歳三は後ろ手に障子を閉めるや、すぐにその火鉢に取り付いた。京の冬は江戸に比べるとひどく寒い。2人にとっては3度目の京での正月も、寒さとの戦いにあった。
本日は、慶応2年(1866)の1月3日。
「何を書いてるんだ?」
歳三は火鉢に手をかざしつつ、総司の横手にある文机の書状を覗き込んだ。
「年賀状です。小島さんへの」
「へぇ、小島兄への」
小島とは、2人と同門の小野路の寄場名主、小島鹿之助のことだ。
歳三は何気なしに中腰のまま文机に歩み寄ると、年賀状に目を落とした。
「ふーん、なる程ねぇ・・・」
何を思ったか、歳三は妙に納得したように頷く。
それを見ていた総司は不思議に思いつつも、
「で、何か用ですか?」
来意を尋ねた。
「ん? ああ、別に用があってきた訳じゃないんだがな。・・・今、用を思い付いたよ」
意味ありげな笑みを浮かべた。
「はぁ?」
何のことだかさっぱりの総司。と、歳三は思わぬことを言い出した。
「総司、俺の分も書いてくれ。佐藤芳三郎宛てで一通。土方隼人・土方伊十郎宛てで一通。頼んだぞ」
「なんですか、それは。冗談じゃないです、自分で書いてくださいよ」
「いいじゃねぇか、どうせ暇なんだろう? 俺は忙しんだよ」
「どこが忙しいんですか? とても見えない」
総司は不満気に声を荒立てた。
「これから島原にいくんだよ。こんな寒い日は、女の柔肌で暖まるのが一番だ」
「どこが忙しいんですか!」
「いいから、いいから。ほらよ、花押だけは書いといてやる」
総司の不満を上手く受け流しつつ、歳三は新しい紙を2枚取り出し、自分の花押だけを慣れた手付きで記した。
「じゃ、後は頼んだぞ」
「ちょッ、土方さん!」
歳三はさっさと逃げるように部屋を出ていってしまった。総司もそれを追いかけるが、歳三は振り返るでもなく、右手をハラハラと力なく振ると、外に飛び出していってしまった。
総司は玄関まで追いかけたが逃げられ、頬をプクッ、と膨らませた。
「私、書きませんからね」
空は厚雲に覆われ、今にも雪が降りそうだった。
この年は、新選組も平穏な正月を迎えていた。
その夜、歳三が島原から帰ってくると、真っ先に総司が近付いてきて、
「土方さん、ずるいです」
言うや、愛嬌ある怒りっ面を遠ざけていった。
今の言葉だけで歳三には分かる。総司はいやいやながらも、ちゃんと書いてくれたのだと。
「ありがとうよ」
かわいい奴だ。歳三の口元には自然と笑みが浮かんだ。