「上杉景勝」

<登場人物>

・上杉景勝(うえすぎかげかつ)
・直江兼続(なおえかねつぐ)

時代:安土・桃山期

 

「会津百二十万石を召し上げの上、改めて米沢三十万石を与える」
 本多正信は、読み上げた書状を下座に控える上杉景勝と直江兼続に示した。
 景勝の後ろに控える兼続の表情は微動だにしない。静かに承ったと頭を下げた。一方の景勝は――正信には、一瞬だが景勝の表情に安堵を読み取った。かの眉間に刻まれた縦皺が、僅かに綻んだ様に見えたのだ。正信はその安堵を、上杉家存続の安堵と捉えた。
 正信は示した書状を収めると、
「この度のお二方の潔き姿、さすがは謙信公以来の武門の鏡と感服仕りました」
 景勝の気持ちを踏まえ、会釈し敬意を表した。だが、頭を上げて再び見た景勝の表情は、あの安堵の色は自分の見誤りであったかと正信が思うほどに、いつもの険しき表情に戻っていた。
「本多殿には多くのご配慮を戴き、かたじけない」
 正信に対して、主従は会釈を返した。

 慶長六年(一六〇一)八月。前年に起こった、世に云う関ヶ原の戦いの折、西軍に組した上杉家は戦後も長く戦争状態にあったが、徳川家との交渉の末和議がなり、上杉家当主である景勝と、景勝の右腕である兼続は前月の始めに会津を起ち、上杉家の伏見邸に入った。そして今月に入り、修復が続く伏見城で徳川家康と対面し、謝罪。その数日後、会津百二十万石から、米沢三十万石への減封が言い渡された。
 伏見邸に戻った景勝は、夕食後、縁側に酒肴を置いて兼続と盃を交わした。なにを語る訳でもない。二人は黙々と盃を重ね、月を眺めては夜風を感じ、虫の音に耳を傾けては、また盃を煽った。たまに会話が始まるとすれば、それは景勝から突然始まる。
「正信に、儂の胸の内を読まれたか」
「胸の内でございますか」
「そうだ。儂は減封を言い渡された瞬間、安堵してしまったのだよ」
「・・・本多殿のあのお言葉は、その為でございましたか」
「ただし、正信はその安堵を、上杉家存続の安堵と感じたようだがな」
「違いますので?」
 景勝は盃を干した。下ろした盃に、兼続が静かに酒を注ぐ。
「兼続よ、笑ってくれんか。あの時、儂が感じた安堵は、いうなれば御館様の重荷から解放されたと感じたからなのだ」
「御館様・・・の、重荷で御座いますか」
 景勝が語る御館様とは、養父の上杉謙信のことだ。
「その方であれば、わかってくれるであろう」
 景勝の問いに、兼続は黙したまま緩やかに頭を下げた。
「こうしてみると、どうしてあの時追撃の下知をしなんだかと、不思議でならん」
 景勝が思い返しているのは、昨年の徳川家康による会津征伐の折、挙兵した石田三成討伐の為、家康が軍を西へ返した際のことだった。まさに好機とばかりに兼続は南下しての追撃を進言したが、景勝は首を縦に振らず、会津若松城に戻ってしまった。この決断が最善のものであったかどうかは一方の結果しか得られない以上判断はし兼ねるが、結果として関ヶ原における西軍の敗戦により、上杉家は今回の事態に至った。
「儂は御館様が亡くなって以来、いかに上杉家の当主らしくあれるかと励んできたつもりだが、それはなかなかに難しかった」
 御館の乱において、同じ謙信の養子である上杉景虎を自刃に追い込み家を継いだものの、乱の影響で家中は統一を失い、また織田信長の侵攻により一時は上杉家滅亡の危機に瀕した。本能寺の変により滅亡の危機は脱したものの、その後豊臣秀吉とは和議の上、臣下の礼を取ることとなってしまった。謙信在命中の頃と比べると会津転封に伴い領地は増えたが、他家を戦慄させた上杉家の威風は、影を潜めてしまった観が否めない。
「御館様の影ばかりを追わずに、己を知ればよかったのだ。だがあの時、それでも儂は御館様を求めてしまったのだ。御館様ならばどうするかと――」
「・・・御館様ならば、背を向けた敵を討つを好みますまい」
 兼続は微笑を湛えた。謙信の側近くに仕えていた兼続には、景勝の気持ちが痛いほどにわかる。それほど、謙信の存在は大きかったのだ。
「米沢三十万石・・・儂にとっては、分相応と思ってしまったのだ。これが儂なのだと」
 普段笑わない男が、自嘲の笑みを浮かべた。
「惜しい。あの時に今のような心持ちでいられたならば、その方の献策を受け入れられたものを。実に惜しい。時は戻らぬものか」
景勝は盃を干した。そして最後の一滴まで啜るように盃に口を当てていたが、ゆっくりと離し、盃を捧げたまま星空を見上げて固まった。それは後悔の為というよりも、己を見直し、新たなる決意の為の一時。
 それを察して兼続は、
「殿。これよりもっと難しき戦が御座います。今はただ、その戦に立ち向かいましょうぞ」
 提子を差し出した。それに気付き、景勝は盃を下げて酒を受ける。
 会津百二十万石から米沢三十万石への転封。それは単純に考えても上杉家としての収入が四分の一になるという重大事である。領地の整備を含め、問題は山積しているのだ。これに当たるのも、一つの戦であろう。
 景勝と兼続は以心伝心。見詰めて頷き合うと、一斉に盃を煽った。その一杯は、上杉家の新たなる一歩となる盃となった。

 そして二人は、また黙々と盃を交わすのであった。

 

※参考文献「上杉景勝のすべて」/花ヶ前盛明編

(2008/05/15)

京都にての人々「上杉景勝

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