「弥陀の剣」

<登場人物>

・駒姫(こまひめ)

時代:安土・桃山期

 

 文禄四年(一五九五)八月二日。京の町を行く牛車の屋形の中に、白装束を纏った駒姫の姿はあった。出羽の大名、最上義光の娘で年齢は十五。東国一の美女と謳われた可憐なる少女である。
 彼女が京に出る切っ掛けとなったのは、豊臣秀次からの申し出であった。駒姫を側室に迎えたいと。駒姫を溺愛する義光は再三の申し出にも固辞し続けてきたのだが、いかんせん相手は豊臣秀吉の後継者であり関白の地位にある秀次だけに、やがて断り切れずに了承せざるを得なくなった。
 準備を整え長旅を経て京に入った駒姫だったが、彼女を待ち受けていたのは秀次の失脚であった。秀吉に謀反の嫌疑をかけられ、弁明の機会も与えられずに腹を切らされた。そしてその罪は秀次の妻子に及び、側室として招かれた駒姫も連座の憂き目にあってしまったのだ。
 駒姫の揺られる牛車には、他にも秀次の側室が乗っている。皆、駒姫と同じ白装束を身に纏い、一様に項垂れていた。駒姫は最上家の伏見邸で、今となっては両親との最後の別れとなった日のことを思い出す。
「お前をこんな形で手放すことになってしまって、許してくれ」
「殿、今更なにを仰います。よいですか、最上の娘としてしっかりと関白様にお仕えなさい。そして、体には充分に気を付けるのですよ」
 その日になっても口惜しがる父と、心から気遣ってくれた母。
 駒姫は自分が両親からどんなに愛されていたかを再確認し、今やその両親の姿も懐かしく、きっと自分の死を嘆くだろうと思うと、死に行く我が身が罪作りでもあるように思えて、死そのもの以上に悲しく思えて仕方がなかった。

 秀吉は開いていた書状を前方に投げ出すと、脇息に寄りかかって右の人差し指で頭を掻いた。
「三成よ、いかがするべきかのう」
 前に控える石田三成は慇懃に畏まる。
「いかがとは?」
「淀の奴が最上の娘を助けろと書いてきておる」
「左様で」
 左様で――とそ知らぬ振りで答えた三成だが、実は淀殿より三成からも執り成すよう書状を受けていた。だが、こと秀次の件になると秀吉の機嫌は非常に悪く、三成といえども下手な口出しをすると勘気をこうむる恐れがあるので押し黙った。
 秀吉は少しの間思案する様子であったが、
「まぁ、命を取るまでもあるまい。尼にでもさせればよかろう」
 と、投げ出された書面を見詰めて呟いた。
「それでは早速」
 と三成は頭を下げると、部屋を後にした。秀吉と淀殿の間に挟まれる息苦しさから解放されて、三成は誰にも悟られぬように安堵の息を一つ吐いた。
 三成が事前に控えさせておいた早馬が伏見城を発ったのは、すぐのことだった。

 牛車はやがて三条河原に着いた。河原には四方に堀が掘られ鹿垣が巡らされ、一ヶ所に塚が築かれ、そこには秀次の首が西向きに据えられていた。牛車から下ろされた妻子達は、秀次の首を見ては一斉に涙し、手を併せて拝んだ。しかし、駒姫にはその首を見てもなんの感慨も湧いてこなかった。
――ああ、この人がそうなのか。
 実は今の今まで、駒姫は秀次と顔を合わせたこともなかったのである。側室とはまさに名ばかりで、この首にどんな愛情を持てよう。
 処刑は速やかに開始された。まずは子供達から。『犬の子をひっさげるように』と形容されるように、首根っこを掴まれた若君が、姫君が、一刺し、二刺しと刃で貫かれ、その亡骸は無造作に捨てられた。
 見物人の中から悲鳴や、哀れみの声が上がる。一方の側室達は、次は我が身と諦めにも似た静謐さで一心に経を唱えていた。
――罪とはなんであろう。
 経に包まれる中で一人、駒姫は考えずにはいられなかった。罪無くして自分は今、この場にいる。けれども、自分の死によって両親が嘆くは罪作り。ならば自分に救いの道はないのだろうか?
 最初の側室が首を斬られた。そして次々に地蔵尊を持ち込んだ上人に引導を渡されて、白刃の下に首を差し出し、一瞬の紅き花を咲かせて散って行く。刃は夏の陽を受けて、何度も何度も輝いた。その輝きが駒姫の眼を射った時、駒姫の心を覆っていた暗闇に、一筋の光が差し込んだように思えた。
――それが罪を裁く刃であるのであれば、それは弥陀の刃に他ならなく、その刃に身を委ねるのであれば、私の罪はすっかり払われるに違いない。
 駒姫の心に差し込んだ一筋の光は、そのまま極楽への道筋に思えた。
 ついに駒姫の番となった。駒姫は静かに座り、悲劇の空とは思えぬ青空を眺めやった。両親の姿がその空に映る。
――父上様、母上様、私は極楽に行きますので、どうぞ嘆かずこの空のように晴れやかにあってください。
『罪を切る 弥陀の剣に かかる身の なにか五つの さわりあるべき』
 その最後の姿は、武家の息女として立派なものと讃えられた。

 駒姫の処刑から数刻後、処刑場に一頭の早馬が到着した。
「駒姫はおられるか!駒姫は助命いたすとの太閤殿下からのお達しだ!!」
 その悲劇を嘆かぬ者はいなかった。

(2008/08/06)

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