「夢に遊びて」

<登場人物>

・惟喬親王(これたかしんのう)
・在原業平(ありわらなりひら)

時代:平安期

 

 吐く息は白く、背景もまた白く。空から舞い落ちる雪は夢幻の如く儚くとも、果てしなく大地を覆い尽くした雪は世の現実の如くに厳しく、いき難い。 人の足跡が僅かに残り、ようやくそれとわかる道を、馬の手綱を引く従者の歩みは深い雪に遮られ遅々とし、馬もまたそれに倣う。従者の被る蓑に積もった雪を眺めた馬上の在原業平は、同じように己の被る蓑にも積もっているだろう雪の重みを感じて、
「ああ、あの方は雪に囚われておいでか」
 老いた重き目蓋を耐えがたく静かに閉じた。
 静寂の世界。ただ従者と馬の足音だけが軋む。

 比叡山の麓、小野の御庵室にようよう辿り着いた業平は、早速案内されて用意された畳の上に座り、傍らに用意された火鉢に手を炙りながら寒々とした板間の冷気に身を震わせ待った。上座にも火鉢が一つと二帖の畳が並べられ、その上の敷物が主人の訪れを待ち侘びていた。
 程なく廊下を足早に渡る音が響き、質素な法体姿の惟喬親王が現れた。この時親王は剃髪し齢三十を超えるも、以前と変らぬ笑顔を浮かべ業平の手を取った。
「久しいなぁ、業平」
 握る手の力の強さに業平は親王喜びようを感じ、却って悲しみを募らせた。
「ご無沙汰を致しておりました」
 親王の寂しさはどれ程ものか。
 惟喬親王は文徳天皇の第一皇子であり、幼き頃より聡明であったのを父である文徳天皇は大層可愛がり、末は立太子間違いないかと思われていたが、当時政治の実権を握っていた右大臣藤原良房の娘、明子との間に惟仁親王が生まれると、良房に配慮した文徳天皇は惟喬親王ではなく後に清和天皇となる僅か生後九ヶ月の惟仁親王を皇太子とした。こうして惟喬親王の不遇の日々が始まり、更に後ろ盾である文徳天皇が崩御すると、その苦境は深まった。良房の心一つで、どんな言い掛かりを付けられ排されるかわからない。排されない為には、最早皇位を望んでないことを公に示さなければならない。そこで惟喬親王は小野の地に隠棲し、剃髪して俗世を捨てたのだ。
 一方の業平も祖父は平城天皇であり、曽祖父は桓武天皇という高貴な血筋であるが、業平や兄の行平の代を以て臣籍降下し、在原姓を名乗るようになった。業平の妻は紀有常の娘で、惟喬親王のいとこに当たる。この縁もあり業平は惟喬親王が幼き頃よりその近くに従い現在まで至っている。
 親王は酒と肴を用意させると人を下がらせ、部屋には二人だけとなった。親王は酒を召しいかにも楽しげで、思い出すままにかつての日々を語った。
「いつか水無瀬で狩りをしていて天の河に至った時の、そなたの歌はよかった」
 それはかつて親王の宮が水無瀬にあった頃、狩りに出た親王と業平一行は、狩りとは名ばかりの酒と和歌に熱中した一日を過ごした末に、天の河という所に辿り着いた。そこで業平が親王の所望するままに一句詠むと、その出来栄えの良さに親王は繰り返し口ずさみ、返歌を忘れる程だった。
 親王は時に夢に遊ぶお方だ。業平はそんな風に思う。聡明ではあるが、無垢な心もお持ちだ。故に親しみがあり、そのお側に侍っていたいと思ってしまう。だからこそ、できるならこれからもお側にあって慰めの時を過ごして差し上げたい。
 だが、それは叶わない。業平が繁く親王の元に通っているとなれば良房への聞こえが悪い。どんな危険が業平ばかりか親王に及ぼう。これは親王が選ばれた道なのだ。業平は涙を飲んで従うしかない。
 楽しき時間は一瞬のまばたきの如く過去のものとなり――
 夕暮れ、宮中行事を控える業平は帰りの身支度を始め、親王はそれを見送りに出た。幸いに雪は上がり、雲の切れ間も覗いていた。
 身支度を終えた業平に、親王は訪問の感謝を述べた。
「楽しかった。楽しかった」
 その顔には素直な喜びと、隠した悲しみが混ざり合って、堪らなく業平の胸を締め付けた。
 思わず業平は一筋の涙を流した。
 これを見た親王は――庇の先に望む空を見上げ、
「心配しなくてもいい。私はもうここに住み慣れてしまったのだよ」
 聡明なる笑顔を以て、業平の涙を拭った。
 業平は、今は己が夢に遊んでいる心地がし、またそれを強く望んだ。

〈在原業平〉
 忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとは

〈惟喬親王〉
 白雲の 絶えずたなびく 峰だにも 住めば住みぬる 世にこそありけれ

(2010/05/09)

京都にての人々「惟喬親王

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