「凡愚なる将」

<登場人物>

・織田信忠(おだのぶただ)

時代:安土・桃山期

 

 それは予感であったか、はたまた己の聴覚がなんらかの異音を察知した為か。未だ闇の中、織田信忠は目を覚ました。そのままなにかを待つように身動きもせず時を刻んでいると、廊下を走り来る者があり、宿直の動く気配が伝わった。
「いかがした!?」
 との慌てた宿直の者の声がし、
「どけ!」
 と宿直を振り払う強張った大声が響くや、乱暴に障子は開かれ、片膝を突いた男の口から桔梗紋の指物をなびかせる軍により本能寺が襲撃されているとの一報が告げられた。
 障子が開かれた時、信忠はすでに起き上がっていた。一報を聞くや立ち上がり、
「本能寺に向かう!」
 白き着流しを脱ぎ捨てた。
 腰に大小を差込み、持てる者は槍を持った軽装の者達を引き連れ、信忠は宿舎であった妙覚寺を徒歩で出た。見上げれば本能寺の方角の空はぼんやりと明らんでいた。
 出てすぐ、行く手から数人の、やはり軽装の武士が駆け寄ってきた。
「貞勝、父上は?」
「最早、なりませぬ!」
 京都所司代の村井貞勝とその息子であった。
「光秀か?」
「左様で。こちらにもすぐに参りましょう。ひとまず二条御所に入りなさいませ」
 時は無い。信忠は貞勝の進言に頷くと共に、都からの脱出を考え従ってきた者に命じ、各街道口の様子を探らせに走らせた。
 二条御所に入った信忠は御所の主人である正親町天皇の第五皇子、誠仁親王にすぐさま謁見し、事情を説明の上、速やかに内裏に避難するよう促した。
 謁見を済ませた信忠の元には、次々と情報が集まってくる。それらの情報を集約すると、どうやら各方面へ抜ける街道口は全て光秀の軍に固められ、都を抜け出すのは至難の業と思われた。
「さすが光秀、抜け目がない」
 信忠は傍らに立つ貞勝に苦笑いを浮かべた。
「こうなれば、あなた様のお命が大事。お逃げ下さいませ」
「それは難しかろう」
「少人数で山に入れば可能かと」
「そうか」
 信忠は三歳になった我が子の三法師を呼び寄せると、前田玄以を呼んだ。まだ眠気眼の三法師を抱きかかえ、腕に掛かるその重さを慈しむように目を細めた信忠は、玄以に三法師を無事に逃がすよう託した。
 この様子に貞勝が信忠に詰め寄る。
「ご自身でお連れ下さいませ」
「しかし、少人数で都を抜けるにしても、やはり敵の目をこちらに惹きつけておかなければなるまい」
「それならば私共がいたしまする」
 そこには貞勝親子他、菅谷長頼、福富平左衛門、団兵八、斉藤新五郎、猪子兵助、野々村正成、毛利新介などの面々の姿があった。彼らの表情は一様に覚悟を示していた。
 信忠は彼らを頼もしく眺めたが、柔和に微笑みながら首を横に振った。
「そなたらの気持ちはありがたい。だからこそ、私だけここを逃げるという訳にはゆくまい」
「なにを仰るのです。将たる者が軽々しく命を捨ててはなりませぬ。賢き将とは、時に家臣を切り捨てても生き抜かなければなりませぬ」
「・・・我が父のようにか?」
「左様です」
 信忠の実父である織田信長は、朝倉攻めにおいて浅井長政の裏切りを受けて窮地に追い込まれた際、軍を置き去りにし僅かな供回りだけを連れて京に逃げ帰ったことがあった。貞勝は今こそ、信忠もその様にするべきだと勧めるのだ。
 歴史的に見れば、信長の判断は正しかったといえる。京に逃げ帰り軍を立て直した信長は、見事に本能寺の変に至るまで天下統一への道を歩んだのである。一方の信忠もこの窮地を脱することができれば各地の織田家兵力を集結させ、光秀に対抗することに問題はなかっただろう。
 けれど、信忠が下した判断は歴史のままに。
「私は父上とは違う。そなたらを置いて一人で逃げるなどできないのだよ。ここで逃げるが賢き将というならば、私は凡愚なる将なのであろう」
 最早覚悟は定まっていた。
 信忠は屈み込んで改めて三法師と向き合うと、
「達者でな」
 優しく頭を撫でて送り出した。

 明智勢に包囲された信忠勢は寡勢ながらも奮戦し、明智勢の名のある武者を討ち取る働きを見せたが、多勢に囲まれ、また鉄砲を撃ちかけられるに及び次々と傷付き倒れ、ついには火を放たれて力尽きた。
 信忠もついには力尽き、自刃して果てた。享年二十六。
 その体は父の信長と同じように炎に焼かれ、この地上より跡形もなく消え去った。

(2010/06/27)

京都にての人々「織田信忠

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