「京都と管理人~その1~」

 

 関東に生まれ育った管理人がはじめて京都を意識したのはいつの頃だったか。
 小学生の頃より、比較的歴史は好きだった。教室に備え付けの歴史の漫画をよく読んでいたように思う(今、思い出せるのは、足利尊氏の顔の輪郭が長く、鼻が高く描かれていたということぐらいだが)。けれど、その頃はまだ地理的な認識が薄く、例えば尊氏が何処で戦っているのだとかを現代の地図に照らし合わせて考えてはいなかったように思う。だから当時の管理人にとっては、京都はまだまだ遠い存在だった。

 そんな管理人が初めて京都を訪れたのは中学時の修学旅行・・・いや、実は小学生の頃に一度京都を訪れたことがあるようだ。今となってはいつ頃だったか定かではないのだけれども、確かに来ている。印象に残っているのは、バスの車窓から見た横に長い門構え。一時はそれを平等院の鳳凰堂と勘違いしていたのだが、平等院の鳳凰堂はバスの車窓からは見えない。後々考えると、当時訪れたのが平安神宮の側であったので、平安神宮の門構えであったかと考えるが、今ひとつはっきりしない。まぁそのぐらい、当時の管理人にしたら京都という土地に特別な意味はなかった。

 そんな管理人がある程度の認識を持って京都を訪れたのが中学時の修学旅行だった。授業の時間を割いて、ある程度自分達で京都を調べさせられたので「ああ、京都ってこういうとこなんだ」ぐらいの認識を持った。ただし、当時は歴史的な物に対しての興味は薄いので、どちらかというと未踏の地(実は一回行っているが)関西に足を踏み入れる興奮の方が強かったように思う。さらには大阪からの転校生がいたもので、京都そっちのけで、そいつに従って大阪に行こう!という計画まで立てていた。
 が、結局は大阪脱出計画はいつの間にかに頓挫し、普通に京都市内を巡った。記憶にあるのは仁和寺とその周辺で焼きそばを食べたことぐらい。あと、どこかを拝観して出てきたすぐ側のバス停での映像が記憶にあるのだが、これがどこかは、いまいち判然としない。ただ、当時は実際に訪れはしなかったのだが、妙に「六波羅密寺」という名前にインパクトを受けたのを覚えている。六波羅ってなんだ?蜜寺ってなんだ?蜜寺って・・・行ったら怪しげな人たちに襲われて、変な儀式に巻き込まれるんじゃねぇーか?とか妄想を膨らませていたものだ。当時はネットなんてものはまだまだ普及していなかったので、調べようともしないで妄想のし放題だった。
 あと記憶に残っていることといえば、結構友達が「京都の飯はまずい」と訪問前から言っていたことだろうか?前述したように管理人の生まれは関東で、関東と関西では味付けがまったく違うのは有名な話だが、その為に慣れない味付けに京風は「まずい」と感じたのだろう。実際に友達は旅館の食事を「まずい」といいながら食べていた。かくいう管理人は特にまずいとも感じず、普通に食べていたが。舌が肥えていたのか。いや、ただの味音痴。また後年、こんな話を聞いた。ある関西在住の会社員の人が、東京からのお偉いさんを接待するのに京都の有名料亭にお連れしたそうだ。そこで出されたある食事に対して、そのお偉いさんは「味がない」といって醤油を持ってこさせぶっかけたそうだ。
 それぞれの地域のそれぞれの文化なので、一概にどうだ、こうだとは言えないのだが、現在管理人が住んでいる大阪の友人は「関東は味が濃すぎる。まずい!」と言って引かない・・・
 ちなみに、現在管理人は美味しく京料理を頂戴している。にじみ出るダシや素材の味に、わかったように頷くようになってきた。

 次に京都を訪れたのは高校時の修学旅行だが、これがまた一切覚えていない。宿泊したのが新京極の近くで、今考えれば御池通り沿いの旅館だったように思うが、覚えているのはそれだけだ。一体、何しに来たんだか・・・

 こうして京都と管理人の関係の前半期は過ぎた。ずばり、未だ京都に興味無。
 未だ、新撰組や坂本竜馬などと、正面向かい合っては出会わず。
 京都は遥か遠く、異境の地。

 そうそう、京都府が日本海に面しているとはっきりと認識したのは、ここ数年。
 いや、びっくりした。

(2007/12/17)

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