お幡(徳林庵・上善寺・桂地蔵寺)

「六地蔵巡り(1)」

 

 【始めに】

 さて、時期的にはまだまだ早いのですが、ここで一つ六地蔵巡りについて。
 以前管理人が京都在住時代に実際にママチャリを漕いで巡った経験を元に書かれた小説がございましたので、折角なんで掲載してしまえ!という乱暴な意図の下「京都にての物語」とはコンセプトを異にする作品ですので、こちらに掲載する次第です。原稿用紙にして20枚の作品ですので、お暇な時にでも一読くだされば幸いです。

 【本編】

 広田元信、二十五歳は、頭のものをどうしたものかと悩んでいた。具体的にいえば、頭の上に乗っているとある生物?
 それは薄い紫色をした体長三十センチぐらいの、角と大きな耳、赤い瞳の猫目、捻くれた人参のような鼻、牙の生えた裂けた口を持ち、腕は異様に長く枯れ枝のようにほっそりとし、手の爪が鋭く尖っていた。肩の部分には鰭とも羽とも判断のつかない帯状のものが垂れ下がり、足は短足で、下腹部の辺りには肌と同色の濃い毛がトランクスのように生えていた。
 そんなものが、元信の頭に居座ってしまったのだ。
 そもそもどうしてこんなことになってしまったのかといえば、六地蔵巡りのために桂地蔵こと地蔵寺にやってきたところ、『桂地蔵寺』と書かれた提灯の下、白い壁と黒木の門の丁度境目に、ぽつんと佇んでいたそれと目が合ってしまったのだ。すると突然元信に飛び掛ってきた。
 どうやら、この生物?は元信以外には見えないようで、慌てた元信が悪い憑き物かと思って地蔵寺のお坊さんに払ってくれるようお願いしたのだが、お坊さんにも見えなかったようで変な顔をされた。
 果たしてこいつは一体なんだ?
 どう処理してよいか分からなくて、元信は地蔵寺で悩んでいるのである。

 本日八月二十三日は六地蔵巡り二日目。
 六地蔵巡りとは、平安初期の人物である小野篁が、熱病によって一時あの世を彷徨った時に、そこで出会った地蔵菩薩の姿を真似て、後に木幡山の一本の桜の木から六体の地蔵菩薩像を造った。それを更に後の世の保元二年(一一五七)に、後白河上皇の勅命により平清盛が西光法師に命じて、京都の街道の入り口六箇所に六角堂を建て、一体ずつご尊像として分置した。そして、西光法師がそれを巡ったところから始まったという。(大善寺碑)
 かつては丸二日かけて歩いてまわっていたそうだが、現在では車でまわってしまうことが多いらしい。それぞれのお寺で配る色違いの六種のお幡(お札)を門口に貼り、無病息災と家内安全を祈願するのである。
 元信はこの日、自転車で六地蔵を巡るべく家を出たのだ。不謹慎ではあるが、別に信仰心から思い立ったことではない。言ってしまえば好奇心からだ。
「せっかくだから、経験しなくちゃ損だ」
 だが――その好奇心まがいの不信心が招いたことなのか、元信に取り憑いたそれは、どうしても離れようとしなかった。
 違和感はある。ただ、それほど重くはない。
「仕方ない、このまま行くか?」
 無神経か、はたまた大胆な決断か、元信は開き直ってしまうと、緑のお幡を三百円で購入し、優しい眼差しを向けている桂地蔵菩薩に手を合わせた。
 ――家内安全と、この変なのをどうにかしてください。
 果たしてお賽銭十円でも願いは届いたのか、ふと肩が軽くなったように思い目を開けると、変なのは目の前の賽銭箱上に佇み地蔵菩薩を見上げていた。
 と突然変なのから白い煙が立ち昇り、その体を包んだ。
 数十秒してやがて煙が晴れた時、変なのの角がなくなっていた。つるんつるんの坊主頭になっていたのだ。
 唖然とする元信を尻目に、変なのは嬉々としたようすで飛び跳ねると、再び元信の頭に戻った。

 頭に変なのを乗せた元信は、そのまま次の目的地である常盤地蔵の源光寺を目指した。
 空は模糊とした曇り空。けれど、最適の気候だった。頬切る風が涼しく心地よい。
 途中、元信は路地の奥に鳥居を見付けた。地図で確認したところ、手持ちの地図には載っていなかった。興味を引かれた元信は探検気分で社を訪れようとしたが、それまで大人しくしていた変なのが、突然暴れ出した。
「きぃー、きぃー」
 それはまるで、猿の鳴き声のような。
 どうやら寄り道するなといっているらしい――と、元信にはなぜだか感じられた。
「社名ぐらい見せろよ」
 元信は変なのに文句を言いつつ、強引に鳥居の下までやってきた。しかし額の字は読めず、その代わり傍らの看板には『桂御霊社』とあった。
 まだまだ中を覗きたい気持ちは大きかったが、いかんせん変なのがうるさかった。
「分かったよ、行くよ」
 渋々ペダルを漕ぐと、元信は惜しみつつその場を去った。
 更に途中、元信は道に迷った。変なのは苛立たそうに暴れる。元信が地元のおばちゃんに道を尋ねている間も暴れる。自然に元信の頭も揺れる。
 おばちゃんの目が、元信には冷たく感じられた・・・。大きな溜息を一つ。
 そうこうしつつも、源光寺に辿り着いた。
 元信が感じた第一印象は、境内の狭さだった。六地蔵を祀る歴史あるお寺にしては、と。門を入って十歩も歩けば、地蔵菩薩が祀られている六角堂に着く。
 変なのは、この時ばかりは元信の頭から離れて、やはり賽銭箱の上に乗って地蔵菩薩を見上げた。すると先程と同じように煙が立ち昇り、その内煙は消えた。と、今度は肩の部分の帯状のものがなくなっていた。
 用が済めば、また元信の頭の上。
 元信はここでも白い長方形のお幡を購入し、微笑を浮かべているようにも見える地蔵菩薩に手を合わせた。
 ――家族の安全をよろしくお願いします。
 境内を出ようとした時、元信は敷地内の片隅にお地蔵様が集められているのを目にした。それはなにやら、うち捨てられたような印象を受けた。一方には豪華に飾られ、崇められる地蔵菩薩。もう一方には朽ちかけたお地蔵様の群れ。元信は思わぬ地蔵菩薩の二面性に出会い、考えるのであった。きっとイメージの中の問題でしかないのだが、上に立って導く地蔵菩薩と、辛苦を共にしてくれる身近なお地蔵様を。いや、二面性というよりも、これが六道能化に通ずるという地蔵菩薩の柔軟性なのかもしれない。
 元信は地蔵菩薩という仏の奥深さを垣間見たような気がした。

 今出川通りを東に向かい、烏丸通を北上して烏丸鞍馬口で再び東に向きを変える。京都の街は、ジグザグに道を行けばなんとか目的地に着くものだ。
 元信は快調に自転車を飛ばし、三箇所目の鞍馬口地蔵、上善寺に着いた。
 門前には出店が出て、境内にも出店が並んでいた。参拝客を当て込んでのものだろうが、お世辞にも賑わっているとはいえなかった。
 元信も店を素通りして、門から右になだらかに曲がりつつ、六角堂に着いた。
 さて、今度は変なのはどう変化するのか?
 予想通り、変なのは元信の頭から降りて賽銭箱に佇んだ。そして煙を立ち上げると、今度は耳が変わっていた。鋭角的な耳から福耳へと。
 ここまでくると元信にも、どうやらこの変なのは、自分と同じように六地蔵巡りを目的としていることが察せられた。それがどういう理由かはまだ見えてこないが、きっと地蔵寺では、自分を連れて行ってくれる人間を探していたのだろう。それがなぜ元信なのかも、未だに不明だったが。
 元信は変なのを待つ余裕を持って再び頭に重みを感じると、ここでは赤のお幡を購入した。
 鞍馬口地蔵は、少し控えめなお方に見えた。
 元信が休憩所で一休みしようとすると、六角堂の隣にお地蔵様群があるのを見た。それは源光寺とは異なり綺麗に整備されていたが・・・今度はどこか空虚感を感じてしまった。これもまったく固定のイメージがもたらす感覚でしかなのだが。
 元信はイメージに振り回されている自分に苦笑いする。仏様の尊さはお姿ではなく、その存在自体なのだと。

 次の目的地に向かう途中、賀茂川の岸辺でベンチに座り元信自作のゴマ入り梅干おにぎりを頬張った。次の目的地は山科。山越えを覚悟して腹ごしらえといったところだ。ちょうど時間も頃合だ。
 どうしたことか、この時ばかりは変なのも大人しく、元信はそこから眺められる賀茂川の清流と遠く広がる緑のパノラマに目を細め、美味しい昼食をとった。

(2008/06/24)

桂地蔵寺  源光寺  上善寺

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