お幡(浄禅寺・大善寺・源光寺)

「六地蔵巡り(2)」

 

 天候はまだ持ってくれている。天気予報では午後から雨の確率が上がるとのことだったから、できるだけ早くまわってしまいたい。
 鴨川を南下し、三条通を東に向う。そのまま真っ直ぐ進めば、やがて山科に至る。だが、その道は元信にとって険しいものだった。
 元々、元信はスポーツ好きである。けれど、現在日常的に鍛錬を積んでいるというわけではなく、精々が部屋での筋トレ程度だ。それだってたかがしれている。その現状で挑む山越えは、想像以上に元信の太腿へ疲労を蓄積した。
 九条山を乗り越えて下り坂に差し掛かると、ピンと張り詰めていた緊張の糸が切れるように、一気に脱力感が元信を襲った。
 道程はまだ半分。残りの半分という事実が、まず精神的に元信に重くのしかかった。
 やっとの想いで辿り着いた四箇所目の山科地蔵、徳林庵はお祭騒ぎであった。道を通行止めにし、多くの出店が道の両側に並ぶ。家族連れの行き交う姿が多く、六地蔵巡りという行事を祭にまで盛り上げてしまったようだ。
 徳林庵は今までのお寺のように門などはなく、道路のすぐ脇に六角堂が建てられ、地蔵菩薩が祀られていた。
 早速変なのが跳ぶ。さて、次はどこが変わるのかと見ていると、今度は鼻であった。捻くれた人参のような鼻から、人間似のすっとした鼻になった。
 最初はとても見れたものではない醜い顔であったが、徐々にではあるが人間の姿に近付いているように思えた。といことは、最終段階は人間の姿なのか?
 ともかくも、ここでは青色のお幡を購入し、六地蔵の中でも最も大きい、どこか不服そうな、導くというよりも叱っているような地蔵菩薩に元信は手を合わせた。

 徳林庵を出た頃、ついに雨が降ってきた。
 疲労の上でのこの冷たい雨雫は、元信にはなんともきつい仕打ちになった。
 更に疲労は確定的なものになり、吐かれる息は抜けるものが多かった。
 けれど、元信は力を込める。なにが彼をそうさせたかといえば、六箇所全てをまわらなければいけないという目標である。
 この時、元信にとって六地蔵巡りは、好奇心からある種の使命感へと変わっていたのだ。
 途中、宇治市に入って道を間違ったかと元信は慌てて地図を開いたが、間違っていないことに安堵してペダルを漕ぎ続けた。
 雨も本降りにならない幸いもあって、無事に五箇所目の伏見地蔵、大善寺に辿り着いた。
 門を入ると、右側に二本の立派な松が並び、左には鐘がある。その間を通り抜けた正面に六角堂はあり、線香の煙の奥に、無表情に達観したような地蔵菩薩の姿があった。
 元信は慣れたもので、変なのを頭の上から抱えて賽銭箱の上に降ろしてやると、自分はさっさと白のお幡を購入しに歩いた。
 六角堂の前に戻り、変なのを抱える。すると今度は牙が生えて裂けていた口が、厚い唇を伴う人間のものとなっていて、異様さが残る瞳の赤だけが爛々と輝いていた。
 元信はじっくりと地蔵菩薩に手を合わせて家内安全を祈願すると、大善寺を後にした。

 雨は相変わらず小降りのまま。止みもしないが、強くもならない。
 元信は再び山越えに挑む。
 丁度坂の下で一緒になった高校生に道を譲り、
「若人よ、先に行け。俺は後からゆっくりと登る」
 などと心の中で苦笑いしていたが、結局は坂の途中で元信が追い越してしまった。その力の原動力はなにかといえば、次で最後だという期待であったろう。
 が、やはり無理は禁物だ。山を登りきったところで元信は燃え尽きてしまった。
「まぁだかぁー」
 口から漏れるのは溜息ばかりとなった。
 時間的余裕はあったから、のろのろと進む。颯爽と追い越していく車が羨ましい。
 国道一号線に出ると、後は北上するだけだ。鳥羽大橋の登りでさえ、足に痺れるような疲労を残す。
 やがて最後の鳥羽地蔵の赤い幟が道沿いに立っていた。幟に従い、左へと曲がり、右へと、また左へと。この時ばかりはペダルを漕ぐ足も軽くなる。
 バスでやってきたのか、団体とすれ違う。その手には黄色のお幡が握られていた。
 浄禅寺の北側の道を通り、正面へと出た。四本の鳥羽地蔵尊と書かれた赤い幟が、元信を迎えた。
 自転車を降り、門を潜るのも感慨がある。
 門を入ってすぐ右のところで、例の黄色いお幡を売っていた。
「お幡ください」
 五百円玉で払う。お幡と、二百円が戻ってきた。
「ありがとう」
 元信はお礼をして、いよいよ揃った六種のお幡を眺めた。達成感が湧き上がってきた。
 そして最後の地蔵菩薩が祀られている六角堂は正面奥にあった。
 その一歩を噛み締めつつ、正面に立った。
 鳥羽地蔵はどこか冷淡さを感じさせるものだった。いや、これは冷淡さではなく静謐なのだろう。静かに見守っているといった感じだ。
 賽銭を投げて、手を合わせる。
 ――家内安全をよろしくお願いします。
 六地蔵全てに願った共通の想い。ありきたりではあったが、元信にとっては今一番の願いだった。
 そして――
 元信は忘れていない。変なのを抱えてやり、賽銭箱の上に乗せてやった。これできっとこの変なのの正体が分かるに違いない。
 変なのはこの時も地蔵菩薩を見上げた。そして煙を立ち上げた。やがて煙が晴れて現した姿は――後光輝き、黄土色の衣に身に包んだ、地蔵菩薩?いや、それよりもお地蔵様と呼んだ方がいいような親しみのある穏やかな表情。あの醜かった変なのが、お地蔵様の様な容姿になってしまったのだ。
 お地蔵様はニコっと元信に微笑むと、
「ありがとう」
 静かに響き渡るような声で謝辞を表し、ゆっくりと体を浮かべて、天へと昇っていってしまった。
 取り残された元信は、呆然唖然。口をあんぐりと見上げたまま、お地蔵様が消えていった雲天の空を眺めやった。
 そして一言。
「・・・なんだったんだ?」
 訳も分からぬまま、元信は特別に設けられた休憩所のベンチに腰掛けた。そこにはお茶が用意されていて。
 自分で薬缶から湯呑みに注ぎ、口にした。それは冷たく、実に美味しいお茶で。
 と途端に、どっと今までの疲れが戻ってきて、お茶が胃袋に染み込む心地よい感覚が元信を包んだ。
 空を仰ぎ感嘆する。
「ああ、救われるぅー」

 家へと帰る道すがら、元信はつらつらと考える。結局、あの変なのはなんだったのかと。まぁ、どうやら『救われた』ということは分かる。
 そもそも地蔵菩薩とは六道能化に通ずる。つまり六道、天上界、人間界、阿修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界、全ての世界の人々を救う菩薩様である。となると、この六地蔵巡りとは、六街道は六道に通じ、それぞれの六角堂に配置された六体の地蔵を巡るということは、つまりは六道を巡って、六人の地蔵菩薩の救いを受けたということになるのではないか?
 伝承通り、小野篁があの世で出会った地蔵菩薩をモデルにして像を刻んだというなら、なぜ全て同じ形にならないのか?なぜ全ての地蔵菩薩の表情は違っているのか?これからも、それぞれの地蔵菩薩が、それぞれの役割を、管轄を表しているのではないか?つまり、六道を現世に演出しているのではないか?
 ――六地蔵巡りは、六道巡りに通ずる。
 結局、あの変なのの正体は分からなかったが、多くの穢れを持った者が六道を巡ることによって、六人の菩薩に出会い、総合的に救われたのではなかったか?
 だけど――と元信は思う。
「だったら、俺はなにを救われた?」
 元信自身が救われたことといえば、最後の、あの一杯のお茶か?
 しかし考えてみればそれも正しいのかもしれない。
 お遍路もそうだが、なにかを巡るということは、己への試練と共に、達成したときの満足感こそが、心理的救いになるのではないか?
 そう考えると、お幡を収集するというだけではなく、苦労してまわることが大切なのかもしれない。
 それにそもそも、元信は救いを求めて六地蔵を巡ったわけではないのだ。ただの好奇心が始まりである。それで救われようとするのが間違えなのである。
「うーん、考えてみれば別に救って欲しいことってないな。あっ、宝くじでも当たってくれたら生活は救われるけど」
 などと考え自嘲しつつ、元信は今回の出来事を含めて考える。
「まだまだ全てはうまくいっていないけど、俺はきっと満たされているんだ。だったら仏様に頼るのはまだ早過ぎる。自分の力、尽くせる限りを尽くして生きていこう」
 雨は上がっていた。
 心地よい疲労感が元信を包む。

 この経験と共に、また明日から遥かな道程を一歩ずつ歩む。

 【あとがき】

 まぁ、いまいちな作品である。が、今時六地蔵巡りを自転車で巡る奴も少ないと思いますので、希少という意味で少しでも面白味を感じて頂ければ幸いです。
 しかし、今更もう一度やれと言われてもやりたくないな。せめて、もっといい自転車を用意してくれるのであれば考えないでもないが・・・。

(2008/06/24)

徳林庵  大善寺  浄禅寺

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