下鴨神社

「下鴨神社」

 

 下鴨神社。正式名称:賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)を訪れるには、やはり糺の森(ただすのもり)を抜けて訪れるのがいい。特に緑美しい時期は視覚で受ける安らぎと、涼しき風の感触に、自ずと禊を行っているような気持ちになる。心の奥底にたまったストレスの塵芥が清涼な風に誘われ温床としていた我が心を立ち去り、晴れ晴れとした心持を抱く。人間はやはり自然と共に生きなければならないと思わされる一時だ。
 そんな清浄な心で訪れるからこそだろうか、管理人の記憶の中で下鴨神社の印象はとても薄い。薄いというよりもなぜか半透明なのだ。管理人が初めて下鴨神社を訪れたのは中学時代の修学旅行だったと思う。それこそ、これといった思い入れもない半透明な記憶。後年再び下鴨神社を訪れて、ああ、あの記憶はここだったのかという体たらく。単純に興味がなかった、知識不足だったということもあるだろうが、それにしてもこの印象はどこに起因するものだろうか。よくよく考えるに、境内に敷き詰められ白い玉砂利の影響だろうか。記憶の中で、下鴨神社はいつも晴れていた。とすれば当然陽は射し、白い玉砂利は強く陽射しを反射する。すると当たりは白い光に包まれたようになり、鮮やかであったり、歴史を感じさせる古色の建物は光の上に浮き上がったように見える。それはまるで白地の画用紙に建物だけを描き込んでいった様な状態で、煩雑さがない、とてもシンプルな情景。そのシンプルさが与える透明感こそが、管理人の印象に強く影響しているのかもしれない。

 さて、下鴨神社の創始について一説によれば、崇神天皇の頃(紀元前90年頃)に神社の瑞垣の修造が行われた記録があるとのことだが、それはいくらなんでも遡り過ぎなような気がする。賀茂御祖神社という社名から考えても、まず上賀茂神社に賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)が祀られ、その後にその偉大なる神の祖を祀ろうということで、賀茂氏祖であり賀茂別雷大神の祖父である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と賀茂別雷大神の母である玉依媛命(たまよりひめのみこと)が下鴨に祀られる様になったと考えるのが妥当ではないだろうか。上賀茂神社の社殿の基が造営されたのが天武天皇の御代(678)というから、それに近い時期の創始となるのではないだろうか。
 と、勝手な推論ついでに、もう一つ推論を重ねてみたい。では、なぜ下鴨神社を建立する必要があったのか。その理由を管理人は現在神社が立っている立地条件に見出したい。神社の南方に広がる原生林を「糺の森」というが、この「タダス」の語源は「只洲」であるという説があるように、この地は賀茂川と高野川の合流地点にあたり、その流れは一つとなって鴨川となり南方に下る。さて、ここで突拍子もない話をすると、古来この様にY字型の二股の形状には不思議な力が宿るとされた。「京都異界紀行」の中で加門七海さんや豊嶋泰國さんもこの地の特異性については言及しているが、その理由を澁澤龍彦さん(どの著書に書かれていたかは忘失してしまったのだが)は、この形状が女性の股間に見立てられたからだという。女性の股間こそ生命の源であり、故にそれに似た形状の部分には特別なエネルギーが宿るとされたのだろう。現に子を宿す子宮の部分と見立てられる場所には河合神社があり、そこでは神武天皇の母である玉依姫命(賀茂別雷大神の母と同名だが別神)が祀られている。まさに日本源流の母に比されるほどの、現代的にいえば重要なパワースポットではなかっただろうか。それを抜きにしても、京都盆地の重要な水源である鴨川の上流を押さえることは、京都盆地における優位性を得るものだったろう。そもそも両カモ神社を祭祀するカモ氏は「山城国風土記」の逸文では、鴨川を遡り今の上賀茂神社辺りに移住してきたと考えられる。ということは移住当時は現在下鴨神社の地を通り過ぎており、その理由を考えればすでにこの地には生活を営む氏族があったのでそれを避けた為ではないだろうか。にも関わらず現在下鴨神社の社殿がここにあるということは、後年になってカモ氏が力を増大させてこの地を奪ったのではないかと管理人は考えている。その上で先祖を祀る社殿をど~んと構えることにより、支配を明確なものとし誇示したのではないだろうか。
 京都盆地有数のパワースポットを押さえた、その後のカモ社の隆盛はご存知の通りだ。平安京遷都に際しては王城鎮護の神社とされ、後には最高位である正一位の神階を授けられ、更には伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれた。
 以上のように推測に推測を重ねた結果として、下鴨神社こそカモ氏が打ち建てた金字塔だ!と管理人は勝手に盛り上がってみる。

 とまぁ、推測は所詮推測として置いといて。
 鳥居を潜り、楼門を潜って本殿に至らば、国宝の趣に触れるのも楽しみだろう。更に下鴨神社には多くの摂社、末社があるので、それを楽しみとするのもよいかもしれない。中でも本殿の前の干支の社では、干支それぞれの社があるので自分の干支のお社に参拝することができ親しみが持てる。また本殿東にある井上社、別名御手洗社は境内を流れる御手洗川の源流にあり、7月の土用の丑の日に行われる御手洗祭、別名「足つけ神事」では、御手洗川を遡った参拝客がこの井上社に至り無病息災を祈願するのだが、特に陽がくれた後に参拝客が蝋燭をの火を手に川の中を行く光景は風情あるものだ。
 なお、この井上社の湧き上がる清水に含まれる水泡をかたどったのがみたらし団子の始まりと伝わり、発祥の地としても有名だ。

 関連作品:京都にての物語「告白

(2009/04/28)

下鴨神社ホームページ⇒http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

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