「2009桜見物」

 

 4月某日。週間天気予報では谷間の雨となっていたが、日が迫るに従って予報が変わり、いざ当日となってみると――見事な快晴!と、まではいかないまでも、雲の隙間よりしっかりと太陽が顔を覗かせる絶好の花見日和となった。
さて、今年はどんな鮮やかな桜の姿を見物できるだろうか。

 

平野神社

 まず管理人が向かったのは京都有数の桜の名所である平野神社。とりあえず外れのない妥当な場所を選択してみた。
 平野神社が当地に鎮座したのは平安遷都と同年の794年。花山天皇によって桜が植樹されたのが平野神社と桜の関係の始まりという。その後も時代ごとに様々な種類の桜が植樹されていった結果、現在では50種、400本の桜の木が境内を埋め尽くすようになった。
 阪急西院駅から市バスに乗り、衣笠校前で下車。少し北に歩けば平野神社西の鳥居が見えてくる。見えてくると同時に多くの人の姿が。覚悟の上とはいえ早速うんざり気分が頭をもたげるが、頭上一面に花開いた桜の華やかさにそんな気分など吹き飛んだ。
 平野神社の境内は3つの区画に分かれているといっていいだろう。まず境内の北側に東から西へ参道が伸び、北西の位置に本殿がある神社としての区画がある。南東の位置には写真のような桜園があり、南西の位置にも桜の植えられた広場がある。さてこの時期、主に花見としての主戦場となるのが南西の広場だ。西門から境内に入った管理人がまず歩いたのも南西の広場だ。ここはまさに花より団子的な花見の状況を呈し、天を彩る桜の木をぬって所狭しと桟敷が予め設置され「予約承ります」の看板が乱立していた。京都ではこのように予め定められた企業や店舗による桟敷設置が多く、シートなどで場所取りをするような光景はあまり見られないのだという。ともあれ、席代を払う気もなく弁当持参の管理人にとってみたら困るシステムな訳で、なんとか座れそうな場所を見付けて弁当を開いた。ちなみにこの日の花見弁当は天むす弁当。散り舞う桜の花弁が弁当に入り込み、それを風情と思うのがこの時期の日本人の楽しみだろう。
 花見の喧騒はとくにこの南西の広場だけ食い止められている。弁当を美味しくいただき終えた管理人は、遅まきながら参道に出てから本殿へと向かった。ここでの飲食はご法度だ。参道の途中に茶屋があり、そこだけが例外といえる。そしてこの参道や本殿前にも桜の木は当然のように植えられている。残念ながら時期の関係で満開というわけではなかったが、時期さえ合えばここでも多くの桜が彩りを与えてくれるのだろうことが想像できた。本殿前では参拝客が列をなしていたので遠くから参拝。気が付くと本殿前の舞殿ではピアノの演奏が始まっていた。色々考えた上での演出なのだろうが、いまいち桜とピアノの音色がかみ合っていないと感じたのは管理人の気のせいだろうか・・・。
 南東の桜園でも飲食は厳禁。ここでは本当の意味での花見が楽しめる。管理人もゆっくりと散策しながら、喧騒はあくまでも遠くに聞こえるばかりで桜と空とのコントラストに目を細めた。

 さて、桜の名所としての平野神社の評価、というのも随分偉そうな話だが、まぁ好き勝手に分析ささせて貰えれば多様化にとんだ名所といえるだろうか。まず上記したように花見のスタイルによって楽しめる区分けがされているということ。花より団子だろうと、とにかく静かに桜を眺めたかろうと、それに応えられる環境があるということ。次に桜の種類が豊富なだけに開花時期にずれがあり、長い期間桜を楽しめるということ。逆にいえば全て満開の景色を見ることはできないということにもなるが、訪れたけど一本も咲いてなかった、という最悪の結果は避けやすい。桜の名所としては楽しみを安定して提供してくれる、というのが管理人の平野神社に対する感想であり、評価としたい。

平野神社ホームページ⇒http://www.geocities.jp/daa01397/

 

千本閻魔堂

 平野神社を後にした管理人は北東へ歩を進め、千本閻魔堂こと引接寺へ向かった。
 ここには「普賢象(ふげんぞう)」という桜がある。主な特色としては、散る際に他の桜のように花弁ごとに散るのではなく、牡丹のように房ごと落ちるのだそうだ。
 が――残念ながらまだ時期が早かった。未だ蕾を硬く閉ざし、開花にはもう少しかかりそうだった。お寺の掲示板には4月の第3日曜日が桜祭りとあり、おそらく例年の開花はそれぐらいになるのだろう。今回は見れなくて残念だ。
 ちなみに千本閻魔堂こと引接寺は、その通称通り本尊に高さ2.4メートルの閻魔法王像を安置する。開基は平安時代の公家である小野篁と伝わり、5月始めに行われる有言狂言であるゑんま堂大念仏狂言が有名。なお、写真の閻魔様は本尊ではなく、境内に入ってすぐ左手上部に近年設置されたもの。本尊の閻魔様よりとても愛嬌がある印象で恐怖心をそそるにはいまいち。管理人としてはやはり威厳のある本尊の閻魔像の方が好きだし、閻魔様の印象にあっている。

京都にての地図(googleマップ)

 

千本釈迦堂

 千本閻魔堂を後にした管理人は南下して千本釈迦堂こと大報恩寺へ向かった。
 ここには「阿亀(おかめ)の桜」と名付けられた桜がある。その名の由来は釈迦堂本堂の建設の総棟梁であった長井飛騨守高次の妻阿亀で、阿亀は本堂建築の際に窮地に立たされた高次に適切な助言を与えてこれを克服させた才智の持ち主であったが、妻の助言で高次が大役を果したと世間に聞こえれば棟梁としての高次の沽券に関わる為、本堂の棟上を待たずして自刃して果てたという人物で、その才智と貞淑を称えて現在では桜の右手に大きな阿亀像が安置されている。
 なお、こうして棟上をみた本堂は後の応仁の乱にも焼け残り、現在洛中最古の木造建造物としても有名だ。
 当地に至った管理人が参道を北へ向かうと、門前にも桜が一本見事に咲いていたが、門の向こう側に更に見事な阿亀の桜の一部が覗いて見えた。その全体像を期待し門を潜ってみれば、とても大きな枝垂桜で、若干側面の花弁は散る傾向にあったが、上の方はまだ花弁を多く保ち、本当に美しく見事な姿を披露してくれていた。それにここは特に桜の名所という訳でもないので多くの観光客が押し寄せるといったこともなく、ただ静かに見るから圧巻な桜と対峙することができた。
 押し寄せるように桜が溢れている情景も素晴らしいが、こうして一本の銘木に向かい合い、風で枝がたなびく姿をじっくりと味わうのもまた良いものだ。

京都にての地図(googleマップ)

 

本隆寺

 千本釈迦堂を後にした管理人は、東に歩を進め雨宝院を目指したが、その手前にある本隆寺に立ち寄ってみた。
 本隆寺は法華宗真門流の総本山で、天明8年年(1788)の天明の大火に際して焼け残ったことから「焼けずの寺」という通称名が有名であり、また境内にある「夜泣き止め松」はその葉を枕の下に入れておくと夜泣きが止むと言われている。観光寺ではない境内は至って静かであり、管理人が訪れた際も疎らに人が行き交うだけであった。
 さて桜はというと、境内には多くの桜がある訳でもなく、名のある銘木がある訳でもない。桜の木は5、6本と数は少ないのだが、それでもそれらが全て満開で充分の見応えを与えてくれた。これは意外と穴場?というのが管理人の率直な感想だ。やはり花見は静かに鑑賞するべきものだなぁと思わせてくれる場所だった。

本隆寺ホームページ⇒http://www.hokkeshu.jp/honzan.html

 

雨宝院

 本隆寺を後にした管理人は、その北側にある雨宝院に向かった。
 雨宝院は西陣聖天とも呼ばれ弘法大師こと空海が大聖歓喜天を安置したのに始まるという。歓喜天とは最近一躍有名になった?ヒンズー教の神様であるガネーシャのことで、象頭人身の姿をしている。そして境内にはその名も「歓喜桜」と名付けられた仁和寺の御室桜と同じ品種の桜があるのだが――ここも時期的にまだ早すぎた。咲いてないかなぁ~などという淡い期待はもろくも打ち砕かれ、写真のように僅かに開花した桜を見るだけだった。残念。

京都にての地図(googleマップ)

 

 この後、夕闇迫る頃に京都御苑に訪れたのだが、ここでも品種によりすでに散った桜。満開の桜。未だ蕾の桜とそれぞれだった。やはり一度に様々な桜を見たいと思っても、それにはどうしても無理があるようで。しかし思うに、「こっちの桜は終わったけど、今度はあっちの桜」といったように長い期間をかけて桜を楽しむことができるのが京都の桜の良いところであり、風情なのだろうとも思う。管理人のように一度に全部見ようと思うのは贅沢であり、またせっかちな風情知らずといったところだろうか。

「そう慌てなさんな」
 そんな風に京都の桜に諭されたような気がする2009桜見物だった。

(2009/04/16)

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