「御金神社」
くそっ、また外れた!
なのに世の中には当選している奴がいると思うと沸々と湧き上がる不満。
なぜ、俺じゃないんだ!!
・・・おっと、冒頭から取り乱しまして、申し訳ありません。。。
管理人は基本的に賭け事は好まないのだが、ロト6を少々。しかし、当たらないですねぇ。この間電車の中で知らぬ女性が「知り合いがロト6で50万当てたんだって。あれって結構簡単みたいだよ」な~んてことを話していましたが・・・いや、当たる人間は当たるけど、当たらない人間は当たらないから。俺、何年も買い続けてるけど千円以外当たったことないから・・・と、心の中で涙をポトリ。
こんな不条理は許せぬ!と人間思ってしまったら、あるかなしかの運命というものを変えたいと願うのが心情ってやつだろうか。そうなると、やっぱり神頼み?
京都市中京区にある御金(みかね)神社は、御由緒書によれば元々民家でひっそりと祭祀されていたものを、明治16年(1883年)に今の名を附して社殿を建立したのが始まりという。御祭神は金山毘古神(かなやまびこのかみ)、天照大神、月読神の3神だが、特にご利益の重要な性質を司っているのが他の2神に比べ知名度の低い金山毘古神という神様だ。
日本神話によれば金山毘古神は火神カグツチを産んだことにより火傷に苦しむイザナミが吐いた嘔吐物が化生した神で、その名の通り金山を司る神とされる。ここでいう「金山」とは金属の元となる鉱物を産出する鉱山のことで、その為元々は鉱物を加工してできる剣や刀、鏡、鋤、鍬などから家庭用品に至るまでの金物全般を司る神として祭祀されてきた。
が、当社は次第に、社名をフリガナが振られていなければ「おかね――」と読んでしまえるように、金物全般というよりも貨幣としてのお金を司る神として特化されてきたようだ。その為、御由緒書にも「――近年は資産運用の神として証券類や不動産、造作、転宅、方位、厄除け、また旅行中の無事安全を護りたまう大神としてひろく崇められています」とある。
境内もまたそれを意識してか、それともあくまでも金属を司る神を象徴してのことなのか『金』に満ち溢れている。まず訪れた人の目を惹きつけるのが、黄金に染められた鳥居だ。また鈴緒の綱も金色に染まり、社殿の屋根を覆う軒先の瓦には『金』の字が躍る。悪趣味か、それとも信心か。それは見る人によって変わってくるのだろう。
境内の絵馬を拝見させてもらえば、そこには人間の欲望が溢れている。これを卑しいと見るかどうかも見る人によって変ってくるだろう。
御金神社を訪れると、自分のお金に対する認識を問われているような感覚を覚える。
ともあれ、不況極まる昨今。あっちも、こっちもお金がない。国自体も借金まみれ。
人が金を動かすのか。金が人を動かすのか。
儘ならぬ世の中で、直接金を司る神様に物申したければ御金神社を訪れてみるのも一興かもしれない。例えば管理人なら「俺にロト6が当たらぬ不条理を正せ!!」とか。
そしたら金山毘古神さんは、金の神様だけにきっとこう言うでしょう。
「そう言われても、まったくカナ(金)わんなぁ」
・・・お粗末さまでした。
関連作品:京都にての物語「金、金、金」