「2009紅葉見物」

 

 11月中旬の某日。今年も行ってきました京都紅葉見物。今年は洛北の鷹峯を訪れてみた。

 ああ、今年も暖冬なんだろうなぁ、と思わされるようなぬる~い日々が続いていたので予定していた日にはまだ紅葉していないかな?という危惧があったが、2日前ぐらいからようやく冷え込みが強まり、一転これは大丈夫かなと期待を胸にいざ京都へ。

 

光悦寺

 四条大宮から6系の市バスで北上し、鷹峯源光庵前で下車。
 同乗していた紅葉観光の人々がバス停近くの源光庵に流れていく中、管理人は源光庵の前を素通りして西に向かい、最初に光悦寺を訪れた。
 光悦寺は元々本阿弥光悦の屋敷だったものを、その没後に日蓮宗寺院としたのが始まり。
 本阿弥光悦は戦国期から江戸初期にかけて活躍した芸術家で、刀剣鑑定など刀剣を扱う生業を本業としていたが多岐に才能を発揮し、徳川家康より与えられたこの鷹峯の地に工芸集落を築きあげた。

 光悦寺への入り口は門もなく、道路を歩いていても近付かなければ分からないほどに狭いものだったが、いざその入り口に立つと、先に延びる参道は細いながらも規則正しく配置された石畳敷きで、前方に建つ瓦葺の小さな門までの頭上を色付いた紅葉が陽に輝き、紅き天井の如く覆う光景は、これ以上ない風情が詰め込まれていて、思わず、おお、という嘆声を一つあげてしまった。
 門を潜った先にも紅葉天井の回廊は続いていて、その懇ろなまでの造作は、まるで歓待を受けているような心地よさを与えてくれた。
 受付で入園料300円を支払い、いざ庭園へ。
 狭くもなく、広くもなくといったような庭園には、三巴亭、大虚庵、本阿弥庵など7棟の茶室が配置され、また大虚庵の周りには竹を組んで造られた光悦垣が取り囲む。その間々に紅く色付いた紅葉が点在し、古びた茶席との取り合わせは、なんとも情緒深き風景を作り出していた。また庭園から望む鷹峯の山も美しく、こんな所で一服つけたならばさぞ気持ちがいいものだろうと思う。・・・のだが。。。
 まぁ、そこは京都ですから、よほど早朝でもない限り静かに庭園の雰囲気を堪能することなど出来るはずも無く。管理人が入園した当初は意外と人影が疎らだったのでラッキーと思っていたのだが、後から後から人が増えてきた。どうやら団体さんが到着されたようだ。こうなると後は人をやり過ごすのに一苦労だ。

 帰り際。やはり紅葉の回廊は美しい。入る際には人通りが切れなかったのでデジカメでの撮影を断念していたのだが、やはりこの光景は記録として残したい!もちろんいらぬ人の入ってない写真が!だが・・・上記したように入ってきた時以上に人では増え、人の行き来は絶えず、結局人の頭が入らぬほどにアングルを上に構えシャッターを切るしかなかった。無念。。。

京都にての地図(googleマップ)

 

源光庵

 光悦寺を出て東に向かうとすぐに源光庵に辿り着く。
 源光庵は曹洞宗寺院。本堂に円型の「悟りの窓」と角型の「迷いの窓」があることで有名だ。
 禅宗の寺院だけあって入り口の門は質素で、参道の傍らには光悦寺の鮮やかな紅葉とは対照的にススキが植えられていて、これもまた趣のあるものと思えた。
 400円の拝観料を支払い、建物内へ。
 入ってすぐの廊下を正面に歩いていくと庭園に出た。それは見事に手入れされた枯山水庭園。だが、前日の雨で本物の水が溜まってしまっている皮肉。心なしか上部写真右下の亀石も、本物の水に戸惑うようだ。
 紅葉の色付き具合は、まだ少々早かったようで緑の葉が幾分目立ったが、この色のグラデーションもまた目に楽しい。

 本堂に入ると、下段写真のような「悟りの窓」と「迷いの窓」があった。パンフレットに曰く。
 『悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表わし、円は大宇宙を表現する』
 『迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表わしている』
 まず「迷いの窓」の前に座ってみる。その先に庭園の紅葉が見えて美しい。・・・ではなく、まぁ、普通の窓感覚の見え方ですな。
 次に「悟りの窓」の前に座ってみた。う~ん、左手の蔵の白壁面が景色の邪魔をしているな。・・・ではなく、そうだなぁ、なんか卑怯だ。卑怯だというのも「迷いの窓」は普通の障子なのに、「悟りの窓」の枠は光沢ある黒枠となっていて、黒といえば収縮色だし、ましてや円形自体集中するという感覚を引き起こさせ、いかにも洗練された崇高な景色を演出しようという意図が見え隠れする。
 と、こんな風に知ったかぶりで見え方による優劣を語っている時点で、それはそれでまだまだ迷いの中にいるのかもしれない。禅宗では捉われる心を嫌うようで。つまり見た目に拘って悟り、迷いと判別しているようではまだまだ。そうなると、そもそも悟りの窓、迷いの窓という規定を受け入れてしまった段階でまだまだ。
 管理人が遠くから二つの窓を眺めていた時に、小さな女の子が常識に捉われた大人たちを尻目に窓に近付いて、迷いの窓からも、悟りの窓からも外を眺めては楽しそうに笑っていた。それぞれの窓の前にはこれ以上先には近付かないようにとの竹の敷居があるので、人間社会の中で生活していく以上、寺の定めたルールを破る行動を取った女の子を親はしっかりと叱るべきだ(叱っている様子はなかったが・・・)。ただここで管理人が言いたいのは、女の子にとって「迷いの窓」も「悟りの窓」も、外の景色が見られるというものでしかなかったということだ。捉われない心というならば、要はこれが一つの悟りではないだろうか。
 まぁ、悟りなんてものは一朝一夕で得られるものでもなく、また終わり無きものなので、それこそ捉えようの無いものだが、ここはひとつ、二つの窓の前に座って自分自身の悟りを見出すのも一興ではないだろうか。

 また本堂には血天井と呼ばれる血痕の残る板が天井板に使われている部分がある。
 時は慶長5年(1600)。上杉征伐の為会津に向かった徳川家康の留守を狙い石田三成が挙兵。最初の攻撃目標となったのだ伏見城だった。伏見城には家康の家臣鳥居元忠が篭もっていたが、多勢に無勢、奮戦の後に自刃して果てた。血天井の板はこの際の伏見城の遺構で、板に残る血痕は鳥居元忠一党のものと伝わり、供養するという意味でこの源光庵の他にも、京都市内では大原の宝泉院、西賀茂の正伝寺、東山の養源院にそれぞれ移され、血天井が現存している。
 正直、見て余り気分のいいものではないが、あくまでも供養。ただ、ここの血天井にははっきりと足跡が残っている部分があるので、それを見ると昔の日本人の足の小ささにびっくりするかもしれない(落城寸前の城に女子供がいないとするのが前提だが)

京都にての地図(googleマップ)

 

常照寺

 最後に訪れたのは常照寺。
 当寺も日蓮宗のお寺だが、なんといっても寛永の頃に天下の名妓として一世を風靡したと伝わる吉野太夫(二代目吉野太夫/松田徳子)縁の寺として有名で、墓も当寺にある。境内に入る際に潜る門も吉野太夫寄進のものと伝わり「吉野の赤門」として有名。

 さて、そんな吉野の赤門を潜って境内に入ろうとしたところ、中から出てくる人に2通りのパターンがあるのに気付いた。一方はそのまま門を潜って出てくる人、そしてもう一方は門を出たところで境内に向かって礼儀正しく一礼する人。おそらく後者は信者の方なのだろうか。
 とりあえず管理人はただの観光客なので普通に門を潜った。
 受付で300円を支払い、まず本堂を拝見。それから境内を巡った。紅葉の具合は、この日回った中では一番進んでいるようで、一部の紅葉はだいぶ散ってしまっている状態だった。なので紅葉見物としてはいまいち見所がないように思えたが、キョロキョロと境内を見回しながら歩いていたところ、この日一番の紅葉と出合った(写真下段)。この紅葉は綺麗だった。群れることなく、ただ一本の紅葉。遠くから見つけたときにはまるで人工的に染めたかのような深紅の姿で、吉野太夫の美とはこのようなものだったかと思えるほどに、その周囲だけが妙に鮮やかに見えた。残念なのは葉が全て高い位置にあるので、近付いて近影での撮影ができなかったこと。まさに高嶺の花。いや、本当にこの紅葉は綺麗だった。

 帰り際、赤門の傍らに染まりかけの紅葉の木があった。同じ境内にも関わらず、一方ではすでに散り、一方では染まりかけの姿。一時にすべての紅葉が最盛期を迎えたならばどれだけ美しいものかとも思うが、そうなかなか上手くはいかないものだなと、こればかりは仕方がない。

京都にての地図(googleマップ)

 

 2009年紅葉見物。
 鷹峯見物の総評。まず紅葉見物としては、昨年訪れた嵐山にはやはり劣っているだろうか。壮観さという意味では嵐山に敵わない。故にどうしても観光客の注目は嵐山に集まるだろう。その分といってはなんだが、観光客の数は断然鷹峯の方が少ない。まぁ、少ないといっても京都観光地のことだからガラガラという訳にはいかないが、それでも嵐山に比べたら随分とマシだ。
 紅葉の進み具合は、常照寺が一番進んでいるように見えた。次に光悦寺。最後に源光庵。
 紅葉の見所としては、光悦寺が一番。次に常照寺。源光庵は敷地の狭さもあり、紅葉自体の本数が少ないように思えた。

 なにはともあれ、今年も紅葉見物ができた満足感。
 これでようやく冬を迎える心構えが今年もできるというもので。

(2009/11/30)

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