「安倍晴明」

 

 現段階で科学的に証明されていない事柄を非科学的とし、非科学的なことを「胡散臭い」と切り捨てるならば、その方面の伝承の多さからして個人的に安倍晴明は、役小角、空海と並び称される「三大胡散臭い」の一人といえるだろうと考える。
 と書いてみたが、もちろん、これは見方の問題。
 科学は日々進歩するもので、現段階で科学的に証明されていなからといって「胡散臭い」と切り捨ててしまうのは早計に過ぎる。
 それにしてもだ、余りにも晴明のイメージは整い過ぎていて、へそ曲がりの血が騒ぐというか、そのイメージを少しでも崩してみたいと思ってしまう。
 晴明のイメージとして思い浮かぶ姿はどのようなものであろうか?近年でいうと、夢枕獏さん原作、岡野玲子さんが描く漫画「陰陽師」の印象が強いのだろうか。NHKのドラマ「陰陽師」ではSMAPの稲垣吾郎さんが、映画「陰陽師」では野村万斎さんが演じていた(ちなみに個人的には万斎様万歳!(個人的に晴明のイメージにフィットするのが野村万斎さんということ))
 ところが、肖像画で見る晴明は普通に歳を重ねた姿で描かれており、特別超人的な印象を与えるものではない。

 晴明の誕生についての正式の記録はなく、亡くなった寛弘2年(1005)で85歳であったとの記録から、逆算して延喜21年(921)に誕生したとされている。誕生の地と言われる場所は各地に残り、中でも有名なのが茨城、大阪、香川の三箇所とされている。特に大阪安倍野の「葛之葉子別れ」伝説は有名で、すなわち晴明の母親は白狐であったというものだ。しかしながら、どれも確定するには至らず晴明の出生については闇の中だ。
 ともかくも、晴明はこの世に生を受けた。そんな晴明がどうして陰陽師の道を進んだのだろうか。今昔物語には賀茂忠行の弟子となり、百鬼夜行に出くわす話が収録されているが、どのような経緯で賀茂忠行の弟子となったのだろう。もちろんこれを説明しうる正式な記録はない。あるのは陰陽師になることが運命であったかのような説話。一つは幼少時からの晴明の特殊能力を語るもの。一つは陰陽道の大家でもある吉備真備が大陸において安倍仲麻呂の霊に苦難を助けられたことから、陰陽道の秘伝書である「金兎玉兎集(きんうぎょくとしゅう)」を安倍仲麻呂の子孫に伝えたいとの一念から全国を探し回り、見付けたのが晴明だったというものだ。
 ところで、そもそも陰陽師とはどのような名称であろう。一つには中務省の下に置かれた陰陽寮に属する役人。つまり官職名であるというものと、陰陽道に精通し、その技を使う者という意味の総称。当然、安倍晴明は天文博士でもあり、陰陽頭でもあるのだから官職名としての陰陽師であろうと思っていたのだが、どうやら説話などではない正式な記録を辿ると晴明が陰陽寮に属していたという記録はないようだ。ちなみに、晴明の師でもある賀茂忠行も歴任した役職は近江掾、丹波権介であるようで、陰陽寮には属していなかったようだ。なお、息子の賀茂保憲は陰陽頭に叙せられており、晴明の息子である安倍吉平も陰陽頭に叙せられている。あくまでも上記2つの例でしかないが、陰陽寮に属する為には親の実績が加味されるものなのだろうか。
 では実際に正式な記録に残る晴明の役職はというと、大膳大夫、主計権助、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守となるようだ。最高位は従四位。立派な殿上人だ。
 その来歴に不明な部分が多い晴明の事なので本当に陰陽寮に属していたという可能性ももちろんあるのだが、あくまでも上記の記録に頼るならば、つまり陰陽師安倍晴明とは、官職としての陰陽師というよりも、陰陽道に精通し、その技を行う者としての「陰陽師」と認識されていたのかもしれない。

 陰陽師安倍晴明の実力はいかに。
 伝説や説話で見る晴明の実力を、今更一つ一つ挙げていく必要もないだろう。まさに類稀なる陰陽師!
 しかし、伝説や説話をそのまま鵜呑みにすることはできない。かといって、それだけの逸話が残る以上、まったくの根拠がないともいえないだろう。
 では、安倍晴明の実像とはどのようなものであったろうか。
 考えるに、まず陰陽道に留まらない膨大な知識を有していたことは間違いないだろう。天文道にしろ、暦道にしろ膨大な情報を自在に操れなければ優れた陰陽師とは呼ばれないだろう。
 次に晴明といえば式神の存在を忘れてはいけない。晴明の逸話には式神を使役するものが多々ある。では、そもそも式神はなんぞや。辞書で調べてみると、
 大辞泉:「陰陽道(おんようどう)で、陰陽師が使役するという鬼神。変幻自在な姿で、人の善悪を監視するという。しきのかみ。しきじん。しき。」
 との事。この式神の存在こそ、晴明の神秘性を増している要因と思われるが、果たして、本当に式神なるものが存在したのだろうか。
 澁澤龍彦さんは晴明を描いた作品「三つの髑髏」の中で以下の様に記している。
 『――安倍晴明は、じつは当時の秘密警察の長官のような役割を果していた人物ではなかったろうか、という意見があるそうだ。晴明が秘密警察の長官ならば、彼の手足のように暗躍していたといわれる目に見えない式神は、さしずめ組織の中核となる忍者のごとき行動隊員でもあったろうか』
 古来、日本には鬼や土蜘蛛の存在が語られているが、実はそれらは紛れもない人間であるという説がある。ではなぜ彼らが鬼や土蜘蛛と呼ばれるのか。それは彼らを鬼や土蜘蛛とすることで権力側が彼らを討伐する正当性を創り上げることに他ならないだろう。恐ろしい鬼や土蜘蛛を成敗するとなれば、正義の印象は必ず権力側に付与される。
 京の西北、大江山を根城とする酒天童子は有名な鬼だが『大江山絵詞』には晴明が泰山府君を祭り、式神・護法が国土をくまなく守護しているので酒天童子が都で人を攫うこともできずに悔しがっているといったような記述がある。酒天童子とは盗賊集団のことであろう。とするならば、都を護っていたのは晴明の支配下にあった式神=忍者のごとき行動隊員であったのかもしれない。
 神秘の中に存在する印象の強い晴明が、実在する行動部隊を配下に持っていたというのはどうもイメージしにくいだろうが、晴明が歴任した役職の内、左京権大夫は地位こそ高くないが、左京地区の司法や警察を司る機関なのである。もしかしたらこの頃に役職の都合上、式神を使役しだしたのかもしれない。

 とまぁ、書いてはみたが、やはり見方の問題。残されている資料の、どれをどれだけ信用し採用するかによって見方は変わってきてしまう。
 とりあえず個人的な見方によって今回生まれた晴明像は、能力的には抜群の知識量を誇り、かつ新たな情報収集、及び実行する部隊を配下に置いた、それこそ藤原一門や天皇も一目置かざるを得ないような闇の権力者。それが晴明という稀代の陰陽師の正体ではなかっただろうか。
 そんな闇の権力者の屋敷を、天元元年(978)7月24日落雷が襲った。
 星を読み、未来を知り得たといわれる晴明。彼は知り得た運命を変える術は持っていなかったのか。それとも運命に従う道を選んだのだろうか。

 関連作品:京都にての歴史物語「忠実なる人
        京都にての物語「式神」 
 関連記事:京都にての物語紀行「晴明神社

(2010/11/18)

<安倍晴明縁の地>

 ・安倍晴明を祀る
   晴明神社⇒http://www.seimeijinja.jp/

 ・安倍晴明の念持仏と伝わる不動明王を安置
  真如堂⇒http://shin-nyo-do.jp/

 ・安倍晴明の墓所
  地図

京都にてのあれこれへ トップページへ