「2011桜見物」

 

 4月某日。晴天。
 この日は春の陽気に包まれ、桜見物にはもってこいの日和となった。
 今年は東日本大震災もあり、いまいち花見というものに対して自粛ムードが漂っていたが、それでも行ける身を幸い、感謝を込めて花見に乗り出してしまうのが日本人の心情ではないだろうか。
 今年も日本に春がやってきた!

 

阪急松尾駅

 阪急電車に揺られて降り立ったのは、嵐山手前の松尾駅。さっそく満開の桜がお出迎え。
 桂から嵐山へ向かう阪急電車の駅は、どこも桜で彩られている。これも桜の嵐山を演出する布石ということだろうか。
 こぞって嵐山へ向かうと思っていた乗客が意外と多く松尾駅で降りたことに驚きつつも、ともかくも期待を抱かせる第一歩の風景がそこには広がっていた。

 

松尾大社

 松尾駅の改札を出てると、交差点の先にはすぐに松尾大社の鳥居が立っていた。
 松尾大社といえば「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と賀茂神社に対比されて語られるほど由緒ある神社だ。現在ではとくにお酒の神様として有名で、多くの酒造関係者の信仰を集めている。
 ただ、一般的には「桜」というイメージは薄いように感じるが、それでも穴場探索とばかりに訪れてみることにした。
 鳥居を潜り、道沿いに境内へと向かう。すると、門前ではフリーマーケットが開かれていた。商品は・・・まぁ、あくまでもフリーマーケットなので日用品が多く、あえてここで買い物をする必要も無いので賑わいを尻目に階段を登って門を潜った。
 境内の様子は、思った通り余り観光客の姿はなかった。どちらかというと、信仰心から松尾大社を訪れた人の方が多いのではなかと思われた。どこか「桜ぁ♪」と浮かれてやってきた管理人とは全てにおいて真摯さが違う。中には手水舎の近くに松尾大社の使いとされる亀の像があるのだが「今日は暑いだろう」と慈しむように亀の像に水をかけている男性がいた。篤き信仰心。
 それに比べて桜ばかりを追いかけてデジカメを撮影し続ける我が身を顧み多少の申し訳なさを感じつつも、宗教の自由、信仰の自由を逆手に「桜ばかりを追いかけるのも自由」と振り回しつつ、礼を逸しぬ程度に桜を中心に境内を巡った。
 桜は主に参道、及び楼門を入って右手側、あと社務所付近に一本。やはり数は多くないが、それでも境内の桜は程よく花開き、青空に下に美しい姿を見せていた。

松尾大社ホームページ⇒http://www1.neweb.ne.jp/wa/matsuo/

 

梅宮大社

 松尾大社を後にし、次に訪れたのは梅宮大社。
 梅宮大社は橘氏の氏神であり、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)によって現在の地に祀られるようになった、こちらも長い歴史を持つ神社だ。現在では子授けのご利益があるとして有名で、境内にある「またげ石」を参拝し祈祷の上跨げば、子が授かるといわれている。
 そんな梅宮大社の桜といえば八重桜が有名で、境内にある神苑には百数十本が植えられている。
 が、だ。ここでは完全に時期を逸した。写真の楼門右手の桜は山桜なのだろうが、残念ながらすでに多くの花弁を散らしていた。これが満開ならば、さぞや見応えがあったろうに。そして有名な八重桜には時期が早過ぎた。神苑をデジカメを片手に血眼になって桜を探したのだが、多くの八重桜はいまだ蕾のまま。僅かに一本の桜の木が七分程度に可憐なる花弁を広げている程度だった。
 山桜は散り、八重桜はまだ。刹那の花、桜よ。その盛りに出会う至難さよ。一期一会の春の日に。。。
 八重桜の最盛期には神苑の勾玉池周囲に八重桜のトンネルができるらしい。潜れなくて残念だ。

梅宮大社ホームページ⇒http://www.umenomiya.or.jp/

 

車折神社

梅宮神社を後にし、次に向かったのは車折神社。
 平安後期の儒学者である清原頼業を祀る車折神社は「約束を違えないこと」を守護する神様として信仰を集め、また願い事をして祈念神石と呼ばれる石を授かって持ち帰り、もし願い事が叶ったならば、自分で拾った石を祈念神石と併せてご神前に「お礼」として返納するならわしがあることでも有名だ。
 更に境内末社には芸能神社があり、芸事に従事する多くの人々が奉納した朱塗りの玉垣が周囲に並んでいる。それらの名をつらつらと眺めていくと、良く知った名がちらほらと。特に現在の人気を象徴するのが、嵐メンバーの名が書かれた玉垣。なにやら騒いでいる人がいるなぁ~、と思ったら、嵐メンバーの名が記された玉垣の前で記念写真を撮る人の多さ。別に直筆な訳でもないのに・・・と思いつつ、嵐ファンの人間が身近にいるので記念に管理人も一枚撮影してしまうほどの人気振り?
 と、それはさておき、桜の話に戻り車折神社の栞によれば創建当時より「桜の宮」と呼ばれるほど多くの桜が植えられたと記されているが・・・やはりここでも時期を外してしまったか、境内に薄桃の花弁を日に輝かせている桜は数えるばかりしかなかった。それも殆どが散りかけのもの。画家の冨田渓仙が献納したという「渓仙桜」も、残り僅かの花弁を残り惜しげに身に纏っているばかりだった。

車折神社ホームページ⇒http://www.kurumazakijinja.or.jp/

 

桂川沿い

 車折神社を出てから琴きき茶屋の『櫻もち』を食べに嵐山に向かったところ、すんごい人だかり。わかってはいるけど、櫻もちを食べて早々に退散いたしました。それでも嵐山の桜は未だに旺盛で、多くの人の目を楽しませるのに充分な姿を保っていた。 
 なお、今回の桜見物では目的地にて目を見張るような桜に出会うことはできなかったが、今年の管理人が独断と偏見で選ぶナンバーワン桜は、梅宮大社から車折神社へと向かう桂川沿いで出合った名も無き桜群。その枝振りといい、豊満なる花振りといい、思わず立ち止まって、しばし見上げてしまった。

 

 桜は桜。いや、美しい。

 桜を愛でることができない日本人の切実なる悲しみ。その心中は察して余りある。
 再び桜を愛で、春を喜べる日々をむかえられることを、せつに祈るばかりだ。

(2011/05/12)

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