さくら

「2008桜見物(2)」

 

 円山公園を出た後、今度は知恩院の三門前へと出た。ここもまた凄い人だ。とにかく、この日の京都(京都市内中心部)は人口密集率(そんな数値があるか知らないが)がかなりの高数値を弾き出すのではないかと思われた。それに拍車をかけているのが、海外からの観光客。とくに中国、韓国などのアジア圏からの観光客が多いのではないだろうか。多くの異国語と擦れ違ったように思う。まぁ、京都にしたら喜ばしい経済効果だ。
 それでもって、知恩院前の道路にはずらりと観光バスが並び、黒門までびっしりだった。更にはそこに並べない観光バスが周囲を周回しているようで、丁度管理人が黒門前にいた時に、観光バスの整備をしている警備員と観光バスの添乗員が次のような会話を交わしていた。
 警備員:「(観光バスが一杯で)並べません」
 添乗員:「だって、今周回してきたばっかりなのよ」
 警備員:「いや、一杯なので」
 添乗員:「・・・」(プリプリとした態度)
 で、結局どうなったかというと、観光バスが道路を塞ぐような状態になってしまったので、仕方なく駐車列の最後尾に詰め込むように並んでいた。おそらく周回しているのはこのバスだけではないだろう。恐ろしい集客力だなと感心してしまった。
 さて、管理人はこの日は知恩院に参拝する予定ではなかったので、知恩院を後にした。そのまま北上し、青蓮院前を通り過ぎる。前方からは続々と、次の目的地から出てきた人であろう多くの観光客と擦れ違った。やはりこの界隈は桜観光のメッカですな。やがて前方に、平安神宮の大きな鳥居が見えてきた。
 円山公園から平安神宮。地図で見ていて近いな、とは思っていたが、思った以上に近く感じた。
 平安神宮の細かい説明は、今回は省きまして。境内に入ると、まずは左近の桜が見事に花開いていていた。率直な感想。「でか!」京都御所や仁和寺にも左近の桜はあるが、平安神宮のものが最大ではないだろうか。よく見れば、右近の橘もでかい。恐るべし、平安神宮。
 で、早速桜が見頃を迎えた神苑に入った。入場料は大人600円――1万人の入苑者がいたとしたら単純に600万円の売上になる。凄いねぇ~と考えてたら、近くにいた大学生風の男性も同じことを友人に呟いていた。考える事はみんな一緒ですな。
 入場券をもぎってもらい、苑の中へ。すると早速人溜りができていた。それもそのはず、鮮やかな紅の強い桃色の「紅しだれ桜」が苑の一面を彩っていた。とても背が高く、ものによっては建物の軒先よりも上から花弁を垂らしていた。白桃色の花弁も可憐なる一つの美しさではあるが、この紅しだれ桜の花弁は鮮やかなる美しさの一つだった。
 人々の流れに乗り、止まっては、溢れんばかりの桜を眺めた。ちかくでおばちゃんの「最初っから、こんなに鮮やかなのを観ちゃってどうしよう」という呟きが聞こえたが「いいんじゃないの、おばちゃん」と心の中で応えてみたりした。おそらく、この日が京都観光の初日だったのだろう。いいんじゃないですが、なにももったいぶる必要はないんだから。
 道順を南神苑から西神苑、中神苑、東神苑と回って神苑を出る頃には、もう桜はお腹一杯になってしまった。人の波に揉まれ過ぎたせいもあるだろうが、それを省いたとしても存分に桜の姿や色、美しさを味わうことができた。

 平安神宮の桜見物感想。
 今回は円山公園から歩きで訪れたこともあり、まずは平安神宮の手前、琵琶湖疏水の桜並木が左右に出迎えてくれる。また神社前の公園にも桜の花が開き、その下で地元の子だろう子供達が元気に遊んでいる姿が観光用ではない生活に根付いた桜の息吹を思わせた。
 神苑はさすがに手入れが行き届いていた。庭園というものの存在意義の第一義が鑑賞にあるのは間違いないことで、その為庭を構成する一つの要素である桜もまた、観賞用としての管理を受け、見栄えのある姿を見せていた。特に池の水面に向かって枝を伸ばし、花弁を階段状に見せる桜の姿は管理人の個人的な好みに合った美しいものだと思えた。
 ちなみに神苑内は飲食禁止だ。なので、円山公園のような楽しみ方はできない。平安神宮の神苑の楽しみ方は、あくまでも鑑賞だ。人手の多さにはやむを得ない難があるが、それでも見せる姿は、いわば観賞用のプロの桜、通称「モデル桜」とでもいおうか。
 円山公園とは対照的に、桜の鑑賞に重点をおきたいのであれば、平安神宮がお勧めということになるかもしれない。

(2008/04/30)

平安神宮ホームページ⇒http://www.heianjingu.or.jp/

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