「両雄再び」

<登場人物>

・上杉謙信(うえすぎけんしん)

時代:室町期

※この物語は京都が舞台ではありません。

 鞭声粛々、夜河を渡る――

 永禄4年(1561年)9月10日深夜。おぼろげに霞む月明かりの下、妻女山を下った上杉軍およそ1万1千は、金具に藁を巻く慎重さで、静々と千曲川を渡っていった。
 馬はしきりに首を振るも嘶かず。人は俯き、我が身の運命に想いを馳せる。
 敵は当代随一の騎馬隊を誇る、甲州武田軍。
 誰の胸にも、それが例え位高き武将であろうとも、徴兵された農民の雑兵であろうとも、この度の戦いこそは、両家にとって雌雄を決するものになるであろう事が察せられたに違いない。なぜなら彼等を率いる武神こそ、この度の戦いに並々ならぬ想いを傾けていたからだ。
「信玄め、この度こそは討ち洩らさぬ!」
 堂々と隊列の先頭を行く猛き姿。月毛の馬に身を持たせ、萌黄の段子の胴肩衣に白覆面。月光を映す燐光を帯びた神々しさ。毘沙門天が化身、上杉謙信。
 謙信の胸に去来するは、ただただ口惜しき想いばかり。どうして討ち取れなかったか。どうして破邪の剣は信玄を滅ぼさなかったか。
 それは8年前、天文23年(1554年)8月18日の合戦において――

 戦いは数日の均衡状態を保ったまま推移していたが、ある日、両軍は正面からの激突に至った。
 序盤は一進一退。しかし、次第に混戦の様相を呈し、両軍入り乱れての戦塵が巻き上がった。
 形勢が一変したのは、謙信率いる上杉本隊が混戦に斬り込んだのに始まる。先頭を一騎にて駆ける謙信は、白覆面にて顔を覆い、靡く白布は風を呼び、右手に大太刀を、板を貫く錐の如くに戦場を割って進んだ。多くの者が畏怖に道を譲り、遮るものは一刀にて斬り附された。
 謙信が求めるは、唯一つ。
「信玄、いづこにある!!」
 謙信が斬り込みの勢いそのままに武田本陣を目前にした時、はや武田菱は翻り、後退を始めていた。
 逃がすものかと謙信は愛馬を駆り立て、一心に信玄の首を追った。
 これぞ毘沙門天のご加護か、謙信は一切の傷を負う事なしに、やがて御幣川に騎馬にて乗り込んでいた信玄に追い付いたのである。
 謙信の姿に慌てふためく武田兵をもろともせず、謙信は大太刀を振り上げるや否や、
「豎子、ここにあったか!!」
 今だ体勢を整えられないでいる信玄に斬り付けた。
 しかし、そこは歴戦の雄、信玄である。刀も抜けず、苦しげな体勢からも、手にした麾扇にて謙信の太刀を返した。が、この時信玄の麾扇は折れ、
「信玄、覚悟!!」
 謙信の二の太刀を受けるすべなく、謙信の一撃は信玄の肩を斬り裂いた。
 苦痛に顔を歪めた信玄は馬の背に体を討ち伏せ、いざ止めと謙信は大太刀を振り上げたが、その時に至って武田兵の勇ある者2人の間に割り込み、信玄を逃して謙信を食い止めた。
「逃げるか、信玄!!」
 謙信の声虚しく、こうして信玄を直接討ち取る機会を失ったのである。そして信玄は、謙信の一刀を受けたにも関わらず、今だ健在であり、両家の戦いは続いているのである。

「今はただ時が惜しい。早く信玄を討ち、北条を討って関東を平定し、将軍家を盛り立てるべく上洛を果たさなければ」
 凛と張り詰めた空気。渡河する水音だけが微かに響く闇の中、謙信の想いは宙を漂った。
「そのためには、なんとしてでもこの度こそ信玄めを討たなければならぬ。八年前の口惜しさ。これからの日の本のため、毘沙門天よ、我に加護を!」
 謙信の熱き眼光は闇を貫き、その先には信玄の姿だけが浮かんでいた。

 鞭声粛々夜過河 暁見千兵擁大牙
 遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇

――そして、両雄は再び相まみえるのである。

 

※この作品は明石散人著:【謎ジパング~誰も知らない日本史~】中の<川中島合戦の通説の真偽~上杉謙信は空を飛びたかった~>を参考にしています。
  川中島合戦において通説と異なる部分がありますので、特に記しておきます。

(2007/12/10)

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