「心根」

<登場人物>

・吉弘鎮理(高橋紹運)/よしひろしげまさ(たかはしじょううん)
  ・娘(宋雲尼)/そううんに

時代:安土・桃山期

※この物語は京都が舞台ではありません。

「お前は誰?」
 水面に映る己の顔を見、娘は呟いた。そして頬を伝った涙が零れ波紋が己の顔を歪めると、堪え切れずに走り出し、縁側を駆け上がって自らの部屋に篭もり、声を噛み締め泣いた。止めどなく涙は溢れ、青色の袖が深く色付いた。
 今頃、娘の兄が、縁談を断る口上を述べているところだろう。両者、相望む縁談であったのに。
「鎮理様・・・」
 娘の口から零れた想い人――吉弘鎮理。兄と同じ大友家の家臣で、後に高橋紹運と名乗り、大友家の支柱となる武将である。
 鎮理と娘との婚姻はすでに決まっていた。後は婚儀を挙げるだけだった。それがどうしてここにきて破談となってしまったか。それは、痘瘡により一変してしまった娘の容貌にあった。
 この頃大友家は、毛利家との戦を繰り返しており、鎮理もこれに従軍。転戦に及ぶ転戦で、婚儀も遅延してしまった。そんな折、娘は痘瘡にかかってしまったのである。
 妹の容貌の一変に、さすがの兄、斎藤鎮実(しげざね)も縁談は遠慮するべき、と、この日、吉弘家へ向かったのである。
 娘は半刻程も泣いていたであろうか。廊下を歩く力強い足音に思わず身を固めた。
「今帰ったぞ」
 勢いよく障子を開け放ち入ってきたのは、娘の予想通り兄であった。ただ、予想に反して兄の様子が明るいのに不審を抱き、娘はわずかに視線を兄へと向けた。と、途端に娘は顔を袖で隠し、背を向けてしまった。なんと、兄と共に、鎮理の姿があったのである。
「喜べ、鎮理殿がお前を嫁に迎えてくだされるそうだ」
 娘の鼓動は高鳴った。そんな筈はない。今の自分を貰ってくれる人など・・・。娘は嬉しかった。しかし、彼女のとった行動は裏腹だった。
「鎮理様、私のことなどお構いなく。どうぞ他にお美しい方と・・・」
 それ以上は涙声、続かなかった。娘は嬉しかった反面、想い人である鎮理のこの後の評判を思えば、手放しで喜ぶことなどできなかった。もし、自分のような醜くなった者を妻に迎えれば、どんな悪評を立てられようかと。武士は体面を重んじる。自分が足を引っ張ってどうするかと。
 娘はさらに背を向けた。
 そんな娘に、鎮理はゆっくりと声をかけた。後に壮絶な岩屋城玉砕を演じる鎮理も、普段は物静かな男である。
「鎮実殿にも言ったが、私があなたを妻に欲しいと決めたのは、あなたの心の優しさであり、けっして容色の美ではないのです。たとえ容貌一変したといっても、いささかもその資性に変わりありません。なんであなたとの婚姻を、破談にできるでしょう」
 体格に似合い、声は野太いものであったが、そこには娘に対する想いが滲み出ていた。
 しかし、娘にとっては、この鎮理の優しさも今となっては恐い。情けで妻に迎えられるなど、余りにも惨めではないか。それならばいっそ、破談にしてもらいたかった。時に曖昧な優しさは、人を傷付ける。
 娘は意を決した。鎮理は自分の顔を見ていないから優しくなれるのだ。だから自分の顔を見せれば・・・。娘は己の不幸に、卑屈になっていたのかもしれない。
「鎮理様、私は・・・」
 人の動揺は、およそ目に表れる。娘は鎮理に顔を向けると同時に、鎮理の瞳を注視した。曖昧な優しさであれば、必ず動揺する筈だと。
「・・・鎮理様・・・」
 娘の大きく見開いた目から、また、涙が溢れ出した。鎮理は動揺などしなかった。そればかりか、澄んだ瞳のまま目を細め、涼やかな笑みを送ってくれた。全ては娘の思い過ごしだったのである。
――嬉しい。

 この後、二人は無事婚儀を挙げ、その間には、嫡子統虎(立花宗茂)、次男統増(直次)、娘ら多くの子ができた。
 こうして鎮理に妻として迎えられた娘は、後に宋雲尼(そううんに)と名乗り、賢夫人として家臣からも大いに慕われた。

(2007/12/10)

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