「春雷」

<登場人物>

・石田三成(いしだみつなり)
  ・大谷吉継(おおたによしつぐ)

時代:安土・桃山期

※この物語は京都が舞台ではありません。

「刑部殿、拙者に命を貸してはくれぬか?」
「なに、命を貸せと?」
 嵐襲う佐和山城中にて、薄暗い燭の明かりを頼りに、石田三成と大谷吉継は座を共にしていた。
 時に空を切り裂く雷鳴が轟き、一瞬の明滅を周囲に宿す。
「内府を倒すのだ。もうこれ以上、内府の横暴を見過ごしておく訳にはまいらぬ」
「待たれよ、それはならぬ」
 徳川家康の会津征伐に際し、吉継は家康の要請を受け出陣。北国街道を南下し佐和山近くを過ぎる時、三成に懇願されて佐和山城に入った。
 待ち受けた三成の口から出た言葉は――
「刑部殿、そなたも重い病であれば、拙者の見るところ長くて1年、余命いくばくもあるまい。その定められた命を、殿下の恩顧を受けた者として、大儀のために捨ててはくれぬか? そなたなら必ず分かってくれると信じておる」
 家康を討つための協力要請であった。
「ふむ。そなたもなかなかの事を言う」
 ライ病に侵されている吉継は、顔を覆った布の下からくぐもった笑いで三成に返した。
 だがその笑いとは裏腹に、吉継はなかなか首を縦に振ろうとはしなかった。
「そなたの考えているところは分かる。だが、よく聞いて欲しい、そなたでは駄目なのだ。そなたは確かに才ある男ではある。しかし惜しむべきは、人望のない事だ」
「あいや、それは分かっておる。しかし、その心配はござるまい。大将には毛利輝元殿に就いていただく」
「なる程、そなたはあくまでも影に回るというのだな」
「その通りでござる」
「しかし・・・」
 吉継は一時の間を置いた。その間が、一体何を意味していたか――
「のう三成、もう一度あの時のように、太閤殿下を“親父殿”と呼んでみてはどうだ?」
 あの時――

 それはまだ、三成と吉継が羽柴秀吉と名乗っていた後の豊臣秀吉に仕えたばかりの頃であった。
 石田三成こと、佐吉15歳。
 大谷吉継こと、平馬16歳。
 春の日差しが穏やかな、ある夕暮れ。2人はとある1本の大木の下で語り合っていた。
「なぁ、佐吉よ、もう少しみなと仲良くしてはどうだ。市松などはよくお主を気に食わぬと喚いておるぞ」
「別に言いたき者には、言わせておけば良いのです。殿の御為、拙者は精一杯尽くしているのですから」
「そう肩肘を張るな。お主は良くても、間に入る拙者が大変ではないか」
「ならば平馬殿も拙者を構わないでくだされ。拙者は殿に尽くすだけですから」
「はははっ、殿、殿か。それがいかんのよ佐吉。我等お小姓衆はみな殿の事を“親父殿”と呼んでおる。また、親父殿もそう呼ばしている。その中にあってお主だけが、殿、殿と。まるでよそ者なのだよ。お主の考えは分かっておる。あくまでも主従の礼をとろうとしているのだろう? だがな佐吉、お主も知るように、殿はあのようなお方だ。何も形式ばるのが全てではない」
「しかし、拙者は――」
 佐吉が平馬の言葉に対して反論を試みようとしたその時だ。
 いつの間に垂れ込めたのか、低く黒い雲から、稲光がほとばしった。
 ゴォォォォー! という地響きのような音が鳴り渡り、辺りを瞬間的に鳴動せしめた。
「春雷か・・・」
 空を見上げ、呟いた平馬。と、
「たっ、助けて下され、親父殿!」
 隣にいた佐吉が、頭を抱えて弱々しく叫んだ。
 その姿に、吉継は思わず笑い声を上げてしまった。
「ははははっ、佐吉は雷が怖いのか?」
 平馬の笑い声に佐吉はようやく顔を上げると、耳を真っ赤にして否定した。
「ちっ、違います。あまりにも突然だったために・・・」
「春雷とはそういうものだ。心配いたすな、この事は誰にも言わぬ。しかし、ついに言ったな“親父殿”と」
「いや、拙者は――」
「それでいい、それで。それでいいのだ、佐吉よ」
 平馬は佐吉に眼を細め、微笑んで見せた。
 佐吉は恥ずかしそうに俯くだけだった。

「結局その後、お主は一度も“親父殿”とは呼ばなかったがな」
 吉継は昔を思い出すように、覆面から覗く眼を遠くに投げやった。
「昔の話を・・・」
 三成は未だもって恥ずかしそうに、微かに笑った。
「どうだ、もう一度言ってはみぬか? ちょうど雷も鳴っている事だ」
 あの時のように吉継は眼を細めると、三成に優しく言った。
 雷が鳴る。
 雨音が響く。
「拙者は・・・、拙者は――太閤殿下の恩に報いるべく、内府、徳川家康を断固として討つ!」
 迷いのない、しっかりとした言葉だった。三成の決意は不動であった。
 つまり、去る者は去れと!
「はっはっはっ、やはり、お主は、お主のままよなぁ」
 吉継はその笑いの内に、どこか淋しげな雰囲気を落としていた。

 3日後、ついに吉継は友誼によって三成に協力する事を、宣言した。

(2007/12/10)

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