火渡り祭

「火渡り祭」

 

 日は沈み、薄暗くなった境内に勇壮なほら貝の音が響く。
 二十人近くの修験者が、境内に張られた結界の中に集結する。
 一人の修験者が弓を持ち、呪文を唱えながら四方に矢を射る。
 やがて中央の薪に火が灯され、その頃には闇に包まれた境内を揺らめく炎が紅く染めだす。
 その炎は、不動明王が背負う炎のようで――

 京都でお祭といえば、三大祭の「葵祭」「祗園祭」「時代祭」が有名だが、年中どこかしらで、なにかしらのお祭りが行われていると言われる程、京都には更に数多くの祭がある。そんな数多い京都の祭りの中でも、管理人が毎年訪れる祭りがある。それが一乗寺の狸谷不動院で行われる火渡り祭だ。
 狸谷不動院は平安京の城郭東北隅に鬼門守護として本尊の不動明王を祭祀したのが始まりとされる寺院で、火渡り祭は毎年7月28日に行われている。祭の内容としては、写真にあるように薪を燃やしながら、修験者が中心となり般若心経や不動明王の真言の読誦を行いつつ、燃えて崩れた薪を更に打ち崩し、その炭を地面にならした上を人々が裸足で歩き無病息災、及び心願成就を願うといったものだ。
 管理人が始めてこの祭を訪れたのが京都に移住した年なので、今年で6回目(1回不参加)の参加だ。この祭が管理人を惹きつけた最大の理由は、祭りの名の通り火渡りをさせてもらえる為だ。管理人は個人的な嗜好として参加型のお祭りを好む。だから、ただ外から見学するだけの京都三大祭などよりも、火渡り祭のような自分も体感することができる祭り好む。そして何よりも、火渡りという非日常の体験がとても魅力的だった。
 まぁ、火渡りといっても、管理人のような一般人がやらしてもらえるぐらいだから、渡る炭の火は殆ど消えているのでまったく足はまったく熱くない。ただ、その周囲には未だ炎を残すようにしているので、身を熱気が覆う。熱気で身を覆われた瞬間、管理人が感じたのはまるで別空間に入ったような錯覚だった。その錯覚に神聖さを求めることもできるだろう。だが、管理人はそんなに信心深くない。それでもその瞬間の体験は忘れがたく、こうして毎年訪れる結果となった訳だ。
 ところが、どうも3年前ぐらいから調子が狂ってきた。3年前は通り雨のお陰で炎が消されてしまい熱気もくそもなく、ただずぶぬれになってあるいた。去年はどうも火力が弱く別空間には入れなかった。そして今年は・・・やたらと煙が凄いだけでまたもや別空間への扉は開かなかった。もっとガンガン燃やそうぜ!と管理人ははしゃいでいたのだが・・・まぁ、お子様でも安心、と謳っているぐらいだから、残念ながらそう無理はできないのだろう。だからといって、管理人は飽きてはいない。きっと来年も火渡り祭に行くだろう。もう一度あの体験を味わいたいから。

 そういえば、今年の祭り中に火渡りの準備が整う間、ある女の子が大きな声で話しているのを別の女の子が嗜めていた。大きな声で話していた子は今回が初参加の模様。嗜めた子は家族揃って信心深そうな子。観光と信心とが上手くかみ合っていない瞬間を見たような感じだった。確かに観光客にもその場は解放されているが、そこには信心深く真面目に訪れている方々も大勢いるので、参加するからには余り浮ついた気分、及び態度でいるのは好ましくないように思われる。従うべきところは従い、祭りのあるべき姿や雰囲気をこそ楽しみとするのがよいのではないだろうか。それでこそ、貴重な体験になるだろう。 

 最後に、この祭りに参加すると不動明王の梵字が書かれた赤いお札を頂戴できるのだが――このお札については、管理人の周囲でなかなか霊験あらたか?な話もあったりなかったり――
 管理人自身は特になんらかの力を感じ取ることはできないが、習慣となった今ではこのお札を頂戴することが毎年訪れるもう一つの目的だったりする。
 そうそう、お陰で勝手に「不動」を名乗っている罰は当たっていない模様。・・・たぶん・・・

(2008/07/31)

狸谷山不動院ホームページ⇒http://www.tanukidani.com/

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