二尊院

「2008紅葉見物(2)」

 

 雨は相変わらず降っている。

 常寂光寺を出た後、一旦道を戻り更に北上して第二の目的地である二尊院にやってきた。二尊院といえば総門から境内へと続くその参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、左右に連なる見事な紅葉を期待していたのだが・・・こちらもどうやら時期を逸してしまったらしく、期待したような光景には出会えなかった。
 総門を潜り拝観料を払い、参道に立つ。既に紅葉をすべて散らして枝だけとなった木も多く見られ、散って地面を埋める紅葉も、その鮮やかさを失って泥に塗れていた。
 それでも所々に鮮やかに染まる紅葉は残っていた。その姿を見ると、この広い参道を朱に染まった紅葉が埋め尽くす光景はさぞ見応えのあるものだろうと想像すると、来訪と紅葉の盛りの時期が一致しなかったことが残念で仕方がない。

 人出は時間などの諸要因があるだろうが、常寂光寺よりは穏やかだった。
 参道の先の階段を登って、左手にある黒門を潜る。
 境内に入ると、それほど多くの紅葉の姿は見られたなかった。もしかしたら参道の紅葉と同様、すでにすべての葉を散らしてしまったのかもしれないが、常寂光寺のような一山すべて紅葉、といった風情ではないらしい。
 軽く境内を散策し、本堂に入る。二尊院の名の元になっている本尊の阿弥陀如来と釈迦如来に手を合わせた後、本堂の左手に設けられた茶席に座る。目の前には坪庭があり、右手には紅葉の鮮やかさが他の緑の中に映えている。雨音がしっとりとリズムを刻む中に、ししおどしの竹の高い音が響く。これで他の雑音がなければどれだけ居心地のいい空間だろう・・・って、おばちゃんうるさい!右手の紅葉を携帯の写真で撮影しようと、ドタドタと管理人の前を横切るおばちゃん数名。ええ、こんな時に静寂を求める方が間違っているんでしょうよ、とその居心地のいい空間に後ろ髪引かれながらも、本堂を後にした。常寂光院もそうだが、この二尊院にもまた改めて訪れようと思う。紅葉の時期ではない、もっと静かな頃に。

 本堂を出て、帰る為に勅使門に向かう。すると、その勅使門を額縁に見立てて一幅の絵のようにその先の光景が見えた。全体像が無制限に見渡せるのもいいが、こうして視界を限定してみる紅葉もまた美しいものだ。

 帰り際、参道を歩いていると、こういう所では良くあることだが写真のシャッターを押してくれるよう依頼された。写真を手渡し走り去る男性。それはカップルだったのだが、二人がポーズを決めるその場所は参道のほぼ中心。残念ながら紅葉は殆ど写りこんでいない。せっかくこの時期に来たのだから、もう少し背景を考えてポーズをとればいいのにと思いながらも、そんな差し出口は告げずにカメラを構える。あっ、管理人よりいいデジカメ、などと更に余計なことを思いつつ、こんな時ふと戸惑う。やはりシャッターを切る掛け声は「はいチーズ」にするべきかどうか。普段管理人が人間をとる場合は「はい行くよう、せいの」とかなんとかいって「はいチーズ」と言うなんともいえない恥ずかしさをやりすごしているのだが、日本人にもっとも普及している掛け声といえばやはり「はいチーズ」なのだろうから、そうするべきか否か・・・・・・。まっ、そんなことで相手を待たせるわけにもいかないので結局わかりやすいように「はいチーズ」とと声を掛けたが・・・・・・なぜシャッターをきる掛け声が「はいチーズ」なのだろうか。なんか昔テレビでやっていたような気がするが、忘れた。意味わからん。だから言うことに妙な恥ずかしさが伴う。つまらん拘りか?

 それはさておき、雨ということもあり時間も結構過ぎてしまったので、2008年紅葉見物はこれにて終了となった。
 総評、といっても常寂光寺と二尊院に二箇所しか回ってないが、どちらも紅葉の名所だけあって盛りを過ぎたにも関わらず美しい景色を見せてくれたように思う。その中で優劣をつけるのはお門違いな話かもしれないが、あえてどちらかに紅葉名所としての軍配をあげるというならば、やなり常寂光寺だろうか。盛りを過ぎてるにも関わらず、見応えは充分だった。

 紅葉の美しさはなんであろうと考えると、単純に色彩であろう。そしてその色彩が一瞬の煌きであるからだろう。
 一年に一度の煌きを、貴重なその一瞬を、今年もまた見ることができて嬉しく思う。

(2008/11/26)

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