さくら

「2008桜見物(1)」

 

 阪急電車を河原町駅で降りて木屋町南出入口の階段を上っていくと、真っ青な空が目に入り、地上へ出ると、早速高瀬川の桜並木が満開に色付いていた。
 この日の京都は快晴。格好の花見日和。想像以上の人出の多さに辟易しながら、四条通を八坂神社へと向かう。鴨川沿いの桜も満開を迎えていた。鴨川の両岸には多くの人が憩い、さすがにこの日ばかりは等間隔に並べるような場所の余裕がなく、ぎゅうぎゅう詰めで座り込んでいる光景には「鴨川らしさがないな」と勝手に思って苦笑いを浮かべた。
 南座の前を通り過ぎてから、小用の為に信号を渡り北側を進む。まぁ、南側を進もうが、北側を進もうが人の多さに変わりがないので、八坂神社に着く頃にはすっかり肉体的以上に精神的に疲れてしまった。
 八坂神社の西門を潜り境内へ。屋台が多数並び、その前に人々が足を止めている。人の波に従い本殿へと出る。神社側としても毎年の事として、この日の人出を予想しているのだろう、賽銭前の鈴緒が本殿の柱に縛り付けられて鈴を鳴らせないようになっていた。賽銭前が混まないようにという配慮だろうが、何だか詰まらないような気分になる。まぁ、この日は境内を通り抜けるだけなので失礼ながら賽銭もせずにご挨拶の会釈だけをして本殿前を通り抜けた。
 という訳で、2008年、今年の京都桜見物の一箇所目は円山公園に行ってきた。実は円山公園初登場。八坂神社の境内を出たところから、これまた屋台が左右にずらりと並んでいる。お弁当は持参していたので、とりあえず座れそうな場所を探して突き進むこと数メートル。左手にブルーシート大地が現われた。出た!ディスイズ、ジャパニーズHANAMI。桜の下の場所という場所が全て占領され、歩く隙間も乏しく思えた。そんな光景を左手に見つつ、人並みを掻き分け、進んで行くと一際人溜りが出来た一角に出た。と、その時だ、人ごみの向こうに管理人の目は一角の座れそうなスペースを見逃さなかった。反射的に一歩を踏み出し、巧みな(?)フットワークでその場所を確保した。ふぅ~と一息。やっと落ち着いた。ところで――なんで皆さん携帯やデジカメを構えて群れているのですか?とその方向に振り返ってみたら、おう、これがあの有名な円山公園のしだれ桜ですな。なんでも桜守・15代佐野藤右衛門氏が寄贈したという2代目ですな。その姿には一本だけ単独で植えられているというせいもあるだろうが「まるでボスキャラみたいだな」と思ってしまった。もちろん、シチュエーションばかりではなく、大きさといい、枝の広がりといい、やはりどこかに威厳のようなものを感じてしまったのだろう。そして、当然のように美しかった。
 しだれ桜とは別の桜の下で、管理人は行楽弁当を広げた。こういう時、風に散った桜の花弁が弁当に落ちると、その弁当が特別に美味く感じるのが不思議だ。それは思い込みに他ならないのだけれども、そう感じることに悪気はない。
 見上げれば桜。目を転じれば桜。けれどその視界には必ず人の姿が大部分を占めていて感激を薄れさせる要因ともなっているが、良くも悪くも、これが、日本人が作り上げた一つの文化なのだから仕方がない。桜を「きれい」と感じる感性があるというのが、尊いことなのだと思えればよいと思う。
 弁当を平らげ、その場からボスキャラ桜を激写、激写。手前の桜の枝から覗くしだれ桜の姿は、まさにボスキャラと呼べるだろう。ゲーム世代の鑑賞眼はホメラレマセンカ?
 その後、池のほとりの桜を手前に緑の山を眺めて、こりゃまた良い眺めだとデジカメのシャッターを切り続け、一回りして円山公園を後にした。

 円山公園の桜見物感想。
 桜の本数も多く、種類も数種あり、しだれ桜は美しく、また遠くに眺める山の緑も映え、桜見物の場所としては流石に高得点。花見という文化的行為を行う場所としては常識的な範囲での規制を受けないことを考えても最適ではないだろうか。管理人もお弁当を美味しく頂いた。
 ただし、反面見事なまでの花見という宴会会場でもあるので、当然のようにアルコールが入り盛り上がりすぎてうるさいと感じてしまう団体がいる。見た所、昼間は学生の団体花見が多いように思え、大いに盛り上がっていた。おそらく、これが夜になると会社関係の団体も出てくるのだろう。つまり単純に周囲の騒音が激しいのだ。静かな気持ちで風雅を楽しむといった雰囲気ではない。まぁ、ここが良くも悪くもといった部分であるが、まぁ仕方ないのであろう。
 以上のことから、飲食を伴う花見を楽しみたいのであれば円山公園はお勧めだ。ただし、鑑賞を重視し風雅を味わいたいのであれば、余りお勧めはできないかもしれない。

(2008/04/30)

京都にての地図(googleマップ)

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