車折神社

~戻りたいお社~

<登場人物>
・黒田香菜(くろだかな)・安藤千夏(あんどうちなつ)・黛沙織(まゆずみさおり)

 

 駐車場にできた人だかりを見て、
「もしかして!」
 直感が働いた黛沙織は、同行する黒田香菜と安藤千夏を後に置いて先行し目的のものを確認すると、小刻みに飛び跳ね置き去りにした二人を歓喜に満ちた表情で手招きをした。
 駐車場は三段に濃いオレンジ色の玉垣を設置し、それが壁の様に駐車場を取り囲んでいるのだが、南側の最上段の列に、某人気アイドルグループの名前が記された玉垣が並んでいた。そのグループの大ファンである沙織は、この車折神社に参拝するにあたって、なんとしてもこの玉垣を確認して写真に収めなければと意気込んでいたのだ。
 遅れて確認した香菜と千夏も特別ファンではないのだが、旅行中の高揚した気分の中でちょっとしたミーハー心理が働いて、各々デジカメやスマートフォンを取り出して玉垣の列を撮影した。
「ちょっと小さくなるけど、いい?」
 玉垣との記念撮影をしたがる沙織にせがまれて香菜はデジカメを構えるが、目的の玉垣が最上段にある為、どうしてもアングルは少し距離を置いて下から仰ぐ感じとなる。沙織は嬉しそうにポーズを決め、香菜はシャッターを切る。撮影した画像を確認し、一人でなぜか照れる沙織。今度は「折角だから」と千夏が同じように玉垣を撮影していた見知らぬ女性に撮影をお願いして、今度は三人で記念撮影。お礼を述べて確認した画像に映る三人は、満面の笑みを浮かべていた。
 大学の卒業旅行で京都を訪れた三人。この日は嵐山観光に先立って車折神社を訪れていた。
 駐車場を北に向かい歩いていくと、玉垣奉納の信仰対象である芸能神社が西を向いて安置されている。車折神社の摂社である社殿は決して大きい造りではないが、周囲を囲む玉垣の鮮やかさに信仰の隆盛を窺わせる。記された多く名前の中に、三人は知る有名人の名を見付けては「こっち、こっち」と呼び合って、はしゃいで回った。
 芸能神社をたっぷりと楽しんだ三人は、境内を敷かれた石畳に従い更に北へと進む。本殿へと通じる中門は閉まっているので、右へ迂回して進むと、右手に社務所が見え、左手は本殿へ石畳が続いていた。けれど三人はどちらにも向かわず、そのまま直線に続く石畳を辿り、左手に安置されている一つの摂社の前で立ち止まった。社殿はとても小ぶりのものだったが、特色として鳥居と社殿の間に円錐形の立砂が設置されていた。この摂社の名を『清めの社』と呼ぶ。
 近年『パワースポット』という言葉が流行っている。車折神社もその『パワースポット』として紹介される機会が多く、この『清めの社』も「悪運を浄化するパワースポット」として紹介されており、三人もご多分に漏れず、その様な紹介記事を頼ってこの車折神社に訪れていた。大学を卒業し社会に旅立つ三人の胸の中には、新たな挑戦への不安が渦巻いていて、少しでも不運を退けたいという想いは、真剣な、真摯な願いとなって三人を社に向かわせた。
 パワースポットとしての車折神社には、もう一つ特色ある信仰がある。それが社務所で授与される『祈念神石』という御守りだ。そもそも車折神社には古くから社の石を授かり願うと、願いが叶うという信仰があったようだ。それが現在は石を御守りの中に収め『パワーストーン』として注目を浴びているのだ。
 車折神社が勧める参拝順としては、最初に『清めの社』を訪れて身を清め、次に社務所で『祈念神石』を授受し、最後に本殿に向かって願い事を祈願するという順序になるそうだ。当然、祈願成就を願う三人も最大限の努力としてその手順に従って、最後に本殿を訪れた。

――三人の前に、一人の麗人が立っていた。

 170近いだろう長身をグレーのパンツスーツで包み、短い黒髪を七三に分け、前髪を掻き揚げて固めている。しっかりとした線を引く眉の下には、やや目尻の上った眼、筋の通った鼻梁に、軽く微笑んでいるかのように横に引かれた弓なりの唇に朱は淡く、それらが均整を以て配された容貌はどこか完成された印象を与えるが、頬に微かに差す自然の紅が初々しく、幼さからの羽化の途上であることを伺わせた。
 麗人は本殿前に設置された、多くの石が積み上げられた石台の前に立ち、また自らも石台に積まれた石と同程度の大きさの石をその両手に持って、石台を見下ろしていた。その石台は『祈念神石』を授受し願いが叶った場合は、お礼として別の石を納めるという風習に従って置かれた石積みだった。麗人もまた、その風習に従おうとしているようだった。
 三人は動きを止めて、しばし黙してその姿を見守った。三人の脳裏に共通して浮かんだ推測は、某歌劇団、もしくはその養成所である某学校の関係者?
 物怖じしない、時には少々図々しくもある行動派の千夏が一人動き、麗人の傍らに立って声を掛けた。単刀直入「関係者ですか?」と。麗人は突然声を掛けられ驚いたように千夏を見て、次の間には肯定も否定もしない少々困った笑顔を浮かべていた。この様子に慌てて沙織も近付き、
「やめなよ、困ってるじゃない」
 と千夏の腕を引いたが、三人の中でも一番ミーハーな沙織は千夏が作ったこの機を逃さずに話題を変えて食下がる。
「願い事が叶ったんですか?すごーい、やっぱりこのパワーストーンって効くんですね?」
 社務所で授受したばかりの御守りを麗人に示して自分も購入したとアピールする。共感こそコミュニケーションを潤滑に行う要点であったりする訳だが、麗人は更に戸惑ったように苦笑いを浮かべた。それでも二人を遮断するような行動は取らずに手に持ったお礼の石を胸元で少し掲げてみせると「パワーがあるかどうかはわかりませんが」と前置きをした上で、落ち着いた色の声音で自分の想いを語った。
「私は、ここにお参りすると、頑張ろうっていう気になれるんです。また戻ってきて、こうして石を積むことができるようにと」
 そう言うと、麗人は手にした石を静かに石台の上に積んだ。戻す手は置く時よりも早く胸元に宛がい、その様子が少しだけはしゃいでいるように見えて、瞬時に浮かべた笑顔にも嬉しさが漂っていた。
「ご存じだと思いますが、ここには願い事が叶ったらこうして石を奉納するっていう風習があるんですが、こうして石を積む時、それまでの努力が報われたような達成感があるんです。願い事の集大成……とでもいえばいいんでしょうか。初めてここに石を積んだ時は、本当に嬉しかった。その喜びを知ってしまったら、なんだかまた新しい願い事を持ってお参りすると、またしっかりとお礼においで、と言われているような気がして頑張れるような気がするんです。頑張って、またこの神社に戻ってきて、しっかりとお礼ができる自分になろうと」
 目を細めて白い歯を僅かに覗かせる、その充実した笑顔が、また美しかった。
 その時、麗人の名を呼ぶ中年夫婦が社務所の方向からやってきて、麗人と向かい合う三人に状況が飲み込めずも軽く会釈してきた。おそらく麗人の両親と思われ、麗人は思い出したかのように石積みに手を合わせて瞑目すると、
「お礼しました」
 と報告した。
「それでは」
 麗人は三人に向かって軽く会釈した。
「頑張ってください」
 結局はっきりとした身元は尋ねられなかったが、それでも千夏と沙織はそうと勝手に決め込んで、今後の活躍を応援した。少し遅れて二人の後ろにいた香菜も遠慮がちに「頑張ってください」と告げると、麗人は笑顔で会釈を返した。
 麗人を見送った三人。
「かっこいい!」
 と声を揃える千夏と沙織。香菜は最後まで麗人が去った方向を見詰めていたが「香菜はどうよ」と沙織に突っ込まれて我に返り「どお、惚れた?」という千夏の茶化しに必死に首を振ると、もう一度だけ麗人が去った方向に目を向けた。
「私もあんな風になりたいなぁ」
「おっ、今からそっちの世界を目指す?って、年齢制限に引っかかると思うけど」
「違う、違う。ただ、私もあんな風に自信を持ちたいなぁ、と思って」
「確かに。おそらく年下だろうけど、かっこよかったからねぇ」
 千夏も同意して視線を香菜と同じくした。
 麗人の表情には自信が満ちていた。それは御利益ばかりではない、多分な努力が引き出しただろう自信だ。だからこそ三人の目に麗人はより美しく、よりかっこよく映った。
「よし、私達も、それぞれちゃんと願いを叶えて、また三人でここに戻ってこよう」
 千夏が宣言する。
「うん、なんか負けてられないもんね」
 沙織が気合を込める。
 三人は本殿に向かってそれぞれの願いを込めた。
 最後に香菜が祈願を終えると、
「お礼にちゃんと来ます!」
 麗人の言葉をなぞる様に、深々と最後の一礼を施した。
 三人はそれぞれに充実した笑みを浮かべた。 

(2012/06/17)

車折神社ホームページ⇒http://www.kurumazakijinja.or.jp/

京都にての物語紀行「車折神社

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