市比賣神社

~キラキラ~

<登場人物>
・内藤美奈(ないとうみな) ・内藤梓(ないとうあずさ) ・山名美雪(やまなみゆき)

 

 フランスへ旅立つ梓。私の自慢の娘。ここまで立派に成長してくれて、本当に有難う。仕事が忙しくて何もしてあげられなかった私に、あなたはいつもお菓子を作ってくれていたね。それがまさか、あなたの夢になるとは思っていなかったけれど、私は心からあなたを応援したい。きっと思うようにいかないことばかりが待ち受けているだろうけど、パティシエとして、女性として、あなたが輝き、幸せを掴んでくれることを心から願っているよ。

 梓の親友である美雪ちゃん。本当にいつも梓と仲良くしてくれて有難う。きっと梓が寂しい思いをせずにいられたのは、美雪ちゃんがいてくれたお蔭だと思う。あなたは将来、起業したいと思っているんだってね。だから今、大学で一生懸命勉強しているって聞いているよ。とても大変なことだとは思うけれど、企業家として、女性として、あなたの成功を願っています。

 内藤美奈は、娘の梓と、その親友の山名美雪に、それぞれ柄杓に水を汲んで渡した。
 柄杓に汲まれた水は日差しを受けてキラキラと輝いていた――

 

 梓がパティシエ修行の為に渡仏する記念として、母の美奈と、梓の幼馴染の親友である美雪の三人は観光で京都を訪れた。
 寺社やお菓子屋を巡る観光。
 やがて三人は、美奈の勧めで市比賣神社を訪れた。
「女性の強い味方」
 と美奈は二人に笑った。
 市比賣神社は下京区本塩竈町にある小さな神社だが、その創建は平安京造営の頃に遡り、平安京内に設置された東西市の守護社として長年の信仰を集めてきた。
 その一方で、現代では祀られている神が全て女神であることに因み、女人厄除・女人守護の御利益があるとして信仰を集めていた。
 タクシーを降りた三人は、その不思議な造りに目を惹かれる。
 視界一面に白壁のマンションが聳え立ち、神社の参道はマンションの下に穿たれたトンネルを潜るように奥へと続いていた。入り口は門のイメージなのか、マンションの壁から突き出た様な屋根に瓦を吹き、朱も鮮やかな両側の柱に支えられ、奥へと続く天井部分は朱の格子状となっていた。向かって右手の柱に掲げられた黒板には白字で『女人厄除』、左手の柱には『女人守護』と書かれ、それぞれの文字の下に『市比賣神社』と記されている。左手壁面には多くの提灯が並び、右手のマンション一階部分が社務所となっているようだった。
「なんか、窮屈・・・」
 梓は肩をすくめ、美雪に同意を求めた。
 美雪は真顔でマンションを見上げ、
「敷地の有効活用、ってとこじゃない」
 推測を呟き、梓に視線を戻して苦笑いを浮かべた。
「さぁ、行こう」
 二人を促し、美奈が先に歩き出す。
 トンネルの先に石造りの鳥居があり、その裏には一本の松の木が植えられていた。松は初夏の日差しを受け、青々と輝いていた。
 鳥居の手前左手に御手洗があり、三人は説明書きに従って心身を清める。
 本殿は鳥居の右手奥に建ち、鳥居を潜った三人はY字に分かれた参道を右手に進み、その前に立った。
 本殿前には紅白の三本の綱が垂れていた。中央の一本だけが白綱で上部には大きな鈴が一つ付いており、両側の赤綱の上部には小振りの鈴が葡萄の房のように付けられていた。
「やっぱり、真ん中はお母さんだよね」
「バランス的にそうなるかな」
 梓に勧められるまでもなく、美奈は進んで真ん中に立った。
 賽銭を入れ、それぞれに鈴を鳴らす。両側の鈴は重なるように甲高く、真ん中の鈴はやや低めに乾いた音を響かせた。本殿はガラス戸に閉じられていたが、透かしてみる殿内は雪洞に燈が灯され、祭壇が飾られていた。
 三人はそれぞれの想いを込めて、形式に従い、二礼二拍手一礼を施した。
 鳥居を左手に進むと、左手に祈祷殿。参道の正面には植松稲荷社。植松稲荷社の右手に天之真名井(あめのまない)があり、その先は壁となって狭い境内の全てとなっていた。
 天之真名井は苔むした石造りの水受けに二本の竹が渡され、二本の柄杓が置かれている。井戸の汲み口は簡易の屋根で覆われ中を伺うことはできないが、水は竹筒を伝わり水受けへと絶えず注がれている。屋根の下には『姫みくじ』と呼ばれる赤色の姫型のだるまが願いの数だけ積み上げられ、土台となる組み石の表面が剥き出しになった部分には絡まった植物の青々とした葉と、巡らされた細い注連縄に結ばれたおみくじの白紙が、井戸の周囲を飾っていた。井戸の後ろには質素に社殿が備えられていた。
 社殿に向かって右手の壁にある絵馬掛けの隣には、
『一願成就まいり 絵馬を掛け「天之真名井」のご神水を呑み手を合わせ祈ると一つの願い事が叶うと伝わる』
 と張り紙されていた。
 日差しが井戸を包むように照らし出す。生した苔や葉の緑が鮮やかに映え、竹筒から落ち波打つ水は日差しを反射しキラキラと輝いていた。
「綺麗」
 梓はその輝きに目を細めた――

 

 美奈から柄杓を受け、梓はゆっくりと水を含む。
「あっ、美味しい」
 美雪も水を口に含んだ。井戸水の冷感が身を引き締める。
 水を口に含んだ二人の様子を眺めていた美奈は、突然含んだ笑い声を漏らした。
「お母さん、どうしたの?」
「ん?なんだか突然『力水』って言葉が頭に浮かんできちゃってね」
「力水?」
「知らないか。相撲でね、取り組みの前に、身を清める為に柄杓に入れて力士から力士に渡される水のこと。でも、力水っていうぐらいだから『頑張れよ』って応援する意味も含まれているのかな、って思って」
 美奈は立ち上がって二人と向き合うと、
「だから頑張って、二人共」
 力強い、満面の笑みを浮かべた。
 少しの間、美奈の意図を理解できなかった二人だが、やがてその心を知ると、顔を見合わせて照れくさそうに笑った。
「じゃあ、私も。美雪、ちょっと貸して」
 梓は美雪から柄杓を受け取ると、美奈に代わって井戸の前に屈み水を汲み、キラキラとした水の満たされた柄杓を二人に渡した。

 お母さん。今まで育ててくれて有難う。お母さんは私の為に、一生懸命働いてくれていたよね。今回だって、お金借りちゃって・・・。いつも迷惑ばかり掛けてごめんね。お母さんの笑顔がとても好きです。私がお菓子を作って、それを食べてくれて「美味しい」と言って誉めてくれたことが、とても嬉しかった。だから、もっと美味しいお菓子を作って、お母さんにいっぱい食べさせてあげるね。私の自慢のお母さん。いつまでも元気でいてね。

 美雪。いつも一緒にいてくれて有難う。あなたが側にいてくれたお蔭で、私はどれだけ心強かったか。だから、あなたと離れることを少し不安に思っています。けれど、これは私が決めたことなので、負けずに頑張ってきたいと思っています。あなたにはあなたの夢がある。私は心からあなたが成功することを願っています。これからもずっと、親友でいてね。

 二人は笑顔で受けて水を口に含んだ。
「じゃあ、私も」
 最後は美雪が井戸の前に立ち、内藤親子にキラキラの力水をつけた。

 梓ママ。私はあなたに救われました。幼い頃に母を病気で亡くした私が、母の面影を探して彷徨っていた時に、あなたは私にとっての灯台のように光を照らしてくれました。そして仕事に打ち込むあなたの姿は、私の憧れとなって未来へと導いてくれた。梓が旅立とうとしている今、きっとあなたは寂しさを覚えているかもしれない。けれど、私もあなたを慕っています。どうか、これからも変わらぬあなたを見せて下さい。

 梓。私の親友。けれど、どこかいつも羨ましかった。あなた達の親子関係が羨ましかった。だって、とても輝いて見えたから。そしてあなたは、更に輝こうとフランスへ旅立つ。なんだか、また差を付けられてしまった感じがしています。けれど、私も負けない。きっとあなたに追い付いて、あなたを追い越して見せる。そしたら、あなたは私を誉めてくれる?私の親友。私のライバル。もっと、もっと輝いて見せて。そしたら私も輝いてみせるから。

 柄杓を置いた美奈が、張りのある声を上げる。
「なんだか力貰っちゃったなぁ、頑張らないとね!」
 梓は胸元で両手に拳を作って力を込めた。
「私もフランスで頑張る!」
 美雪は笑顔で天を仰いだ。
「私はもっと勉強だぁ~」

 女人厄除・女人守護。
 三人は日差しの下、輝きの中にあった。

(2015/06/28)

市比賣神社ホームページ⇒http://ichihime.net/

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