仁和寺

~桜の中の桜~

<登場人物>
・奈良田融(ナラタトオル)・三橋雪絵(ミハシユキエ)

 

 バスは明らかに仁和寺の桜見物を目的とした観光客で満員だった。
 二人は乗車口正面の座席に取り付けられた手すりをどうにか確保する。
「まったく、どうして日本人ってのは、こうもぎゅうぎゅう詰めのバスに乗ってまで桜を見たいと思うかねぇ」
 奈良田融は自分も同じ目的である事を棚に上げで、不機嫌に呟いた。
「仕方ないじゃない。そういうモノなんだから」
 三橋雪絵は諦め口調だが、バスのブレーキに伴って後ろからの圧迫を受けるや、目を細めて片頬を引き攣らせた。
「ぶっさいくな顔するな」
「うるさい」

 四月も後半。季節は晩春を迎えていた。
 二人を乗せたバスは、ようやく仁和寺へと着いた。
 人体釜のような車内から解放された二人は、まず仁王門を見上げ立った。巨大で重厚な門だ。
 仁和寺の起源は仁和2年(886年)に光孝天皇の勅願寺として起こされ、その子である宇多天皇によって完成された。宇多天皇は仏門に入ると、自らが住職を務め、故に仁和寺は寺でありながら皇室の気品と格式を持つ事になった。応仁の乱以降、一時衰退するも、江戸期に再興され【御室御所】とも呼ばれる、その全容を取り戻すに至る。
 仁王門を潜り、境内へと入る。
 普段であればだだっ広い、その中央に石畳を敷いた参道が先の中門へと続いているのだが、今日ばかりは桜見物の人々の姿が視界を埋め尽くした。
「はぁ・・・前来た時は誰もいなかったのにな」
「ここの桜は、今が丁度時期だからね」
 二人はそれぞれニ度目の訪問となるが、お互いに桜の時期に訪れるのは初めてだった。
 境内に向かって仁王門の左手に、一本の桜が見事に花開いていた。根元では、一人の青年が無心にその姿をスケッチしている。
 絵心の無い融は、デジカメを取り出してシャッターを切った。
「ユキ、撮ってやるから入れよ」
 雪絵は笑顔を浮かべ、被写体として納まった。
「しかし、本当に日本人って桜が大好きだよなぁ」
 桜を眺め、人々の姿を眺め、融は雪絵に語り掛ける。
 雪絵も頷いたが、
「けど知ってる?元々は桜よりも梅の方重要な木だったって」
 そう切り替えした。
「出た、うんちく」
「いいから、聞いてよ」
「はいはい、どうぞ」
「それが如実に現われているのが、内裏の紫寝殿前を飾る二本の樹木なの。今も京都御所の紫寝殿前には二本の樹木が植えられていて、一つは右近の橘。もう一つが左近の桜。確かそこの御殿の寝殿前にも同じように橘と桜が植えられている筈だけど」
 雪絵は仁王門の左手にある御殿を指差した。
「でも、昔は桜ではなく、左近を飾ったのは梅だったの。梅は大陸文化の象徴だっだから。当時は大陸文化に学び、それに倣う事こそが上流階級のステータスであった訳だからね。ところが、ある時期をもって国風文化とも呼ばれる大陸文化から日本固有の文化へ遷移する時代風潮の流れにが起こって、それに準じて左近を飾る樹木を、大陸的な梅から日本に元々自生する桜へと変更させたの。国風文化って覚えてる?学校の授業で習った筈だけど」
「まったく覚えていません。先生ごめんなさい」
「あははっ、やっぱり。まっ、そういう事情で桜を日本文化の象徴として定める事で、日本人は桜を愛し、それは刷り込み式に代々伝えられ、お陰で日本人は桜が大好き!ってな訳。まっ、実際綺麗だしね」
「なる程、文化ですか」
「そう。で、桜が文化なら、桜を愛でるお花見も文化。さぁ、日本人が生み出した文化を満喫しよっ」
 雪絵は融の腕を引き、参道を歩き始めた。

 参道半ばに仮設された発券所で入山券を購入し、中門を潜る。数段の階段を登れば、左手に、一見した華麗さはなくとも、白桃色の花弁が一塊に群生し、生命力の力強さを感じさせる御室桜の、その独特の背の低さ故にどこか不恰好でありながらも、にじり迫るような重層な連なりが、見る者に 感嘆の溜息を吐かせた。
「凄いな」
「綺麗」
 二人も頬を綻ばし、少しの間その場に立ち止まり見惚れた。
 融はデジカメを手に木々の間を巡っては、ベストショットを目指してシャッターを切った。目線の高さに花弁が咲き誇っているので、デジカメの液晶は自ずと花弁に満たされる。
 一通り巡った二人は、仮設された桟敷に腰を下ろし、雪絵が握ったおにぎりを頬張った。一面の桜が視界を埋め尽くす。
「来て良かったな」
「でしょ?」
 本日の企画発案は雪絵だったが、二人は満足そうに頷きあった。
「けど、本当に背が低いな。どうしてだろう?」
「地質的な条件らしいよ。多分浅いところに岩盤層があるんじゃない?」
「ふうん。俺、さっきのお前の話しを思い出してみたんだけどさ、実はこの桜の背の低さって、左近の座を奪われた梅の呪いじゃねぇの?」
「・・・梅族と桜族の因縁の闘い?春を飾るのは私達、いや俺達だって?枝葉を自在に操り取っ組み合って、叩き合って・・・最 後は梅族が自らの枝で護摩壇でも焚いて、桜族の背を縮めちゃったとか?・・・ありえる」
「えっ、ありえるんかい!」
「あはははっ、冗談だよ。ある訳ないじゃない」
「びっくりしたぁ。冗談で言ったのに本気にしたかと思った」
「あはははっ――でも・・・」
 突然雪絵は笑顔を消すと、物思いに桜を眺めた。
「でも、確かにこの背の低さって・・・」
「どうした?」
「なんか未完成っていう感じがしない?植物だから未成熟って言った方が正しいかな」
「それが?」
「未成熟っていう事は芽生えに近しい訳よ。・・・なんか思わせ振りじゃない?国風文化の先駆けを成していたといわれる宇多天皇縁のこの仁和寺の桜が、日本文化誕生の象徴のような萌芽の姿で現われたのは」
 一般的に国風文化の始まりは、遣唐使廃止からという。廃止の経緯には様々な理由あるようだが、その最終的な決断を下したのは、宇多天皇に他ならない。
「そしてその萌芽、この御室桜ね、は永遠に未成熟であり、永遠に未成熟であるという事は、永遠に成長をし続け得るという事に繋がっていくの。まさに、日本文化の象徴であるべき桜じゃない!」
「そっ、そうか?」
「そうよ。そもそも文化っていうのは人類の築き上げた成果であって、日本文化っていうのは日本人が築き上げた成果であって、桜は・・・その成果の象徴というよりも、もっと先駆的な意味合いでの象徴ね。船で例えるなら、船首飾りとして陽を浴び輝く桜。その桜の意匠になるべきが、永遠に止まる事を知らないこの御室桜なのよ。かくして日本文化という船は、波を貫き風を切り、船足を緩める事無く進み続け得るのよ」
「・・・へぇ。で、つまり?」
「つまり、この御室桜こそは日本文化の『象徴の中の象徴』たるべき特別な桜なのよ!」
「・・・桜の中の桜って事か?」
「そう。あくまでも、日本文化の象徴としてだけどね。そんな桜をこうして眺めていられるなんて、光栄なことじゃない?」
 雪絵は満足そうに頷くと、大きな口を開けておにぎりを頬張った。
 雪絵は歴史好きだ。そして歴史に関わらず、時に突っ走ってしまう。
 融はそんな雪絵を現実に引き戻す役目――どころか、煽る。
「じゃぁよ、じゃぁよ、もしかしたら始めからそういう意味合いで、地質の硬いここに桜を植えたのかもしれないな」
「あっ、そうかもしれない!昔から完成は滅びに繋がるから、わざと未完成のままにするっていう呪術があったの。有名なところでいえば、日光東照宮とかね」
「ほらぁ、俺が言った通り呪いだろうがぁ」
「トオルが言ったのは梅の呪いじゃない。でも、トオルが呪いの話をしてくれなかったらここまで辿り着けなかったかもしれないね。ありがとうね」
「おうよ、任しとけって。でも、お前の考えも凄いな。でかいなぁ」
「やっぱり凄い?私って凄い?」
 二人は互いに誉め称え合い、そして御室桜を長いこと眺めた。

 桜を愛でるのが文化であれば、御室桜を愛でるのも文化であろう。
 それを一組の男女が愛でるのも、文化であろう。
 そしてその御室桜の姿に、なにがしかの意味を二人で読み取るのも、文化であろう。

 バスは明らかに仁和寺の桜見物を終えた観光客で満員だった。
 二人は乗車口正面の座席に取り付けられた手すりをどうにか確保する。
「まったく、どうして日本人ってのは、こうなる事が解っているのに桜を見たいと思うかねぇ」
 奈良田融は自分も同じ目的である事を棚に上げで、不機嫌に呟いた。
「仕方ないじゃない。そういうモノなんだから」
 三橋雪絵は諦め口調だが、バスのブレーキに伴って後ろからの圧迫を受けるや、目を細めて片頬を引き攣らせた。
「ぶっさいくな顔するな」
「うるさい」

(2007/12/10)

仁和寺ホームページ⇒http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/

京都にての物語紀行「仁和寺

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