六道珍皇寺

~迎え鐘~

<登場人物>
・私・花山涼子(ハナヤマリョウコ)

 

 私達は清水道でバスを降りた。
 晩秋の冷たい風が頬を打つ。
「じゃあ、先に行ってるね」
「うん」
 同行の二人は信号が青になるのを待って横断歩道を渡り、東は清水寺への道をとった。
 私といえば、もう一人の同行者、花山涼子を伴って西への道をとった。

「そこ、行ってみたい!」
 涼子が強い反応を示した時、私には意外だった。
 大学時代の仲間が三年振りに集まって、どこをどういった話の道筋――多分、私が振ったのだと思うけれど――を辿ったかはお酒の勢いで余り定かではないのだけれど、集まった四人で京都の紅葉を見に行こうとなった。
 一人が清水寺に行きたいと言った。そこで私は、清水周辺にある観光スポットを挙げていった。ちょっとした京都好きの私は、何度かその周辺を巡った事があった。
 清水寺を中心に、二年坂に三年坂、八坂の塔に庚申堂。北に行けば霊山、高台寺、八坂神社。西に行けば建仁寺、六波羅蜜寺、そして――
「後は、六道珍皇寺かな」
「知らな~い。何があるの?」
「それがね、なんとここには小野篁が冥界に通う為に使っていた井戸があるのです」
「誰?小野、誰?」
「篁。知らない?」
「知らないよぉ」
「知らないかぁ。結構その道では有名な人なんだけどなぁ」
「で、その井戸って、今でも繋がっているの?」
「冥界に?まさかぁ。今は水も枯れて、落ち葉が詰まっているだけみたい。まっ、これは何かの本に書いてあった事で実際に見た訳じゃないんだけどね」
「なんで?覗いてみればいいじゃん」
「それがさぁ、井戸って普通には入れない所にあって、遠くから眺める事しかできないんだよね」
「なにそれ、全然楽しくないじゃん。他にないの?」
「後は、小野篁の像と、篁が実際に見た姿を彫ったっていう閻魔大王の像」
「紅葉は?」
「そういうのはないね。普通に車とか敷地内に駐車してあるし、特に雰囲気があるって場所でもないかも」
「だったらいいよ、そこは」
「あっ、後ね『迎え鐘』があるよ」
「撞く鐘?」
「そう。その鐘を撞いた音は、あの世まで届くんだって。だからお寺の周辺の人達は、盂蘭盆に先祖の霊を招く為に、合図としてその鐘を撞くんだって」
「ええ、なんか嫌。下手に撞いたら怖いじゃん」
「そこは却下。ねぇ、湯豆腐食べようよ」
 と残りの二人には無下に却下された珍皇寺だったが、涼子だけはどうしても行きたがった。
 難色を示す二人に、私は別行動を提案した。
「じゃあ、先に清水に行っててよ。私は涼子と行ってくるからさ」
 紹介した以上、まさか涼子を一人で別行動させる訳にはいかなかった。

 バス停から二、三分歩くと、珍皇寺の門前に出る。門前の左側には『六道の辻』と刻まれた石碑が立っている。
「六道って?」
「えーと、仏教でいう、天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六界の事で、人間は死んだ後、必ずこの六界のいずれかにいくと言われてるの」
「辻っていうのは、道の曲がり角とかの?」
「うーん、角というよりも境目だね。昔はここら辺りから東の方は鳥辺野といって墓場だったの。ただし、今みたいに墓石が並んでいる訳ではなくて、当時は風葬だとか鳥葬だとか主流だったらしいから、言い方が悪いけど、死体の捨て場だったの。つまり『六道の辻』っていうのは、あの世とこの世の境目って意味があるの」
 涼子はかつての風景を幻視するように辺りを見回してから、納得したように二度頷いた。
 門を潜り、寺の敷地内に入る。以前来た時と同じように、左手には車が数台止まっている。右手にはコンクリート造りのトイレがある。最初にも言ったが、雰囲気は決して幻想的ではないから、京都に一種の夢を見に来ている人間であれば、面白味のない風景だ。だから雰囲気を楽しみに京都へ来ているのであれば、清水に向かった二人の判断は間違っていない。
 涼子は、ここに何を求めに来たのだろう。飲み会以来、特に追求してはいないけれど――
「鐘はどこ?」
「鐘はあそこだけど」
 私は鐘楼を指差した。
「あっ、でも順番的には手前のお堂から見た方が――」
 と人が説明しているのに、涼子は篁と閻魔大王像が安置されているお堂を過ぎて、鐘楼の前に立った。
 私も追いかけて、鐘楼に掲げられた案内板を見上げる涼子の横に立った。
 案内板には鐘のいわれが記されている。
「どうすればいいの?」
 鐘楼正面の壁に一箇所穴が開いていて、そこから綱が垂れ下がっている。その綱を――
「引けばいいんだよ」
 以前来た時には、本当に霊を呼び寄せたらどうしようと恐る恐る、軽く撞いた記憶が蘇る。霊的なものを全面的に信じてはいないけれど、絶対にないと否定する事もできない。触らぬ神に崇りなしだが、せっかくだから、と旅行者気分が綱を引かせたように思う。
 涼子も綱を取り、勝手がわからないままに試すように綱を引いた。鐘楼の内より、僅かに低く曇った鐘の音が響いた。
 鐘の音は本当にあの世まで通じているのだろうか?ここでも否定する一方で、否定しきれない自分と出会い、私は形なりにも手を合わせて眼を閉じ、頭を垂れた。
「これって本当に、あの世まで聞こえてるの?」
 言うや、涼子は綱を何回も引き、何度も鐘を強く撞いた。
「ちょっと涼子、そんなに撞いたらまずいよ」
 何がまずいのか、具体的には何もわからなかったけれど、とにかく私は慌てた。
 けれど、涼子は益々何か苛立って、ついには綱が出ている穴を覗き込んで叫んだ。
「花山恭次、聞いてるの?!私、全然幸せになれないじゃない!ちゃんと見守っていてくれてるの?!自分で言ったんだからね、お願いしますよ!!」
――涼子には、恭次という名前のお兄さんがいた筈だけれど・・・
 少しの間、涼子は穴を覗き込んだままの体勢で沈黙していたけれども、突然振り返って、
「ああ、少しはすっきりした」
 と空を仰いだ。
 私は妙な不安に駆られて、涼子に訊いた。
「お兄さん?」
 涼子は笑った。
「そう。去年、死んじゃった」
 ・・・知らなかった。
 涼子の両親は、涼子がまだ小さい頃に離婚をしていて、兄妹は母親に引き取られて育てられたというのは大学時代に聞いていた。そして、仕事に出ている母親に代わって涼子の面倒を見てくれたのが、恭次さんだった。兄妹はとても仲が良かった。
 その恭次さんが、昨年、病気で他界したのだという。
「そんな心配そうな顔をしないでよ。もう大丈夫なんだから。たださ、お前が幸せになれるよう、ずっと見守っているからな、なんて言って死んだくせに、私、最近全然いい事ないんだもん。嘘吐き!って文句が言いたくてさ」
 涼子は、けたけたと笑った。
「さぁ、例の井戸を見たら二人と合流しよう。けど、惜しいな。本当に井戸を通じてあの世に行けたら、兄貴に蹴りの一発でも入れてくるのに。あっち?」
 と本堂を指差して、またしても先に行ってしまった。
 なんて元気なんだろうと、私はあっけに取られて、苦笑いに彼女を追いかけた。
 一瞬浮んだ不安など消し飛んで、二人と合流した後の、湯豆腐が頭を駆け巡った。

――ただ後日、涼子は私に、こう零した。
「私ってブラコンだからさ――」
 ブラザーコンプレックス。
 彼女は寂しそうに微笑んでいた。
 鐘の音は、彼女の声は、届いたのだろうか。
 そして彼女は――待っているのかもしれない。

(2007/12/10)

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