安井金比羅宮

~縁の再生~

<登場人物>
・滝川奈々(タキガワナナ)・康夫(ヤスオ)

 

 桜の蕾が芽吹く頃、滝川奈々は父親である康夫の願いを受けて、二人京都を訪れた。
「お前が生まれる前に母さんと行ってなぁ。丁度今時期だったかな」
 手術と投薬治療により現在小康状態にある康夫だったが、その身体には今も癌細胞を宿している。いつ、容態が急変するかも解らず、奈々は康夫の願いを叶えるべく、医者の許可を得て京都行きを即断した。会社には急な話ではあったが事情を説明し、幸い理解ある上司で有給申請を受諾してもらった。
 日程は二泊三日。
 到着初日は京都駅周辺の寺社を巡り、早めに宿泊先のホテルに入った。
 二日目は、両親の思い出の地を巡る。まずは金閣、竜安寺を巡り、東にいって平安神宮に詣でる。その後南下し、清水寺へ。
 清水寺参道の坂道を、久し振りの観光に疲れた康夫を支えるように奈々は寄り添い、ゆっくりと登っていく。まるで多くの観光客が作り出すせわしない時間に置き忘れられた、二人だけの静かな時間の中を歩むように。
 仁王門を潜り、やがて二人は舞台に立つ。
「母さんは、ここからの眺めを凄い、凄いって言って喜んでいたっけな」
 奈々の母親が他界したのは、今から五年前だった。脳内出血を起こし、意識が回復する事なく息を引き取ってしまった。当時奈々は高校生で、唯一の肉親をなくしたように泣きじゃくった。その傍らに康夫は憮然と突っ立っていた。
 奈々が康夫を憎みだしたのは、小学生も早い頃だと記憶する。康夫はその頃より、酒を飲んでは母や奈々に暴力を振るうようになったのだ。自分も泣いたが、それ以上に母親はどれだけ泣かされたか。現在であればDV(ドメステックバイオレンス)という名称も一般化し、訴え出る環境も整ってきてはいるが、当時はそのような環境もなく、また母親の性格上、ただ耐え忍ぶだけに終止していた。そして母親は奈々に謝るのだ。
「ごめんね。ごめんね」
 康夫を憎まずして、どうして奈々の気持ちが整理できたであろう。
 憎しみは日々蓄えられ、母親が他界して後、奈々は高校卒業と同時に家を出て就職した。
 それから四年。努めて康夫との接触を避けてきた奈々だったが、去年康夫の癌が発覚し、父方の叔父から連絡が入った。
 当初は見舞いになど行く気はなかったが、幼い頃より可愛がってもらっていた叔母に説得される形で、康夫を見舞った。そこで、とても小さくなってしまった康夫を目にしてしまったのだ。
 その感情に名を与えるのであれば、間違いなく哀れみだろう。そして、憎き相手が弱者に陥った悲しみだろう。憎しみは、およそ己より強い相手に向けられる。己より弱い相手は憎む必要はない。その力を行使すれば済む話だ。
 この段階で、奈々の憎しみは半減した。そして、見舞いを繰り返すごとに憎しみは減退していった。今はただ、その憎しみの核を残すばかりに。
「お前と母さんには苦労をかけたな」
 清水の舞台でも零れた、父の謝罪。涙は流れても、どうしても憎しみの核は流れ去ってはくれなかった。
 核を残すばかりに――核とは、憎み続けた時間の集積そのものだろう。
――決着をつけなければならない。

 清水寺を後にした二人は、
「疲れているのに申し訳ないけど、ちょっと寄ってもいい?」
 奈々の希望で、三年坂、二年坂を通って、霊山護国神社の参道である維新の道に出る。そこから西に進み、交差点を渡って鳥居を潜った。
 安井金比羅宮。その縁起は藤原鎌足が一堂を創建したのが始まりといわれ、現在では日本三代怨霊の一人に数えられる崇徳院を祀っている関係から、崇徳院が流刑先にて一切の欲を絶ち参篭した事にあやかり、断ち物の祈願所として有名な社だ。
 断ち物にも色々ある。縁切りから病気断ち、酒断ちに煙草断ち。更に縁切りの願いは様々で、境内に奉納された絵馬を捲れば、望まぬ縁切りの願望をば、崇徳院ばりの呪詛を吐くかのように書き連ねている。
 人の縁とは、かくも複雑であり。
 奈々はここの存在を、今回の旅行の下準備で購入したガイドブックで知った。その上ネットで調べ、康夫を連れて訪れようと心に決めた。親子としてこの世にある縁に、一つの決着を付ける為に。
「ここはなんのお社なんだい?」
「断ち物祈願で有名なの。だから、お父さんも病気を断つ事ができるようにお祈りしようと思ってね」
 二人は本殿を前に賽銭を投げ、それぞれに目を閉じて手を合わせた。
 先に目を開けたのは奈々だった。ついで康夫が目を開ける。
「お父さん、こっち」
 奈々は父親を支えながら、本殿左手の社務所の方へと歩いた。
 すると、社務所の右手に、釜の底のような半円形をした大きな岩が、白い紙片に一面覆われた姿で安置されていた。
 境内に入ってきた時も目にしたが、近付いて眺めれば、余り好ましくない異様な感覚を覚える。白い紙片がこんもりと積もり、それは弾力ある軟体を思わせ、つまりはなんらかの生き物であるかのように蠢いているのだ。
「しかしこれは凄いね。なんなんだい?」
 康夫も不思議そうに見渡す。
「これはね、縁切り縁結びの碑って言うんだって。ほら、下の方に穴が開いてるでしょ?あそこを表から裏に通れば悪縁を切り、逆に裏から表に通れば良縁を結ぶんだって。お父さんもやってみてよ。病気との悪縁を切る為に」
 奈々に勧められて、最初康夫は恥ずかしいからと拒んでいたが、治そうという気持ちが大切、と奈々に押し切られると、社務所の棚に置かれた形式と呼ばれる紙片に病気平癒の願いを書き入れ、それを握り締めながら、奈々に支えられながらも膝を屈して碑を表から裏へと通った。
「おいしょ、っと。で、今度はこっちからもう一回通ればいいのか?」
 康夫はゆっくりと向きを変え、もう一度碑を潜ろうとするが、
「ちょっと待って。私も潜るから」
 康夫を遮り、その手に形代を握り締め、奈々も身を屈めて穴を通った。
 碑から出てきた奈々を康夫は迎えた。
「お前は、どんな悪縁を切ったんだい?」
 立ち上がった奈々に、康夫は笑顔で尋ねた。
 けれども、奈々に笑顔は無く、鎮痛な面持ちで康夫の瞳を正面から見詰めた。震えた声で、一言一言を絞り出す。
「私が・・・今、断ち切ったのは・・・お父・・・お父さんとの、親子の縁を切ったの・・・」
 康夫の表情が一変し、驚きと悲しみが一面に満ちた。体が震えだすのが解り、瞬時に脱力感が襲う。康夫はよろめき、危うく倒れそうになる所を奈々が抱えるように支えた。
 康夫は、どうして?とは尋ねなかった。ただ、
「・・・そうか」
 と項垂れた。かつての自らの行いに対して悔いと恥じ入る心を持っているだけに、理由を尋ねる必要はなかった。受け入れるだけが、自分にできる最大限の謝罪であると康夫は考えた。
 その潔い康夫の姿に、奈々は、
「ごめんなさい」
 と涙を溢れさせた。そして、
「私、どうしてもお父さんが許せなかったの。お母さんと私を苦しめ続けたお父さんが許せなかったの!」
 康夫の細くなった肩を握り締めて訴えかけた。それは責めているというよりは、ただ心情の吐露であるばかりで、奈々は長年溜め込んできた想い――憎しみの核――を全て吐き出さんと言葉を続けた。
「だからね、私はここで親子の縁の切ろうと決めてきたの。もうこれで、私とお父さんは赤の他人。親子でもなんでもない。これでようやく私は、お父さんを憎み続けてきたこの心を、捨て去る事ができる。そんな気がするの。もう、憎むのも疲れてしまったから。もう、抱え続けるのは嫌だから」
 奈々は唇を噛み締め、項垂れた。
 康夫は、黙って頷いた。
 沈黙の間が流れる。

 春風が、二人の間を穏やかに通り抜けた。

「でもね、やっぱり私はお父さんの子供なの。それはどんな事があろうと変わらないの」
 言うや、奈々は康夫から体を離して、もう一度今度は裏から表へと碑を通り抜けた。
 通り抜けて立ち上がると、勢いよく振り返り、奈々は深々と頭を下げた。
「これからも、私をお父さんの娘でいさせてはくれないでしょうか?」
 その姿に――父は慟哭した。

 奈々に支えられ、康夫も裏から表へと碑を潜った。病気を断ち切り、娘との新たなる縁を結ぶ為に。
 二人は揃って形代を碑に貼り付けた。
 春風に揺れる奈々の形代には『縁の再生』とあった。 

(2007/12/10)

安井金比羅宮ホームページ⇒http://www.yasui-konpiragu.or.jp/

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