鴨川

~自然と歴史とデートスポット~

<登場人物>
・宮出康徳(ミヤデヤスノリ)・藤谷茜(フジタニアカネ)

 

「きちゃったな」
「きちゃったね」
「座っちゃったな」
「座っちゃったね」
「・・・やっぱ、ちょっと恥ずかしいな」
 宮出康徳と藤谷茜は、顔を寄せ合って忍び笑った。
 秋の夕暮れ。日中に比べ冷たくなった風が、二人の体を撫でて過ぎ行く。
 二人は二泊三日の予定で、この日京都に入った。京都に着くと地下鉄で四条烏丸に出て、宿泊先に荷物を預け、バスで東山に出た。その後は徒歩で周辺を巡り、今は宿に戻る途中、鴨川に掛かる四条大橋の袂で二人寄り添って座っていた。
 二人の右側には、およそ十メートルを置いてカップルが座っている。その先にも、同じような距離を置いてカップル談笑している。 その先にも、そして対岸にも。更に、二人の左手にも、新しいカップルが同じような距離を保って座った。
 カップル達の座る間隔は、おおよそながら等間隔になっており――俗にいう、鴨川縁の等間隔カップル(別称多々有)って奴で。
「中学の修学旅行できた時に見てさ、あの時は凄く可笑しくてさ」
「私も。でも、どこか恥ずかしさを隠して笑っていたような気がする。本当は羨ましくてさ」
「そうそう、やっぱ彼女が欲しかったけど、当時はなかなかできなかったからなぁ。けど、こいつらは付き合ってるし、って思ったら、思いっきり笑ってやりたくてさ。今考えたら、それって思いっきり妬みが篭もっていたな。だから、本心ではやっぱり羨ましかったなぁ。それが今、こうして座ることができて、やっと念願叶ったって感じだな。・・・俺と付き合ってくれてありがとうな」
「こちらこそ、ありがとうございます」
 二人は茶化しあいながら、わざとらしく会釈しあった。それがまたおかしくて、二人はまた顔を寄せ合い忍び笑った。

 鴨川とは、下鴨神社の南方で賀茂川と高野川が合流し、そこから京都市内を南北に横断する京都の象徴的河川だ。古くは平安京の東部に位置し、風水的には東方守護の青龍に見立てられ、また一条以北は皇室の禊の場でもあった。現在でも丸太町橋辺りから以北は北方の山々の自然の息吹を残し、人々の憩いの場となっており、四条大橋辺りでは夏場の川床が風物詩となっている。
「鴨川とは――」
 この時を過ごせる喜びを噛み締めつつ、今日一日の思い出話に笑顔を寄せ合っていた二人だが、やがて話は目の前の川の流れに至り、康徳が声を高めた。
「――ただの川にあらず」
「いきなり、なに?」
「さて、なんでしょう。ただの川にあらず。続きは?」
 突然に振られても困るといったように、茜は口角を引き攣らせ微妙な笑みを浮かべるが、
「ただの川にあらず・・・ただの川にあらず・・・あらず・・・」
 とりあえず何かしら答えを出そうと考えこんだ。
「・・・ただの川にあらず。鴨というだけに、鴨料理が食べたくなる川である」
「ははっ、なにそれ。てか、鴨料理なんて食べたことあるの?」
「ない・・・。ああ、もうなんかウケを狙うにも中途半端になっちゃった」
 茜は恥ずかしがって両手で顔覆って笑った。
「いやいや、別にウケなんて狙わなくていいし」
「だって、わかんないんだもん。だから、せめてウケを狙おうと思って」
「あなたは、いつから芸人になったの」
「だって、無茶振りだよ」
「そっかなぁ・・・って、そうだよな。わりぃ、わりぃ」
「そうだよぉ」
 茜は康徳の左腕に両手を当て、力を込めて康徳を転がした。
 康徳は耐えられない力ではなかったが、わざとその力を受け入れて大袈裟に転がって見せた。
「いやな、俺は思う訳さ」
 陽は更に傾き、やや薄暗さが漂ってきた中で、康徳は元の体勢に戻ると茜の顔を覗きこみ、それから川の流れに目を移した。
「この鴨川ほど、歴史深い川はないだろうなぁって」
「その心は?」
「その心はって、大喜利のなぞかけじゃないんだから」
「いいから、いいから」
「えーと、その心は――長年の都の地を流れる川だから」
「全然おもしろくな~い」
「いや、だからさ、聴いてよ」
 こう笑いに走りたがるのは関西圏に入った悪ノリか?などと勝手な推測に苦笑いを浮かべつつ、康徳は続けた。
「川っていうのは、そもそもが水の流れであって、水が人間の生活に欠かせない以上、どんな川であろうと古くから人間社会と深く関わってくるのは当然のことなんだけど、その中でも鴨川がより歴史深いと俺が思う理由は、鴨川がこの場所を流れているっていう地理的条件なんだと思う。ずばり、その傍らに平安京が築かれたという事実ね。そもそも歴史というのは、残された記録の集積のことで、都の有する高度な文化――ここでいう文化っていうのは、事象を記録に変換する為の文字と、それを留める筆や墨、紙の事ね。その記録を残すに最適な文化は、都に集まる人々と鴨川との関わりを多く記録に残したわけ。皇室の禊場としての鴨川の価値を記録し、鴨川の氾濫を記録し、河川敷での処刑の様子を記録し、様々な芸能の様子を記録した。つまり、この記録量が他の川に比べて膨大であるという点において、俺はこの鴨川ほど、歴史深い川はないだろうなって思うわけ」
「ふ~ん。・・・でも、記録の古さだったらもっと他にもあるんじゃない?奈良の川とか」
「そうりゃ、そうだけど、俺が言っているのは古さじゃなくて、深さ。まぁ、この深さっていうのも、俺の感覚的な表現なんだけど、つまりは多くの量があれば、その高さ=深さは大きくなるでしょ」
「記録の書物を縦に積んでみたのね」
「そう、そう」
「叩いたら、すぐに崩れそう。崩れたら歴史が浅くなっちゃうね」
「いや、逆に広くなるから・・・じゃなくてな」
 まぁ、聴いてくれと、康徳は茜の肩を叩いた。
「そんな歴史深い鴨川で、俺らはこうして語っている訳だわ。そんでもって、こうして語る俺らの姿は『鴨川等間隔カップル』としてすでに色々な記録がされている訳だ。ということはどういう事か。はい、どうぞ」
「また無茶振りぃ」
「無茶振りじゃないよ。つまりだよ、俺らは今、連綿と繋がっている鴨川の歴史の、新たな歴史の中にいると一緒なんだよ。言い換えれば、俺らは今まさに、歴史に参加してるんだよ。凄くない?」
 康徳は一人で盛り上がり、満面の笑みで茜に同意を求めた。
 四条大橋の上から、大きな笑い声が響いた。きっと修学旅行生らがこの光景に対して色々な感情を込めて笑っているのだろう。
 最初は納得しかねる表情の茜だったが、最後はとりあえずテンションを合わせて、康徳に笑顔を向けた。
「歴史に参加する、っていう感覚がいまいちわからないけど・・・凄いことかな」
「そうだよ、凄いことだよ。これこそ、歴史を肌で感じるってことでしょう」
「そっ、そうかな」
「そうだよ」
 茜のわざとらしい同意に、忍び笑いに顔を寄せ合う二人。突然、康徳は茜の肩を抱き寄せ、
「だからな、最終的に俺が言いたいのはな――俺らのこの語らいは、歴史的な語らいなんだ。そしてこのキスも――」
 不意に康徳は、茜にキスをした。
「歴史的なキスだったりして。なんか特別って感じがしない?」
 康徳はとっておきの爽やかな微笑をもって茜を見詰めた。
 が、茜は余りにも臭い台詞に、噴き出して笑ってしまった。
 康徳もこれに釣られて、せっかく作っていた微笑を崩して噴き出してしまった。
 そして二人は長いこと、顔を寄せ合い忍び笑い合った。

 日も暮れて宿に向かう二人は四条通を西に急いだ。思ったよりも鴨川で時間を費やしてしまった。
「でもさぁ」
「なに?」
「あれで鴨川の歴史に参加したっていうんなら、京都観光に来た段階で、参加してるんじゃない?京都そのものの歴史に」
 江戸期の頃より、京都が観光地であったという記録は色々とありまして――
「・・・あっ」

 ようこそ、京都へ。

(2007/12/10)

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