十輪寺

~想い、祝福を~

<登場人物>
・私

 

 草生した斜面を登り、行きついた門は閉ざされていたが小口の脇戸は開かれており、そこから十輪寺境内へと入る。
 道なりに正面の建物へ行くも、小窓の開いた部屋に人の姿はなく、傍らに設置されたチャイムを押して来訪を告げる。
 やがて姿を現したご年配の方に拝観料を支払うと、パンフレットと合わせて、この十輪寺が在原業平縁の寺であることの説明があった。
 そして最後に――
「庭園の桜は散ってしまったが、心豊かに、満開の桜を想像して御覧なさい――」
 その言葉が、私の十輪寺での拝観の姿勢を方向付けた。

 緑の文字で『普感場』と記した竹の額を掲げた、細木と竹で組まれた小さな門を潜り前庭へと入る。
 晩春の頃。多くの樹木に満たされた境内は新緑眩しく、すでに春を置き去りにして気の早い夏を呼び込もうと麗らかな日差しに輝いていた。
 広くはない前庭を、石廊の道なりに進み本堂前に出る。
 本堂の戸は開かれており、靴を脱いで階段を登り内部に入る。鳥居を模した入り口を持つなど独特の造りの本堂には、本尊である伝教大師作と伝わる延命地蔵菩薩が安置されており、手を合わせて礼を尽くす。
 右手から本堂を抜け、廊下を左に曲がると、左手に建物に囲まれた長方形の小さな庭園を見る。『三方普感の庭』と呼ばれ、本堂と業平御殿を繋ぐ高廊下、その対称にある茶室、業平御殿のそれぞれから眺めることにより、趣の異なった情景を感じることができるということだ。
 高廊下から向かいの茶室を眺めると、六歌仙が描かれた襖絵と、業平御殿側の一間には塩焼きの様子を描いた屏風絵が飾られている。高廊下からの庭園の眺めは見下ろす形となり、石並び苔むす趣のある一面を眼下にすることができる。
 高廊下を渡りきって一段下がった業平御殿と呼ばれる建物に入る。業平御殿には平安王朝の様子を色鮮やかに描いた襖絵が三室に渡り展示されており、業平が過ごした往時を忍ばせる。
 『三方普感の庭』に面した業平御殿の廊下の奥には入ることができないようで、どうやら通常拝観では茶室から庭園を眺めることはできないようだ。なので、廊下の突き当たりから庭園を眺める。また、説明書きにはかつての公卿達がしたように横たわり手枕で眺めると、また別の世界が開ける、とあったので試してみる。すると、高廊下から眺めた石や苔は視界から消え、逆に高廊下からは幹しか見えていなかった一本の巨木が存在感を強くした。これが、受付時に説明を受けた桜の木であるらしい。時期を逸した枝に薄桃色の花びらはなく、すでに新緑が芽生えている為に樹木に無知な人間には桜かどうかの区別もつかないが、縦横に伸びた枝葉は庭園の上空を覆いつくし、まるでその木がこの庭園の空そのものであるかの様に思えた。

――私は想像する。

 時を遡る。開いた新緑が枝の節々に吸い込まれ、散り去った薄桃色の花びらが地から湧きだし一斉に空に舞い上がる。
 この一面の空が、桜色に染まる時――
 茂りの加減から濃淡の差こそあれ、桜は日差しを透かして輝き、その情景はとても明るく、華やかで、美しい。非現実的な空の下での静謐、たゆたい散りゆく幾片かの花びらの姿に時の流れる感覚は薄らぎ、安らかな弾力を帯びた空気感、それは桜色から喚起されるイメージが大きいだろうが、感覚に最適な温もりを以て私を包み込み、眼前に広がる光景共々、私に幸福感を喚起させた。
 不意に私は『祝福の桜』という言葉を連想する。この幸福感は、桜が与えてくれる祝福なのではないだろうか。
 天を覆わんばかりの桜の光景というのは、他でも見ることができる。それこそ多くの桜が満開となった連なりを見上げる光景は圧巻だ。けれど、その世界は開放的で際限がないばかりに、桜は桜以上の存在には決してなれない。
 ところが、この庭園は四方を建物で囲まれ、空は桜が天蓋となって覆っている。いわばこの庭園は、密封された限られた世界とでもいえるのだ。そしてこの限られた世界においては、圧倒的な存在感を示す『祝福の桜』こそが中心であり、北欧神話に語られる世界樹のような、世界を体現する存在として屹立していた。
 『三方普感の庭』という限られた世界は『桜色の祝福』に満たされていた。

 靴を履いて本堂を出る。
 本堂に向かって左手に裏山へと続く道があり、奥行きのあるなだらかな石段を登って行く。
 途中、二本の木の根元に小さな宝篋印塔が立っており、その傍らの石柱に在原業平の墓である旨が記されていた。
 更に山道を行くと、やがて石段を登りきるが、林の中に地面の一部が落ち窪んだ一角が現れる。窪みの直径は十メートル程だろうか。窪みを巡るように周囲の地面は大小の丸石を敷き詰め整備され、その内側には窪みの縁に沿って立木が打ち込まれ、縄を渡して窪みへの安易な侵入を阻んでいる。また四、五本の木々が窪みの縁に生えているのだが、剥き出しになった窪みの斜面の地肌の上を幾本もの根が露わに走り、その地形が一朝一夕でできたものではないことを物語っている。
 南北から窪みの底に降りる簡易な石段が続く先、前日の雨水を湛えた底の中心には、不揃いの石を積み重ねた円形の石竈があり、南北に開いた火入れの口から覗く内側は、煤に黒ずんでいた。
 一通り辺りを見回した上で、登り口付近に設置された石造りのベンチに腰掛ける。その正面の石柱には『業平朝臣塩竈旧跡』とあり、横に設置された案内板には塩竈旧跡の由来が記されていた。

――私は想像する。

 窪みの底に溜まっていた水が消えた。
 北側の火入れ口辺りに、白の水干姿のしゃがみ込んだ下男が現れる。男は手にした木の枝を塩竈内部に投げ入れ、火勢の具合を確かめていた。塩竈の上には鍋が置かれ、難波より取り寄せた海水が沸騰し、濛々たる紫煙を空へと昇らせていた。
 水干姿の男の傍らに、今度は白を基調とした狩衣姿の老翁――在原業平が現れた。晩年をこの地で過ごしたといわれる業平は手にした扇を緩やかに仰ぎながら、空高く昇る紫煙を、目を細めて眺めていた。口元には微かに笑みを浮かべているように伺え、時に何かを呟いていた。
――私はここにおります。私は今も、あなたを深く想っております。
 山を幾つか隔てた大野原神社には、業平の想い人である二条后(藤原高子)が参詣されており、業平は己の想いを立ち昇る紫煙に託していた。

 元気に日々を過ごしていますか?
 あなたは今、何をしているのでしょうか?
 私はいつでもあなたを想い、いつでもあなたの姿を探してしまうのです。時にあなたの姿を夢に見ては、それだけで心を躍らせてしまうのです。あなたはどうでしょうか?
 これまで、あなたの姿を誉めたことはなかったけれど、本当はあなたを可愛く思います。美しく思います。
 あなたの笑顔を、とても恋しく思います。
 言葉で答えを求めてしまえばとても簡単で、それができてしまうのならこんなことをすることもないのでしょうが――
 きっとあなたは呆れるでしょう。それでも、私はこうしてかつての人の想いに、私の想いを重ねてしまうのです。
 立ち昇る紫煙に想いを乗せて――

 やがて、見上げた空に紫煙は消えた。
 業平は紫煙の消えた空に何を思っただろうか。
 私は、何が満たされる訳ではなかったが――それでも想わずにはいられなかった。

 十輪寺を後にし、帰りのバスを停留所で待っている間、私は煙草を吹かした。
 紫煙が、雲もまばらな空に立ち昇る。
 私には伝えられない想いがあった。その鬱積した想いの慰めとして、「自分だけではない」という常套手段の為に十輪寺を訪れたのかもしれない。
 結果として鬱積した想いは晴れたかというと、そんな簡単なものではなかった。それでも、華やいだ『祝福の桜』の映像が今も鮮明に浮かび上がる。
――いつかの桜の頃、もしあなたが承諾してくれたなら、十輪寺を訪れよう。桜は私達を祝福してくれるだろうか。
 想像に、少しだけ心豊かになった。
――そういえば、あなたは私の喫煙を咎めていたね。
 ふと微笑ましく思い出し、私は大きく煙草を吸い込んだ。
――この想いをあなたに伝えることができたなら、きっと止められるだろう。
 勢い良く紫煙を空へと噴き上げた。

――私は、あなたを想っています。

(2013/08/07)

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十輪寺オフィシャルブログ⇒http://narihiratera.seesaa.net/

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