神光院

~で、どうするの?~

<登場人物>
・下妻亜里沙(シモヅマアリサ)

 

「かわいい!」
 下妻亜里沙は、タブレットを操作しながら声を上げた。
 タブレット画面に表示されていたのは、幕末の女流歌人である大田垣蓮月の逸話。
 昼食のおかずを買い出しに出た蓮月が、道すがら気の向くまま桜を見たさに吉野へ向かうも、途中で日が暮れ、山小屋の主に一宿を乞うも断られ、夜の山道を彷徨いつつ一本の桜を見付け、その下に寝転がり、見上げた月と桜の美しい光景に一宿の願いを断った小屋の主の無情も、またこの為のものであったかと感動し一首を詠むという物語だった。
 逸話に興味を惹かれた亜里沙は、蓮月のことを調べた。
「蓮月は多くの不幸も体験しているけど、とても一生懸命な人。例えば彼女は二度の結婚をして、五人の子供に恵まれるんだけど、五人とも病気で幼い頃に亡くしてしまい、二人の夫も、一人は離別後に、一人は幸せの中で亡くしてしまっているの。そんな深い悲しみに沈みながらも、彼女は一生懸命に――ただ、彼女の一生懸命さは逆境に耐えるだけのものではなくて、喜びに対しても一生懸命だったと思うの。彼女は後半生、必死に埴細工を作ってお金を稼ぐと、それを惜しげもなく救済の慈善事業に投じたの。それに詩や画を通じて多くの人々と交わり、もしかしたら恋もしていたかもしれない。時には思いつきで行動して失敗することもあるけど、決して俯いたりしない。空を見上げて、美しいものを見つけてしまうの。彼女は自然に、そうしたことができてしまったのだと思える。自分の衝動に素直で、正直に」

『――ある日、小学校からの帰路、通り慣れた路地の一角で、私は一匹の白猫を見付けた。白猫は路地沿いのブロック塀の下、アスファルトの上に口元から血を流し痙攣するように身を小刻みに震わせ倒れていた。
 私はすぐに事態を把握し、白猫をすぐに動物病院へ運ばなければと思った。動物病院の場所もわかっていた。
 けれど――私は白猫に手を伸ばせなかった。助けないと、という気持ちはあるのに、触ってはいけない、という恐怖に襲われた。それが何に対してなのか、その時、私には理解できなかったけれど、後になって死への恐怖だったのだろうと解釈するようになる。
 白猫に救いの手を差し出せなかった私は――自宅に走って母に助けを求めた。
 母は私の取り乱した様子に目を丸くしたが、すぐに私に先導させ白猫が倒れている場所へと急いだ。
 母は瞬時も躊躇わず白猫を抱きかかえ、近所の動物病院に駆け込んだ。
 けれど、すでに白猫は呼吸を止めていた。車にでも轢かれたのだろうと獣医が告げた。
 私は強い悲しみに襲われた。と同時に、強い後悔を覚えた。私が見付けた時には、まだ白猫は生きていたのに。もし、私が母に助けを求めることなく、白猫を抱きかかえ動物病院に連れてきていたなら、白猫は助かったのではないかと――』

 蓮月に触発された亜里沙は、気の向くままに京都旅行を発案した。
 京都は蓮月が過ごした地であり、洛北の神光院には蓮月が晩年を過ごしたと伝わる『蓮月庵』が残っていた。
 JR京都駅に降り立ったのは、新緑の頃。会社の休みを利用して組んだ日程は一泊二日の強行軍。真っ先に目的地へと向かう。
 京都駅前のバスターミナルから9系統の市バスに乗り込む。目的の神光院前停留所までは一時間程。亜里沙は外の景色を楽しみながらバスの揺れに身を委ねた。
 停留所でバスを降り、神光院の門前に出る。門前右手には大きな石柱に『厄除弘法大師道』と太々と彫られ、その左側にやや遠慮がちに『歌人蓮月尼隠栖之地』と彫られていた。門は至ってシンプルで、間口の小さな、加飾することなく、黒ずみ年季を経た柱の上に瓦屋根を乗せていた。
 神光院は真言宗の寺院で、東寺、仁和寺と共に京都三弘法の一つに数えられ「西賀茂の弘法さん」として親しまれている。厄除祈祷の寺院としても知られ、毎年七月二一日と土用丑の日に、諸病封じの「きゅうり封じ」加持が行われる。
 境内は自由拝観となっており、門を潜ると、右手には池の中央の小島に弁財堂があり、左手に蓮月尼が隠棲していたという茶室蓮月庵を早速見ることができた。
 本堂は境内の奥、蓮月庵の先にあるのだが、亜里沙の足はまっすぐ蓮月庵へと引き込まれた。

『――私が中学生の頃、長年生活を共にした飼い猫のミーコが、病気の為、臨終を迎えた。家族と共に手は尽くしたが、これ以上の延命は苦しめるばかりと家族と相談して決めた。
 やがて荒い呼吸を繰返していたミーコが、呼吸数を減らし、静かに息を引き取った。
 その体を抱え、抱き締める。悲しみと感謝の涙が止めどなく溢れた。
 涙を流すだけ流してミーコを愛用のクッションに戻した時、小学生の頃、アスファルトに倒れた猫を救えなかった記憶が強烈に蘇った。
 また、救えなかった・・・悲しみが積み重なっていくのを感じた』

 蓮月庵は、平屋の鄙びた建物だった。砂利道が建物北側の土間部分に伸び、東に面した戸口のから中に入れるようになっている。北面も戸口となっていて本堂を望むことができ、西面には不動明王を祀る須弥壇が置かれ、南面の上り口の襖戸は閉じられ、その先の居間となっているだろう南側部分を覗くことはできなかった。
「ここで蓮月は、朝から晩まで一生懸命に、ひたすら土を捏ね続けていたんだね」
 須弥壇に手を合わせた後、亜里沙は一通り土間を見渡す。東戸の上部に飾られた一枚の額に気付き、見上げて目を凝らした。
 額の内容は、戊辰戦争の折、東征に向かう新政府軍の軍列に蓮月尼が歩み寄り、対応した西郷隆盛に和歌を献じたというものだった。額の右手には説明書きがあり、左手には馬上の西郷隆盛に和歌を献じる蓮月尼の姿が描かれていた。
〈あだみかた 勝つも負くるも あわれなり 同じ御国の 人と思へば〉
 戦争により傷付く者が出ることを憂うこの和歌の献上が、西郷隆盛の心を動かし、江戸無血開城の一因になったという。
「きっと望むだけでは駄目なんだろうなぁ――」
 ひと時、見入っていた亜里沙は、静かに呟く。
「例えばだよ、蓮月が無名の尼僧であれば、西郷隆盛は和歌を受け取ったかな。蓮月は埴細工や和歌を通じて、維新の志士達との交流があったというし、もしかしたら西郷隆盛とも顔見知りだったかもしれない。だからこそ蓮月は自分の想いを託した和歌を手渡せたし、西郷隆盛の心を動かしたのかも知れない。だとしたら、それは蓮月にそれだけの実力があったからこそ出来たことなんじゃないかな。生きる為に、一生懸命に、ひたすら土を捏ね続けた事が結果として大きな力となって、蓮月の行動を実のあるものとしたんだと思う。望みを果たしたいなら、行動しなくちゃ駄目で。でも、ただ動くだけでも駄目で、望みを果たす為には果たすなりの力が必要なんだよね――」
 亜里沙は、そっと唇を噛み締めた。
 が、次第にゆっくりと口元を和らげる。微かに口角が上がり、柔和な笑みを浮かべた。
「ただ、蓮月はそんな自分の力を自覚して動いたんではなく、動きたかったから――違うか。蓮月の場合は考える前に動いちゃうんだろうね。自分の衝動に素直で、正直に。大切な人を喪う悲しみを知っているからこそ、それが繰り返されることを目の前にして、何もしないという選択肢はなかったんじゃないかな。――本当にかわいい人」

『私は希望通りの大学に進み、希望した会社へと就職した。入社してから一年経ち、仕事も順調で、私の人生は、それなりに満たされている筈だった――

 ――ある日、会社からの帰路、私は側溝に倒れる黒猫を見付けた。
 私は駈け寄り躊躇わず黒猫に触れると、呼吸を確かめた。か細いが、まだ生きているようだった。
 私は黒猫を抱きかかえて懸命に走った。すでに実家を出て独り暮らしをしていたが、動物病院の場所は把握していた。
 黒猫は助からなかった。
 私は――心の底に沈殿した、克服できない悲しみや後悔を、無視できなくなっていた』

「あーあ!」
 亜里沙は声を張って息を吐くと、両手を広げて伸びをした。そして満面の笑みを浮かべ、
「やっぱり動いちゃうよねぇ」
 額に描かれた蓮月に向かって、実に嬉しそうに声を掛けた。
 振り返った亜里沙は、力強い眼差しで宣言した。
「私ね――獣医師を目指そうと思う」
 亜里沙の衝動が、今、動き出した。

 

 

 ――亜里沙が悪戯な笑みを私に投げ掛ける。
「で、あなたはどうするの?」

(2017/09/16)

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