宝積寺

~小槌で打つべきは~

<登場人物>
・俺

 

 JR大山崎駅の駅舎を出て北に向かい、踏切を渡ると急勾配な坂道が行く手を阻むが、俺は躊躇なく坂道を登り始める。
 道路脇に生えた木々の新緑の葉の、覆いから漏れる初夏の日差しが首筋を焼き、すぐに汗が噴き出してくる。
 静かな平日の午前。踏切遮断の警報音が鳴り出し、その中に微かなエンジン音が聴こえ、やがて大きくなってくる。
 一歩一歩踏みしめ登って行く俺の横を、男女が二人乗りした黒の大型バイクが勢い良く追い越して行った。その後ろ姿に、楽を羨ましく思う。だが、はやってはいけない。きつくても、この一歩一歩が大切なんだと自分に言いきかせて、歩みを進める。 

 幼き頃――
 俺は父と共に、この宝積寺へと続く坂道を登った。
 最近腹が出て来たと嘆いていた父は、肩を上下させ、喘ぎながら語った。
「この宝積寺には、一寸法師で有名な小槌が祀られているんだ」
 打出の小槌――振ればなんでも望みの物が出現するという宝物。
「けどな、小槌は本来打つものであって、振るものじゃない。打ってこそ、初めてなにかを作り上げることができるんだ。積み上げることができるんだ」
 父の職業は大工だった。槌を使うことに長けた人間だった。だからこそ、小槌を振るだけで、なにかを生み出すということに違和感を覚えていたのだろう。
「俺は打つことで、お前たち家族という宝を得たんだ」
 と、大きな手を俺の頭に乗せて笑った。
「だからお前も、もっと打ってみればいいじゃないか」
 当時、俺はサッカーをしていた。ポジションはFWで、ゴールという結果の出ないことに悩んでいた。俺なりにシュートを打つに適した状況を作り出そうと、DFを振り切ることをまず意識していたのだが、そのプレイスタイルがクラブのコーチに言わせれば、慎重すぎるということだった。もっと積極的にシュートを打てとアドバイスを受けていた。
 父もコーチの意見に賛成だったのだろう。
「シュートを打たなきゃ、ゴールは決らないぞ。DFをいくら振ったって、ボールはゴールラインを越えないじゃないか。今のお前にとって、ゴールを積み上げるという結果こそ大事だというなら、多少強引でもシュートを打つことを考えるべきだ」
 坂道を登り切り、呼吸を整えてから境内に入った父は、俺を本堂左手にある小槌宮の前に導いた。
「打ってこそ、得られるものがあると俺は信じている」
 父は迷いのない表情で俺を促すと、大きく響く柏手を打った。
 父なりの、俺へのエールだった。

――見落としていることはないか?
――やるべきことに、全力を尽くしたか?
 呼吸が荒くなっていく中で記憶を探る。踏み出す足が鉛を仕込まれたように重たくなっていくのを感じながら後悔の種を潰していく。

 宝積寺は、京都府大山崎町、天王山の中腹にある。
 創建は神亀元年(七二四)で、聖武天皇の勅命で建立されたという。
 別名『宝寺』とも呼ばれ、鎌倉初期の頃には、すでにその通称で呼ばれていたことが知られている。
 長い坂道を登り終え、阿吽の仁王像が左右を護る仁王門前に辿り着いた。先程俺を追い越して行った黒の大型バイクが停められていた。
 背負っていたバックからペットボトルを取り出し、お茶を口に含む。呼吸が整うまでに時間を費やし、運動不足を自嘲する。あの時の父の年齢を超えてわかる、思い出の中の、父の苦しそうな表情。確かにしんどい。
 呼吸を整え、仁王門を潜る。本堂に向かって参道が伸びている。左手には駐車場と、その手前に鐘楼と不動堂があり、少し進むと右手に三重塔が建っている。
 参道の先、階段の上部に屋根を覗かせる本堂を見据え、しっかりと歩む。それと同時に、思考の中においても一歩一歩を確かめ、踏みしめ、固めて歩く。
 階段を登り、本堂前に出る。本堂にて賽銭し、ご挨拶の鐘を鳴らし、手を合わせる。その上で、本堂の左手にある小槌宮に歩みを進めた。
 小槌宮は本堂と比べると、こぢんまりとしているが、赤味がかった屋根瓦が特徴的な、寺院には一風不似合いな明るさと軽快さが心地良い造りとなっている。
 宝積寺が『宝寺』と呼ばれる所以は、創建当時から伝わるという『打出』と『小槌』に因む。一寸法師や、大黒天が右手に持っていることでも有名な小槌は『打出の小槌』と呼ばれ、一般的にはこちらが有名だが、宝積寺に伝わる『打出』と『小槌』は、それぞれが別物として伝わっている。現在『打出』と『小槌』は保存の観点から小槌宮の奥の蔵に保管されているようだが、小槌宮には大黒天が祀られており、大黒天が右手に掲げた小槌を通じて、伝来の小槌の祀りは小槌宮にあると言える。

 俺のサッカー人生はどうなったかといえば、父の言う通りゴールという結果が伴った。けれども、中学レベルまでが限界で、高校ではまったく通用せずに終わった。
 大学に入り、就職。営業から店舗開発へと移った。そこで経験を積み、やがて責任を負う身になった。
 俺が再び宝積寺を訪れたのは、そんな頃だった。思うような結果が得られずに、責任の重圧が圧し掛かり、心身に閉塞感が漂っていた。その状況を変えなければと足掻いていた時、老いた父との会話の中、宝積寺は甦った。
「俺が仕事を始めた頃に、世話になった人に連れて行って貰ったんだよ。仕事の心得としてな。だから俺が言ったのは、その人の受け売りだ」
 最初は気分転換のつもりだったが、やがて俺は、新規出店の事案が煮詰まると宝積寺を訪れるようになった。

「こうして大きく振るんだよ」
 と言って、男性はまるで大きく振ることで小槌の霊験にあやかろうとするように、体ごと左右に揺らしながら鈴緒を振った。乾いた低音の鈴の音が緩慢に響く。
 その横では男性の行動を見て、女性が噴き出すように、コロコロと笑っていた。
 例のバイクで訪れたであろう男女は、楽しげな一通りのやり取りの後に、熱心に何事かを祈願して小槌宮を後にした。

 宝積寺に伝わる小槌のいわれは、聖武天皇が即位する前、夢に現れた龍神より賜ったものだそうで、龍神の夢告に従い小槌で左の掌を打ったところ、その霊験により即位の願いを果たしたといわれる。その後、聖武天皇は吉方である当地に宝積寺を建立し、小槌を奉納したのだという。
 つまり寺伝においては、父の言った通り、小槌は振るものではなく打つことによって霊験を現すものだったのだ。
 だが、宝積寺を訪れる内、俺の中にもある発想が湧いてきた。確かに小槌の本来の役割は打つことだが、ただ打つことだけが重要なのだろうか?寺伝に従うのであれば、打つべきは『手』であるべきではないだろうか?
 そんな疑問から、聖武天皇が左の掌を打ったというのは、即位という目的に向けた『手を打った』ということではないだろうか、という発想に辿り着いた。
 発想は、宝積寺が関わった別の歴史的事件にも及んだ。
――羽柴秀吉は明智光秀に勝つ為の手を打ち、山崎の戦いで勝利した。
――逆に、幕末、都に攻め寄せた長州勢は血気にはやり、しっかりと打つべき手を打たなかった為に敗れた。
 打つべき手は、目的達成へ向けた布石であり、その布石を――手を打ちつくしてこそ、初めて結果という宝を得ることができるのではないだろうか。
 この発想に辿り着いたのち、俺は新規出店において、できる限りの手を打つようになった。そして、ただ打つだけではない、一手一手に細心の注意を払うようになった。その結果、幸いにも結果が伴うようになってきた。
 以来俺は、自分が成すべきことを成したかを確認する為に、あの急勾配な坂道を登り、参道を辿る。その確認作業を終え、人事を尽くしたと確信できたなら、最後に小槌宮に向かい立つ。

――手は打った。

 不測の心構えは残しつつ、迷いは断ち切って大きく響く柏手を打つ。
 後は果報を待つだけだ。

(2018/11/25)

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