「死出への出陣」

<登場人物>

・木曾義仲(きそよしなか)

時代:平安期

 

「木曾谷はよい所だ。どうだ、そなたも参るか?」
「ええ、あなた様が行くと仰るのであれば」
「そうか。・・・しかし、都育ちのそなたには住みにくいかもしれぬなぁ。いや、住みにくかろう」
「連れて行って下さるのですか?それとも、下さらないのですか?」
「そうだなぁ。いや、止めておこう。そなたには都が似合っておる」
 兜を傍らに投げ出し、鎧姿のまま木曾義仲は女の膝に頭を乗せ、差し出された白き細やかなる手を両手で包み込み、最後に二度、その甲を軽く叩いた。
 六条高倉にある、京に入って義仲が見初めた女房の館。義仲はここに駆け込むや、女を相手に他愛もない会話を繰り返した。
「いま少し。いま少し――」
 寿永3年(1184)1月20日。京に迫っていた源範頼と源義経が率いる鎌倉勢は、それぞれ瀬田と宇治へ展開し、この日を以て一気に京への侵攻を開始した。今井兼平を中心とする義仲軍は寡兵ながらも奮戦するが、多勢に敵わずに防衛線は突破され、今や鎌倉勢が京の町に雪崩れ込むのを待つばかりであった。
 義仲が生まれたのはこの年より30年前。幼名駒王丸は武蔵の国に生を受けるが、翌年には父義賢が源義平に大倉合戦で討たれ、木曾へと逃れた。木曾で順調に成長した義仲が打倒平氏の兵を挙げたのは4年前の治承4年(1180)。戦を繰り返す中で義仲は同調者を吸収しつつ北陸道へと勢力を拡大していった。この動きに平氏も多くの追討軍を繰り出すが、倶利伽羅峠の合戦や篠原の合戦、安宅湊合戦で義仲軍は勝利を挙げ、挙兵より三年目にして平氏を京の都から追い落とし入京するに至った。
 この頃の義仲は自信に満ちていた。平氏を都から追い落とした軍勢を率いたのは己であり、つまりはこの功績は己にある。周囲も己を慕い盛り上げるべく従ってきているものと信じ、今後も方向性を共に出来ると思い込んでいた。それは源氏の血を引く者としての誇りと自負、及び木曾谷の自然が育んだ大らかな性格によるものだったかもしれない。
 しかし人は往々にして利害で動く。それは個人の利害であり、集団の利害であり。そもそも入京するまでに急速に膨れ上がった義仲の軍勢は、打倒平氏という一点において利害が一致していただけの寄せ集めであった。故に平氏を都から追い落とすという一つの目的が達成されるや、それぞれの利害関係は脆くも崩れ去った。
 義仲は軍勢を烏合の集団から組織化しようと試みるが、元より義仲と主従関係にない勢力は強く反発し、義仲の元から去っていった。また京中守護に任じられた義仲だったが、軍の統制を逸し、期待されたような治安の回復を果せなかった。更に平氏追討を命じられ向かった備中国水島の合戦では平氏勢に大敗を喫してしまった。これに追い討ちをかけるかのように安徳天皇が平氏に連れられ西国に下った後の新帝問題で対立した後白河法皇が鎌倉の頼朝に上洛を促し、義仲の追い落としを画策し始めた。
 一気に山の頂上を目指し駆け上がった先にあったのは、烈風吹き抜ける底なしの断崖であった。
 義仲は崖に落ちまいと足掻いた。どこで道を違えてしまったのか、どうしてここまで追い込まれてしまったのか信じられぬままに。誇りも、自負も、大らかさもかなぐり捨てて――最後に残ったのは、怒りのままに拳を振り下ろす力任せの一振り。義仲は後白河法皇が籠もる法住寺を攻撃し、法皇を幽閉した。
 結果的にはこれが頼朝に軍勢を京に送る格好の口実となった。鎌倉勢は、まさに崖の上から義仲を突き落とすべく京へと迫りきたのだ。
 最早、義仲の身は宙に舞っていたのかもしれない。女の膝の上で見る天井は、これから早急に遠ざかるだろう今まで己が確かに踏み締めていた頂の大地。未練、というよりも未だ釈然とせぬ、それでいて最早成すべき手段を持たぬ無力感。重力無き虚空に身を漂わせた今、義仲は頂の大地が遠ざからぬよう、ただ時が止まることを願っていたのかもしれない。
 しかし、時は止まらぬ。部屋の外から従者の越後中太家光の声が響く。
「敵が近付いております。早々にお出ましくださいませ」
 それでも義仲は答えもせず、視線は天井に向けられたまま女の手を摩り続けた。
「お出ましなさらぬか――ならば仕方なし。先に冥土に行きてお待ちいたさん!」
 家光の裂ぱくの掛け声に続いたのは、くぐもった苦痛の声、そして徐々に小さくなる呻き声。やがて家光の気配は消え去った。
 義仲はゆっくりと起き上がった。鎧の重みが大地に立つ己の存在を知らしめる。
 部屋を出た義仲の視線の先に、庭先で腹を切り前かがみに事切れた家光の姿があった。
「・・・我を奮い立たせんが為に腹を切ったか」
 その瞳に感情の変化は表れない。けれども静かに瞑目し、しばし立ち尽くす。
 部屋に戻った義仲は女に別れを告げた。
「名残惜しいが、行かねばならぬようだ」
「行かれますか」
「後戻りはできぬと諭された。哀れな奴だ。丁重に弔ってやってくれぬか?」
「確かに」
「家光ばかりではない。この義仲が為、未だに戦ってくれている者達がいる。その者達を捨てておけようか。どうせ落ち行く定めならば、共に参るばかりだ」
 女が義仲の兜を捧げる。義仲は兜を受け取り被ると、手早く緒を締めた。
「都に入って僅か数ヶ月。思うに任せぬことばかりであったが、そなたとは良き時を過ごせたものだ。礼を言うぞ」
「充分なるお働きを」
「そうしよう」
 義仲は覚悟の笑みを浮かべ女と最後の視線を交わすと、踵を返し颯爽と部屋を後にした。
 馬上、義仲は猛々しく、死出の道へと出陣した。

(2010/08/16)

京都にての人々「木曾義仲

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