出町妙音堂

「出町妙音堂」

 

 出町妙音堂の名を観光ガイドなどで見かけることはほとんどない。なぜなら妙音堂は観光地というものではなく、あくまでも地元の人々の信仰を集める地元密着の存在だからだ。
 そんな妙音堂を初めて知ったのは、加門七海さん、豊嶋泰國さん著の「京都異界紀行」という本。その中で豊嶋泰國さんが妙音堂について触れている。その内容は天下の豊臣秀吉を祟ったとか、祀るのを疎かにした為に伏見宮家に不幸が重なったとか。
 なんと霊験あらたかで、なんと恐ろしや!
 これは掘り出し物だと早速訪れたのが数年前のこと。

 妙音堂の始まりは西園寺家が営んだ北山第。北山第といっても余りピンとこないだろうが、後に足利義満が金閣を建てたのが北山第の跡地ということになる。なので今の鹿苑寺辺りに西園寺家の山荘である北山第はあったと考えてよい。
 その北山第の池の畔に妙音堂は建てられた。祀るのはインドでは水の神であり、日本に伝来してからは歌詠、音楽、芸能を司る弁財天。現在では七福神唯一の女神としても知られ、どちらかというと『財』の一字に象徴されるような財宝満足のご利益というイメージが強いと思うが、その功徳は幅広い。
 そもそも西園寺家は琵琶の家元として知られる。西園寺家の歴代当主は宮中にて天皇や上皇などに琵琶の教授を行ってきたが、北山第に妙音堂が建ってからは、秘曲相伝など大事な時には妙音堂が使われるようになったという。
 しかし鎌倉時代、鎌倉幕府の後ろ盾を背景に西園寺家は豪奢な北山第を営んでいたが、鎌倉幕府が崩壊するや西園寺家は衰退し、北山第は荒廃していった。そしてこれに徹底的打撃を与えたのが足利義満であり、義満は自らの別邸を営む為に以前の建物を全て破却したという。当然妙音堂も壊されたのだが、これを惜しんだ崇光天皇が本尊である弘法大師筆弁天画像を伏見の自邸に遷座した。ちなみに北山第にあった妙音堂の本尊は弁天画像と木彫りの弁財天像だったが、弁財天像も移され、現在京都御苑内の白雲神社の御神体として祀られている。
 以後、弘法大師筆弁天画像は崇光天皇の皇子から始まる伏見宮家により祭祀されてきた。
 現在地に妙音堂が再建されたのは明治34年のこと。今でも出町周辺の人々により篤い信仰を集めているという。

 以上、妙音堂の来歴については妙音堂で購入できる「出町妙音堂縁起」を参考に書いてみたが、あれ?豊臣秀吉の話が一切出てこない。天下の秀吉を手玉に取ったとあれば宣伝効果としてかなり大きなものがあるだろうに、と無責任にも考えてしまうのだが、崇りというのがまずいのかな?また妙音堂再建に至る伏見家不幸云々の話も、縁起では少々異なっている。
 そもそものきっかけは明治維新。明治天皇が東京に移られた為、伏見宮家も東京に移られた。
 「京都異界紀行」曰く、京都の旧地に捨て置き祀るのを疎かにしたから伏見家に不幸が重なったのだと。その為地元の人々に妙音弁財天の祭祀を依頼したと。
 縁起に曰く、御本尊も東京に移されたのだが、元々妙音堂を信仰していた人々は納得がいかない。その為再建の懇願が宮家になされ、それにより伏見宮家旧地の近くである現在地に再建されたと。
 どちらが信憑性があり、どちらが現実的かという問題では色々な見方があると思うが、納得しやすいのはやはり縁起の方だろうか。なのでここでは縁起の内容を基準とした見方をしてみたい。
 つまり妙音堂の再建に至らしめたのは弁財天ではなく、再建を望む旧信徒達の強い要望であった訳で、妙音堂の霊験とはそうした信徒達の篤い信仰心ということになるだろう。
 そうなると伏見城造営にあたり伏見宮家の別荘地を奪うことで弁財天を祀る宮を放置させ、弁財天の崇りを買ったという豊臣秀吉を動かしたのも、もしかしたら弁財天をしっかりと祭祀したいという信徒達の篤い想いだったのかもしれない。
 これは神がその力を直接発揮する霊験とは異なるが、人を動かし物事を動かすという意味では、信徒達の篤い信仰心こそ大いなる霊験といえるのだはないだろうか。

 現在出町妙音堂は京都七福神や洛中七福神で弁財天の地位を受け持っている。
 そんな妙音堂には一つ不思議な祈願方法がある。それは本堂の裏手に本来ご本尊の弘法大師筆弁天画像を祀る六角堂が建てられているのだが、この六角堂を歳の数だけ回りながら一心に祈願すれば成就すること間違いなしだという。では、どっち回りで回るの?という疑問が出てくるが、直接確認したところ一応一般的には時計回りだそうだが、絶対的な方向というのは決まっていないのだそうだ。
 それにしても、齢の数だけ回るとなれば、歳を取るほど祈願するのも大変な訳だ。ということは妙音堂で祈願するなら若い時の方がお得かも?
 と、お得云々言っている時点で妙音弁財天は美しい琵琶の音を聴かせてくれるとは思えないが。。。
 大事なのは心掛け、ということで。

 関連作品:京都にての物語「年齢=(欲)=試練?

(2010/06/16)

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