六角堂(頂法寺)

~へそ石と中年男~

<登場人物>
・私

 

 これは、中年男の独り言として聴いて頂ければありがたい。

 いわゆる私はうだつの上がらない中年男なのかもしれない。四十も半ばを過ぎて、会社では万年係長。家に帰れば居所は無く、反抗期の娘と息子。そして自分に尊敬の欠片も無い妻。趣味もこれといってなく、休日は寝ているか家事の手伝い。たまにパチンコに行っても、三千円で出なければ止めてしまう。堅実といえば堅実だが、それ以上でもそれ以下でもない宙ぶらりんな停滞した日々。
 そんな私に家族から突きつけられた使命。
――どこか旅行に連れて行け!
 どこかといわれても困る。かといって、海外や高級温泉旅館だといわれても困る。なので妥当なところで京都を提案した。幸いな事に、異論は出なかった。
 GWを利用し、一泊二日で京都を訪れた訳だが、時期が時期だけにどこに行っても人出が凄まじく、ただでさえ家族のプレッシャーを受けているのに、それ以上の人圧を方々で受け、一日目にしてあっという間に疲れてしまった。
 一通り観光を終え宿泊先が近い四条烏丸に戻り、妻と子供達は夕食の時間まで新京極を散策するという。更に人ごみに紛れるのはまっぴらだった私は、これ幸いとばかりに別行動を提案した。どこに行くのと訪ねられ困ったが、確か近くに六角堂があると思い、六角堂に参拝してくると理由を告げた。息子に、
「なにがあるの?」
 と訪ねられたが、これといった事も思い出せず、
「それは行ってみないとわからないな」
 と、自分でもわからない答えで、息子の好奇心を煙に巻いた。
 妻と娘は自分達が行きたい所に行きたいだけなので、私がいようがいまいが関係ない。夕食時に私が新京極に迎えに行く約束をして、私は家族と別れた。
 ようやく家族のプレッシャーからも、人ごみの人圧からも解放されて、私はどうしようかと考えた末、口からでまかせではあったが、せっかくだから六角堂に行ってみよう思い立ち、烏丸通を徒歩で北上した。

 六角通りを右に曲がり、少し歩くとすぐに六角堂の古びた黒い門が見えてくる。
 六角堂。正式には頂法寺という。開基は聖徳太子といわれ、聖徳太子が護持仏である如意輪観音像を六稜の堂に安置した事に始まるという。
 境内に入ると、まず驚くのが鳩の多さだ。溜まり場になっているらしく、そこら中を我が物顔で歩いて、飛んでいる。
 左右に樹木を植え燈篭を置き、その先に如意輪観音と大書された、大きな赤提灯を軒先に吊るした本堂が建っていた。
 まずはセオリー通りに本堂にて手を合わせる。特にこれといった祈願はしないが、訪問させて頂いた礼だけは尽くす。
 それから境内を見渡し、入ってきた門の左手にある不動堂、本堂の左手にある地蔵群を見て回り、本堂の裏手に回ると人工の池があり、そこに白鳥がいたのには驚いた。なぜこんな所に白鳥がいるのだろうか?
 池の中には太子堂があり、聖徳太子を祀っている。
 本堂の右手には合掌地蔵を設置した階段状の池があり、その隣には桜の木。階段を挟んだ右側には一言地蔵と名付けられた愛嬌ある姿の地蔵が木の根元で首を傾げていた。
 東には親鸞を祀った堂宇と、小さな社殿が並ぶ。
 境内を一回りし、最後に『へそ石』と名付けられた石の前に立ち、説明書きを読む。
『桓武天皇の延暦12年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったので天皇が遷座を祈願されたところ、御堂がにわかに5丈ばかり北へ退かれたという。この石はその際に取り残された礎石であると伝える。また京都のほぼ中央に当たるところからへそ石とも要石とも呼ばれている』
 玉石に囲まれた六角形のへそ石は、直径五十センチ程だろうか。中央に穴が穿たれ、いつかの雨水がそのままに蓄えられている。
 これといって見た目に特別な石とは感じられず、私は境内を一回り終えて本堂の軒下に設置されたベンチに腰を下ろした。
――さて、どうするか。
 ここに留まって時間を過ごしたいような見所はなく、かといってどこに行く当ても無い。家族を迎えに行くにしても時間はまだある。疲れもあり、仕方ないので時間までここでゆっくり休んでいくことに決めた。鳩は騒がしいが、幸いビルに囲まれている為か、境内は人間の営みの喧騒からは隔離されていた。のんびりするには都合が良かった。

 ただ座っている。私はなにも考えない。時ばかりが過ぎていく。

 なにも考えなくても、視界を過ぎる人の姿は追ってしまう。ひっきりなしとは言わないが、参拝者が多いことにやがて気付き、私の思考は再起動する。
 ある観光の一行が私の前を通り過ぎて、本堂に手を合わせる。その内の一人がガイドを務めているらしく、六角堂の説明を始める。
 私は意識して耳を傾けていた訳ではないが、ガイドの説明が耳に届いた。
「――水難火難、または一揆の進入の際などに、そこの門を出た右手にある鐘を鳴らして危険を知らせていた関係からも、この六角堂は町衆にとって京都の中心として親しまれ、未だに篤い信仰を受けているとの事です。その中でも、そこにあるへそ石は京都の中心の象徴として要石とも呼ばれ、人々に親しまれています――」
 中心であり、要であり、そして親しまれている存在――へそ石。
 どうした事か、今更ながらにその存在を意識した途端、私の心はえらく動揺した。一体、何に対しての動揺なのだろうか?
 私は本堂を後にする観光の一行を目で追いながら、自分の心に問うてみた。
 中心――は、そのままに地理的な意味合いと、六角堂が果たしてきた役割に関連しての定義であろう。
 要――とは、『纏める』とか『大事な部分や場所』という意味でよいだろうか。つまりへそ石は、京都の中心地点と定義されたからこそ、町衆の精神的統一の象徴として、また町衆の拠り所となる場所として『要』であると認識されたのであろう。
 親しみ――は、敬意に繋がる。京都の町衆はへそ石を『要』と認識した故に、敬意を持って今も大切にしているのだろう。
 つまり、中心→要→敬意、というラインが明確となる訳だが・・・
 中心――そういう意味では、私も色々な中心にいるなと考える。家庭の大黒柱としての中心。会社での中間管理職としての階級的な中心。社会の中での年齢的な中年と呼ばれる中心。そんな中心にいる私だが、へそ石のような敬意を受けているだろうか?・・・と自問するだに愚かで、敬意などある筈もなく、なぜ周りの人間は私に敬意の念を持たないのだと何やら怒りが込み上げてくる。大体中心にいる私を蔑ろにするから、家庭も会社も社会も上手くいかないのだ。京の町衆のように中心にある存在を敬い、慕うからこそ、意志の統一が図られ、そこに纏まりというものが生まれるのだ。もっと家族は、会社は、社会は私に敬意を払うべきだ!
 私は強く拳を握った。が――
 かといって私は、それぞれの中心で『要』の役割を果たしているだろうか?へそ石は石だけに確固たる存在だ。確かに硬い――固いのである。不動は拠り所としての信頼に足る。故に『要』足り得るのだ。敬意を表すにも、その存在が確固たるものではなく、優柔不断で頼りがいのないものであれば、誰だとてその存在を頼る気にはならないだろう。私は自信を以て告げよう。私はそんな存在ではない。という前に、そうあるべきと今の今まで考えたこともない。全ては流れのままに、浮き葉のように・・・
 途端に私の心は萎え、拳を開いて己が掌を見詰める。掌に爪の跡が残っているが、所詮虚しい怒りだ。
 結局、私を襲った動揺の正体は、自分自身の存在意義に対する迷いだったのだ。日々の不満はそれから逃れる理想を描かせるが、それを追う意志も気力も無い。故に理想への道は曖昧模糊とし、結局何も変わらないし変えられはしないので愚痴だけを零して知らぬ素振りをするが、描いてしまった以上、知らない事にはならない。
 へそ石は、私の理想そのものなのだ。その存在は、私が描く理想への道筋を嫌らしいまでに明確に暗示し、私に迫るのだ。
――他人からの敬意が欲しけりゃ、要たる人間になりな。

 相手はたかが石。けれど、私の理想。なにやら眩しく見えてきておかしかった。

 私の前を、地元の方と思わしき人が通り過ぎ、本堂に手を合わせる。本当に篤い信仰を、この六角堂は受けているようだ。けれど、同じ親しみにあってもへそ石に手を合わせる参拝者は一人もいない。当然だ。そこには賽銭箱も鐘もお堂も無いのだから。
 ただ、私は手を合わせよう。私が私の理想を見失わないよう、象徴としてあり続けて欲しいと願いを込めて。そして少しだけ、その象徴たる性質を分けて貰える事を期待して。

(2007/12/10)

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京都にての物語紀行「六角堂

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