冠者殿社

~誓文払い~

<登場人物>
・俺・奈央(ナオ)

 

――私、あなたの子を妊娠したみたい。

 それは、男にとって地獄への宣告といわれている。けれど、いざ自分の身に降りかかってみると、意外にもその事実はすんなりと受け入れられ、なおかつ、父親としての自覚に目覚めたというか、なんというか・・・。とにかく俺は、ようやく奈央を妻に迎えようという気になった。
 ただ、俺はこれまで散々奈央を裏切ってきた。自分でいうものなんだが、俺は女にもてた。俺が声を掛けなくても、女の方から寄ってくる。だから、色々と遊んできた。
 一応、奈央には知られていないつもりでいる。俺が面と向かって浮気を告げる筈もなく、奈央から追及されたこともなかった。数々吐いてきた嘘の整合性を失ったこともない。けれど、心のどこかで知られているのではないかという不安がある。もし知られているのであれば、今後、俺がせっかく心を入れ替えても、なにかの切っ掛けで過去の浮気を追及される可能性もあり、それはそれでなにか割に合わないような気がした。俺が心を入れ替えたのをわかってくれよ、と。
 そうすると、もし浮気を知られていた場合、どうにかして今の内に俺の心の変化を示しておく必要があるように思えた。当然、浮気を知られていない可能性も考えて、それは極力自然体に行われる必要がある。
 そこで思い出したのが、仕事仲間に言われた言葉だった。
「よくもまぁ、思ってもいないことを、そうペラペラと。お前みないのが、冠者殿社に参拝した方がいいんだろうな」
 なんでも京都にある冠者殿社という神社は「誓文払い」の信仰があるらしい。誓文=約束を、払う=反故にした罰が許される。そこから更に解釈をして「嘘が許される」という信仰があるのだとか。
 営業トークは嘘の羅列だ。一々そんなことを気にしていたら仕事にならないとその時は笑ってやり過ごしたが――これはちょっと使えるかな、と思えた。
 計画はこうだ。まず奈央を連れて冠者殿社に向かい「嘘が許される」という信仰があることを伝えた上で、俺が手を合わせる。この時にもし、浮気を知らなければ特別な反応はないだろうし、もし浮気を知っていたとしても、俺の嘘が許されるのを見逃すというのであれば、それはつまり俺の浮気を見逃すということに繋がるだろう。なおかつ、俺が心を入れ替えたことまで察してくれたら上出来だ。反対に浮気を知っている上で許す気持ちがないのであれば、嘘が許されるよう願っている俺を見逃しはしないだろう。その時はその時で面と向かってやり合うしかないだろうが――とりあえずこの計画で、現状の不安を取り除くことはできるだろう。
俺は早速奈央に京都旅行を提案し、仕事の休みを合わせると一路京都へ向かった。

 ゴールデンウィーク明けの、晩春の一日。晴天で、汗ばむ陽気だった。
 奈央の体も考えて、京都駅からタクシーで東山へ向かった。修学旅行生の姿が多く見受けられる中、清水坂の両側に立ち並ぶ土産物屋を物色し、清水寺に参拝した。その後、俺は恥ずかしいから止めようと言ったのだが、奈央の希望で人力車に乗って東山周辺を回った。
 時刻は16時を回り、そろそろ宿泊先のホテルに向かおうと思いタクシーを止めようとしたが、奈央が歩くというので、八坂神社まで北上してから、四条通を西に向かった。
 四条通にも多くの土産物屋が並び、一々物色していくとなかなか先に進まない。たっぷりと時間を掛けて南座を通り過ぎ、鴨川に出る。河原に下りようか?と誘われたが、さすがにそれは諦めて貰った。
 河原町通を過ぎ、更に西へと向かう。京都でも有数の繁華街だけあって、多くの人が行き交っていた。
 やがて左手に『八坂神社御旅所』と刻まれた石碑が建つ、多くの提灯を飾った社が見えてきた。四条通に二箇所ある八坂神社御旅所の内の一つだ。目的の冠者殿社は、この先にあるもう一つの御旅所の横にあるらしい。俺はこれを切っ掛けとして、いよいよ計画の遂行に移った。

「これが八坂神社の御旅所か。意外と小さいな」
「御旅所ってなぁに?」
「祇園祭の際にお神輿をここに移動させるんだってさ。神輿の旅先の場所だから、御旅所」
「そうなんだ」
「なんかこの先にも、もう一箇所あるみたいなんだけどさ、実はさ、俺の会社に関口っているだろ。そいつにさ、京都に行くって言ったら、だったらこの先の御旅所の横にある冠者殿社っていうところに参拝した方がいいぞ、なんて言われてさ」
「えっ?なんかいいご利益でもあるの?」
「それがさぁ、なんでもその神社に願えば、それまで吐いてきた嘘を許して貰えるんだってさ」
「・・・嘘?」
 少しだけだが、沈黙があったのを俺は見逃さなかった。『嘘』という言葉に敏感に反応しているように思える。ということは、やっぱり俺の浮気に気付いていたのか?そうならそうで――俺は妙に焦ってきた。沈黙こそ、最大の脅し文句だ。
「そう、嘘。ほら、俺って営業だろ。それで営業トークで嘘吐きまくってるから、少しは清めてこいだってよ。馬鹿言うんじゃねぇよって感じだよな。営業なんて嘘でも相手上機嫌にしてその気にでもさせなきゃ仕事なんか取れねぇだろてぇの。それで罰が当たるなら、営業なんかやってられねぇよなぁ?」
「・・・そうだね」
 またしても一瞬の沈黙。やっぱり反応している。このままいけば最悪の結果を招くかもしれない。けれど、今更冠者殿社に向かわないのは不自然だ。
「でも、まぁ、せっかくだから手を合わせるか」
 覚悟はしていたつもりだったが、面と向かってやりあうことになってしまうのか。非は自分にあるだけに、この後、どういう展開になるのか不安を覚えつつ、俺は歩を進めるしかなかった。
 目的の場所にはすぐ着いた。今度の御旅所には石碑はなかったが、社殿の中に二体の神像を安置しているのが特徴的で、提灯が飾られているのは東側の御旅所と同じだった。
 通りの北側を見れば、新京極の入り口が近くに見えた。
 そして冠者殿社。それは御旅所の西側にひっそりと、本当にひっそりと立っていた。一見したところでは、それは御旅所の付属物に見え、とても独立した社とは思えなかった。小さな鳥居に、肩身の狭そうな小さな社殿。社殿前の由緒書きには、
――御祭神は八坂神社と同じであるが、ここは荒魂を祭る。
――毎年十月二十日のお祭を俗に「誓文払い」という。
 とあった。
「小さな神社だね」
 奈央の感想に、俺も同意だった。が、今はそんな神社の規模なんてどうでもよかった。問題は俺がこの社に手を合わせた時に、奈央がどういう反応をするかだ。
 いつまでも由緒書きを眺めている訳にもいかなかった。俺は意を決して、社殿を向いて手を合わせた。すると、
「私も手を合わせよ」
 と、奈央が俺の横に並んで、社殿に向かって手を合わせて目を閉じた。
 冷静に考えれば、一緒に手を合わせるというのは特別な行動ではないのだが、冷静ではなかった俺は、この予想外の奈央の行動に驚いた。驚いて、
「奈央も許して貰いたい嘘があるの?」
 などと、口走ってしまった。
 そしたら奈央は、
「私も仕事関係でね」
 と微笑んだ。奈央の仕事は美容師だった。
 その微笑を見た瞬間、俺は安堵感に崩れそうになった。なんとか崩れるのだけは堪えて平静を装い、手を合わせ続けた。奈央は俺の浮気を知らない!これは間違いない!
 今までは散々嘘を吐いてきてしまったけれども、これからは本当に心を改めて、奈央と子供の為に頑張ろう――安心して、そう思えた。

 ホテルで、俺は正式に奈央にプロポーズした。奈央は喜んで受けてくれた。

 

 

――ワタシノコノウソヲユルシテクダサイ――

(2008/05/10)

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