八坂庚申堂(金剛寺)

~三尸の虫~

<登場人物>
・家長菜摘(イエナガナツミ)・添田優(ソエダユウ)

 

 家長菜摘は添田優の腕を掴んだ。
「添田さんって、まるで三尸の虫だね」
「・・・なにそれ?」
 菜摘の感情的な態度に優も苛立った表情を浮かべ、二人は睨み合った。

 菜摘は高校の修学旅行で京都を訪れ、初日から予定通りのグループ行動に移った。
 菜摘は京都好きである。切っ掛けは源氏物語だった。平安時代の知識を中心に、やがて好奇心は京都の歴史・文化全般に向かった。今では多くの知識を蓄え、試しに京都検定二級の過去の問題に挑戦してみたら合格ラインを超えていた。将来は京都の大学に進学する予定だ。そしたらきっと大学在学中に京都検定一級を取ろうと心に決めている。グループの友人はこの菜摘の京都好きを知っていたから、修学旅行前の話し合いでグループの行動計画は全て菜摘が任されることになった。菜摘もはりきって、案内も完璧にしようと予習も沢山してきた。
 行動を共にするグループのメンバーは、菜摘を含めて六人。仲の良い友達が四人と、おまけが一人。そのおまけが優だった。元々容姿も整い性格も明るい優は、クラスでも中心にいる存在であり、菜摘らグループのメンバーとは接点がなかったのだが、友達の悪口を平気で会話のネタにする優の口の悪さが禍し、修学旅行を前にしてクラス中から無視されるようになり孤立してしまったのだ。だからどのグループにも入れず、結局クラスでも大人しい生徒が集まった菜摘らのグループが面倒を見る破目になった。けれど本人は現状を理解していないのか未だに話題は誰かしらの悪口が中心で、菜摘らも優を腫れ物に触るように扱っていた。
 切っ掛けは、晩春の青空に映える八坂塔を前方に見上げながら坂道を上っている時。所々の家の軒先に、それは拳大のものから、卓球玉ぐらいの大きさのものまでの、まるで人間が四肢を縛られているような形状の飾りが吊るされているのが一行の気を引き、その説明を求められたので菜摘が説明しようとしたところ、
「ねぇ、そんなのいいから、ちょっと聞いてよぉ。ユウが先に見つけたのにさぁ、コトノって横取りしたんだよ。ズルくない?――」
 と強引にメンバーの注意をさらった優に対して、菜摘は苛立ちを覚えた。この時は下手なことを言って悪口を言いふらされても敵わないのでと菜摘が我慢したのだが、八坂塔を目前にした時、メンバーの一人が再び菜摘に説明を求めると、その後にわかに雲行きが怪しくなった。
「なっつん、ここはなに?」
 菜摘のあだ名を呼んで右側を指差した。視線を向けてみれば、そこには赤門が開かれ、狭い境内の奥に本堂らしき建物が見えた。
「これは八坂庚申堂っていって、日本三庚申の一つに数えられてるの。えっと――」
 と言って一行の先頭に立ち、門の最上部を指差した。そこには中央に固まって三体の像が彫られていた。
「門の屋根を見てみて。見猿、言わ猿、聞か猿の三猿がいるの。面白いでしょ」
 本当だぁ、と一行から声が上がる。折角だからと菜摘が促すと、それぞれ門を潜って境内に入った。
 境内に入るとすぐ正面に、椅子の上に胡坐をかいた状態の木像が安置されていた。その木像を護るように屋根が設置され、その周りには坂道の家々に飾られていたのと同じ形状の色とりどりの飾り物が、無数にぶら下がっていた。
 菜摘が説明しようと前に出て木像に手を翳したところ、
「ねぇ、つまんな~い。こんなとこにいるよりさ、どっか茶店にでも入ろうよぉ~」
 優が一人のメンバーの腕を持って左右に振り出した。まるで駄々っ子のように。
 この優の言動、行動に菜摘の我慢は限界を超えてしまった。普段は大人しくても、決して気が弱い訳ではない。
――お前も計画は全て私に任せると了承したじゃないか!

 残りのメンバーは二人の雰囲気に飲まれてしまい、間に割って入ることができなかった。
「庚申信仰って知ってる?」
「なにそれ、知らないよ。ていうか、手を離してくれない」
 菜摘は手を離した。
「三尸の虫っていうのはね、人間の中に住んでいて、その人の悪事を天帝に告げる役目を持っている、嫌われ虫」
「はぁ、何言ってるの?・・・なんで私がそんなのと一緒にされなきゃいけないの?」
「じゃあ、なんであなたは、今ここにいるの?なんで私達と一緒にいるの?私達、仲良かったっけ?」
「・・・別に好きで入った訳じゃないよ」
 優は頬を膨らませて恨めしげに菜摘を上目遣いに見る。
「じゃあ、なんで入らざるおえなくなったか、わかるでしょ?」
「・・・ユウは悪くないもん」
「そう、悪くはないかもしれないよね。でも嫌われてるよね、三尸のように。あなたは分別無く悪口を言い過ぎるから嫌われた。だからここにいるんでしょ?」
「悪いことを悪いって言っちゃいけないの?悪いのは悪いことをした人でしょ!」
 優は声を張り上げた。けれど、菜摘は逆に落ち着きを取り戻して続ける。
「悪いことを悪いと言えるのは素晴らしいことだと思うよ。ただし、それは注意なりなんなりとして本人に言わないと意味がないよね。本人のいないところでコソコソ話しているのは、それは注意でもなんでもなくて、自分がその話題を種に楽しみたいだけ。そうじゃない?」
「・・・だって、みんなも笑ってたもん」
「その場ではね。だって他人の悪口を平気で言い触らす人間が、自分の悪口を言わないって保障はないじゃない。下手なこと言えないと警戒して空気を読むのは当然じゃない?」
「じゃあ、ユウが悪いわけ?!」
「悪いというよりも、こうなった原因は添田さんにあるんじゃない?良いか悪いかというよりも、事実としての話」
「ユウは悪くないもん」
「じゃあ、今のままで良かったら、そう言ってれば?」
 菜摘の突き放すような言葉に、優は体を震わせると、ついに顔を両手で覆うってしまった。ここに至ってようやくメンバーが動き、優の背中を摩る。一人が言い過ぎだよと表情で菜摘に訴えたが、菜摘は知るかとばかりに顔を顰めた。
「・・・じゃあ、どうすればいいの?」
 優は涙声で漏らした。優も自分の置かれている状況を理解していない訳ではない。けれど悪いのは自分ではないと思い込んでしまっていたから意地を張ってしまい、余計にどうしていいかわからなかったのだ。
 菜摘は知るか、と思ったが、他のメンバーの視線が突き刺さる。どうにかして、と訴えてきている。楽しい筈の修学旅行がこのままでは・・・と思うと、菜摘も不本意だったので、仕方ないから菜摘はもう一度優の腕を取ると、力任せに本堂の前に連れてきた。
「庚申信仰っていうのはね、さっき言った三尸を天帝の元に行かせないようにしようっていう信仰なの。そして、ここに祭られている青面金剛っていう神様はその守護神で、三尸を喰らってくれるといわれているの。現状を打開したいのであれば、もう人前で他人の悪口は言わないことだね。せっかくだから三尸のような役割をここで捨てられるよう、祈願してみれば」
 菜摘は先に賽銭に小銭を入れると、手を合わせた。
 顔を涙に濡らした優も、菜摘の真似をして賽銭を入れて震える手を合わせた。
 優が顔をあげるのを待って、今度は本殿の左手にある寺務所に連れて行く。寺務所にいたおばさんが優の様子を見て心配するが、笑って誤魔化した。寺務所の棚の所に、パンフなどに混ざって、例の飾り物が置いてあった。
「ついでだからこれも書いておけば。これはくくり猿っていって、猿をくくり付けた状態を表しているの。猿は理性に乏しく本能のままに生きているでしょ?だから猿=欲求と捉えて、自分の戒めたい欲求を縛るという意味で願を掛けるんだって。もう人の悪口は言わない、そう書いて願を掛けたら?五百円するけど」
 優は素直に頷くと、赤色のそれを購入してマジックで願いを書き込んだ。
「それと、猿を結んでいる、猿結び、縁結びってことで、そっちにもご利益があるんだって」
 そう説明すると、他のメンバーもくくり猿を買って各々願い事を書き込んだ。

 他のそれと同じように木像の回りにくくり猿を取り付け、それぞれ手を合わせた。事務所のおばさんに手を振り、一行は庚申堂を後にした。
 この時には、優の涙も乾いていた。優は菜摘と並んで歩きながら、
「なっつんって、変なことに気持ち悪いぐらいに詳しいね」
 初めて菜摘をあだ名で呼んだ。この気さくさが、本来の優の人気の源だった。
「気持ち悪い?また誰かに言い触らすつもり?」
 菜摘は嫌な予感がしたが、
「うんん、言わな~い」
 明るい表情で笑った。
 菜摘は優の感情の変化の目まぐるしさに呆れながらも、その笑顔には親しみを感じた。

(2008/05/26)

八坂庚申堂ホームページ⇒http://www.geocities.jp/yasakakousinndou

京都にての物語紀行「八坂庚申堂

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