詩仙堂

~自由の謳歌~

<登場人物>
・久遠孝太(くおんこうた) ・三藤愛実(みとうつぐみ)

 

「お前のロックは死んだな」
 セックス・ピストルズのリード・ヴォーカルだったジョン・ライドンの言葉を真似て、バンド仲間は久遠孝太の変貌を強烈に批難した。

 強烈な日差しが照り付ける夏盛りの一日、孝太は金に染めた長髪を後ろで一つに括り、大きく黒地の髑髏がバックプリントされた白地のTシャツに、クラッシュが幾重にも入った黒のジーンズ姿で、JR京都駅の正面口に立っていた。
 傍らには、つばの広い赤のリボンを巻いたストローハットを被り、白を基調としたワンピースを纏った三藤愛実の姿があった。
 二人が交際を始めたのは半年前。孝太のバイト先に愛実が入ってきたのが出会いで、愛実が学業に専念する為にバイトを辞めたのを切っ掛けに孝太の告白で交際が始まった。
 愛実は大学で文学部に所属し、今度松尾芭蕉のレポートを提出することになり、京都の金福寺には芭蕉庵もあるので、愛実の提案により今回の京都旅行が計画された。

 地元を中心に活動し、近頃はようやくインディーズで名を知られるようになってきたパンクバンドのヴォーカルを務めていた孝太が、バンドメンバーから変化を指摘されたのは、愛実と交際を始めてすぐのことだった。
「どうしたんだよ、最近ノリ悪いぞ」
「そんなことねぇよ」
 強気に言い返す孝太に、他のメンバーが茶化しを入れる。
「こいつ、新しい女できたみたいだぜ。大人しそうな大学生だってよ」
「ヤリスギで疲れてんじゃねぇよ!」
 その時は、それで済んだのだが、時を追うごとにライブでの孝太のパフォーマンスはメンバー達の目に精彩を欠いたものとなっていった。
「今度、彼女と京都旅行に行くらしいぜ」
「京都旅行?どんだけ、骨抜きにされてんだよ。それに、今度の女には自分のライブを見せたくないってよ」
 そしてジョン・ライドンの名言が飛び出した。
 今となっては孝太も己の変化を強く自覚していた。バンドは反抗的、破壊的、冒涜的な歌詞をハードなテンポに乗せて叫ぶのを売りとしていた。かつてそれらの歌詞は、真に孝太の主張だった。誰からも認められず、牙を剥き出しに反抗する事が生き甲斐であった人生。だからそこには魂があり、観客は孝太の絶叫に熱狂した。
 だが皮肉なことに、バンドがある程度成功すると『認められる』という感覚を味わってしまう。反抗は認められないからこその反抗だ。更に孝太は理解者を得て、斡旋されたバイト先での人間関係を含む急激な周辺環境の改善により、与えられた仕事に成果を上げて『認められて』リーダー格となった。
 そして愛実と出会った。それまでの孝太の異性交際は快楽的であり、攻撃的なものだった。そこに世間一般で言われる愛情などというものはなく、まるで牙を突き立て顕示欲を満たすヴァンパイアのようであった。だが段階的に認められていく状況の中で出会った愛実に、孝太は初めて愛情というものを抱いた。傷付けてはならないと思える存在を知った。
 孝太のライブパフォーマンスの低下は、一重に孝太の心境の変化にある。最早、叫ぶ歌詞と孝太の魂とが一致していなかった。偽装してまで扇動的であれるほど、孝太は器用な人間ではなかった。
 結果として、孝太はバンドと愛実の間にあって二差路の交差点に立ち止り、歩むべき道を決めかねる戸惑いの中にあった。

 一乗寺下り松のバス停でバスを降り、二人は金福寺へと向かい芭蕉庵を見学した。愛実は頻りに写真を撮り、メモを取って目的を果たした。
 金福寺を出ると日差しはいつの間にかに広がってきた厚い雲に覆われ、雨が落ちてきそうな空模様となっていが、観光を続ける為に近くの詩仙堂へと向かった。
「えーと、詩仙堂は元々徳川家譜代の臣であった石川丈山が寛永18年(1641)に隠居所として草庵を建てたのが始まりで――。よくわからないけど、何があるの?」
「庭園が有名だった筈」
 孝太は興味の持てないままに、さっさとガイドブックを閉じてしまった。
 孝太にとって京都は初めてだった。これまでに興味を持ったこともなかったし、どちらかといえば歴史や文化など見向きもせずに鼻から冒涜的に攻める対象でしかなかった。バンドのメンバーが京都旅行と聞いて貶す気持ちも、孝太自身わからなくもなかった。
 詩仙堂の表門は坂道の途中に、ひっそりと佇んでいた。質素な門構えの先に石段が続いている。石段を上がると竹林の中を石畳が伸びており、その先に凹凸と呼ばれる建物が見えてきた。
 拝観料を支払い凹凸カの中に入る。右手に進むと、すぐに庭園を見渡せる座敷へ出ることができた。その左手には詩歌三十六人の肖像画を掲げた詩仙の間があり、通称詩仙堂の名はこの一間に因む。
 夏の盛りの平日ということもあり観光客はまばらで、少し奥まったところだが庭園を見渡せる一角に二人は腰を下ろした。庭園は手前に白砂を引き、その先に円形にカットされたサツキが白砂を囲むように配置され、更に先には緑旺盛な木々が球場のフェンスの様に庭園を取り囲んでいた。
 座敷は静けさに満ちていた。蝉の鳴き声も却って静寂を誘う。名物のししおどしの乾いた音が甲高く響く。
 愛実は庭園を見つめたまま、この静けさを慈しむように一言も言葉を発しない。孝太もそれに合わせて黙ったまま庭園を見、愛実の横顔を見、と頻繁に視線を左右していたが、やがて庭園ばかりを見詰めるようになった。
 静けさの中、庭園を眺めている内に孝太の胸に去来したのは、一般的に人が静けさに対して求めるであろう心の平穏というものではなく、なんとも言えぬ恐怖だった。なんだかこの静けさの中では呼吸がしにくく、水中に没したような息苦しさだった。思えば街の喧騒に慣れた人生の中で、望んで静けさを意識したことはなかった。叫び続けることを生き甲斐としてきた孝太にとって、反抗の対極に定義する平穏がもたらすだろう『叫ばなくなる自分』を想像した時、浮かび上がったのは静寂の監獄に一人収監される自分のイメージだった。それは今まで抱いてきたアイデンティティの全否定。
 愛実との日々の先にあるだろう、平穏な世界――
 孝太は居たたまれなくなり、平静を装いながら愛実を庭園へ促した。
 手入れの行き届いた庭園を一回りする。その間、孝太は庭園の風景はひたすら愛実の背景に控えさせ、愛実への想いを再確認する作業に費やした。
――俺は本当に、愛実を愛し続けることができるのか。
 庭園を一回り終えた頃、孝太の頬を冷たい滴が打った。急速に風が強まり、大粒の雨が断続的に降り注ぐ。二人も他の観光客と同じように凹凸カに戻り、最初に腰を下ろした庭園を見渡せる座敷に再び落ち着いた。
 庭園は表情を一変した。木々は強風に大きく左右に揺れ、大粒の雨は見渡す空間に幾重もの筋を描き、瞬間に稲光が明滅する。更に静けさは失われ、雨音が激しく屋根を叩き、木々の葉の擦れる音、爆発的な雷鳴。静けさの中ではその一部であった蝉の、また凹凸カの軒先にある池に住む蛙の鳴き声もかまびすしく、時に一際大きくししおどしの甲高い音が雷鳴に負けじと響き渡る。
 突然、二人の傍らに座っていた白髪見事な老人が、庭園を見詰めたまま、独り言にしては大きな声で呟いた。
「この世界はなんと騒々しいのだろう」
 二人ばかりか、座敷で雨宿りをしている観光客の視線が老人に集まる。その視線を意識してかしないでか、同じ音量の声音で続けた。
「丈山は己の思うまま自由に生きた人だ。きっと丈山も、この騒々しさを自然が奏でる自由の謳歌と楽しんだことだろう」
 稲光に座敷の内部も照らされる。遅れて雷鳴が轟く。そして――
 雷鳴と同じ衝撃を以て、老人の言葉が孝太の胸に轟いた。
――自由の謳歌!
 それは解放の痺れ。
 老人が語るところの自由なる騒々しさは、孝太を苦しめてきた反抗と平穏の対立構造を氷解せしめ、新たなる世界を見出させた。
――俺も、自由に叫んでもいいんじゃないか?
 孝太にとって、反抗と音楽がイコールだったからこそ平穏の世界に音楽は入れなかったが、もしそのイコールが崩れたならば、音楽と平穏は容易に結びつき、愛実と音楽ともまた、容易に結びつくことができるだろう。
――俺のロックは死んじゃいない!俺は、これからも叫び続けていいんだ!
 湧きあがる叫びたい衝動を辛うじて抑えると、その代わりに孝太は傍らの愛実の手を強く握り締め、我が身を包む、容赦なく騒々しい自由の謳歌を噛み締めた。

 半年後、音楽の方向性の相違を理由にバンドを脱退した孝太は、新たなバンドを結成して熱烈な愛を叫んでいた。
 客席には、愛実の姿があった。

※ 凹凸カ(穴冠に果)/(おうとつか)

(2011/11/13)

詩仙堂ホームページ⇒http://www.kyoto-shisendo.com/

京都にての物語紀行「詩仙堂

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